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JAXA、新型基幹ロケットの概要の最新版を発表 エンジン、射場などに変化
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は4月10日、三菱重工と共同で開発中の「新型基幹ロケット」について、システム定義審査とプロジェクト移行審査を通過したと発表した。また同時にロケットの構成などの概要も公開された。
これは4月9日に開催された、文部科学省の宇宙開発利用部会において報告が行われたもの。発表によれば、まず今年2月25日から3月11日にかけて行われた、ロケットや地上設備などの各システムの技術仕様や基本設計以降の開発計画の妥当性について審査する「システム定義審査」の結果、「基本設計フェイズ」への移行は可能と判断されたという。そして3月17日から19日にかけて開催された「プロジェクト移行審査」において、「システムの全体仕様が定義ができる段階にあること」が報告され、審議の結果、プロジェクトに移行することが決定されたとされる。
新型基幹ロケットは、現在運用中のH-IIAロケットやH-IIBロケットの後継機で、日本がロケットを自由に打ち上げることができる自律性を確保しつつ、国際競争力を高め、欧州や米国、ロシアがシェアの大半を握る衛星打ち上げ市場へ本格的に参入することを目指している。
今回公開されたロケットの概要によれば、全長は約63mと、H-IIAと比べて10mほど背が高くなっており、直径も5mと、H-IIBの第1段に近い太さになる。またH-IIAと同じく、ブースターの本数を変えることでさまざまなミッションに対応できるようになっており、太陽同期軌道に3t、静止トランスファー軌道には最大で6.5tの衛星を打ち上げることができる。H-IIAは太陽同期軌道に4t、静止トランスファー軌道に6tの打ち上げ能力を持つため、新型基幹ロケットでは、より幅広い質量の衛星に対応できることになる。
第1段のロケット・エンジンは新たに開発されるLE-9が使用され、またエンジン数は2基か3基かを選択することができるという。第1段エンジンの装着数を打ち上げによって変えるというのは、あまり前例がない仕組みだ。ロケットの最小構成ではブースターが装着されず、3基のLE-9のみで離昇する。
固体ロケットブースターは、H-IIAやH-IIBで使われているSRB-Aを改良したものになり、結合機構がブレスやスラスト・ストラットを使うものから、より簡単な結合分離機構へと改良される。装着数は0から4本を、打ち上げに応じて変えることができるという。…
<大塚家具感謝フェア>久美子社長、先着100人にガーベラ
創業家の内紛で注目を集めた大塚家具(本社・江東区有明3)が18日、全国の16店舗で「新生・大塚家具 大感謝フェア」を始めた。30日まで。
初日は、大塚久美子社長が新宿ショールーム(東京都新宿区)で、開店待ちしていた約130人を「これからも、よろしくお願いします」と出迎えた。先着100人にはガーベラの花を贈り、「再出発」を印象付けた。
ガーベラの花言葉は「希望」と「前進」。大塚社長自らこの花を選んだという。ガーベラをもらった人の中には、大塚社長と握手する人や「応援しています」と声をかける人も。大塚社長は一人一人に「ありがとうございます」と応じ、「お客様に足を運んでいただき、価格やサービスなどを通じて『新生・大塚家具』を感じていただきたい」と語った。【河出卓郎】
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G20 リスク要因山積に警戒感
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女子教育が遅れた日本で、「名門女子校」が生まれた理由
■女子校にミッション系が多い理由
戦前、女子は正式な「大学」に通えなかった。戦前から存在し現在に続く女子大学、津田塾や日本女子大や東京女子大などは、戦後になるまで正式には大学とは認められていなかったのだ。また、明治になって全国に急ピッチで学校が整備されてきたときも、男子のための中学校設立が優先され、女子のための中等教育機関は後回しにされた。
女子のための教育の整備に消極的な明治政府に対し、日本における女子教育の先鞭を付けたのがキリスト教各派の宣教師たちだった。いわゆるミッション系の学校が、明治の初期から設立されはじめた。現在でも女子校にミッション系が多いのはそのためだ。
1868年、アメリカ人宣教師の妻が築地の居留地内につくった英語塾が女子学院の始まり。横浜のフェリスも1870年にアメリカ人女性宣教師によって開かれた私塾「ミス・キダーの学校」がその祖。1871年には横浜共立の前身である「アメリカン・ミッション・ホーム」が設立されている。神戸女学院は1873年にできた私塾がそのルーツ。外国人が多い港町で、日本の女子校文化は産声を上げたのだ。
しかし富国強兵政策を支える良妻賢母の育成を求め、キリスト教教育を認めない国と、ミッション系の学校との間には常に軋轢があった。
1899年に高等女学校令が発布され、私立でも申請をすれば正式に高等女学校として認められる制度が整うが、たとえば女子学院は各種学校のままであり続けた。国による制約を受けずに独自の教育を行うことを選んだのだ。
ただしそれでは高等教育機関への入学資格が得られない。そこで女子学院は、5年間の「本科」の上に「高等科」を設置し、独自に高等教育を行ったのである。その高等科が母体となって、東京女子大学が設立された経緯がある。
神戸女学院は、1899年の高等女学校令公布に際して、国の定める高等女学校としての認可を正式に受けた。しかしその結果、キリスト教主義でありながら、式日には教育勅語を読まなければいけなくなった。キリスト教教育をやめるようにと、圧力もかかった。
そこで当時の院長は、「学院は政府から何も特典を与えられようとは思わないから、学院の宗教教育についても政府の干渉を何も受けたくない」とする書状を本国アメリカの伝道会に送った。伝道会もそれを認めた。
1903年に専門学校令が公布されると、1909年神戸女学院はその高等教育部門に当たる「高等科」を「専門部」として、専門学校としての認可を受けた。…
【タイ】東部のリゾート地パタヤなどでひと足遅い水かけ祭り
2015年4月19日、タイの水かけ祭りソンクラーンは13日から15日にかけて盛大に行われたが、今週末はひと足遅れて、パタヤなどの東部の各都市で行われている。
【その他の写真:通りかかる人や車両に水をかけまくる水かけ祭り。それでもタイ人はかけないでと頼めば見逃してくれる。しかし、欧米人などの観光客はその加減も知らないのか、遠慮も配慮もない。】
タイでの水かけ祭りは、13日から15日にかけて全国的に盛大に行われた。中でもバンコクのシーロム通りを歩行者天国にして行われた水かけ祭りには、身動きができないほど多くの人が集まった。
これに対して、タイ東部では約1週間ほど遅れて開催される。正式な名称もワンライと呼ばれていおり、バンセーン、シーラチャーなどの各地区で日程をずらしながら行われている。
これは、古くアンコール王朝の栄える以前に、周辺に暮らしていたモン族に端を発するものだそうだ。バンコクの南に隣接するサムットプラカーン県プラプラデーン地区でも、毎年バンコクより1週間ほど遅い日程で水かけ祭りが行われている。
パタヤ周辺の地区では、モン族に由来する水牛祭りも毎年10月頃に行われている。かつてモン族は、インドの地からタイへ初めて水牛を持ち込んだと言われている。
しかし、近年パタヤではタイの他の地区と同じ頃に、すでに水かけが行われている。つまり、タイで一番長い期間水かけが行われているのが、現在のパタヤでもある。
筆者の経験では2000年以前のパタヤでは、こうしたことは無かった。恐らく年々増える観光客が、なし崩し的に始めたものが今に至っているのだろう。
このように観光面で成功しているように見えるソンクラーンだが、タイ国内ではタイ人の遠出が減り、経済的な収支は昨年より落ちる見込みだ。表向きの祭り気分が冷める頃、タイ軍政の経済面での力量が問われることになるのかも知れない。
【執筆:YK】
ケネディ大使、広島訪問「平和へ尽力の決意を」
米国のキャロライン・ケネディ駐日大使は17日、広島市を訪れ、平和記念公園(中区)で犠牲者を悼んで献花し、広島平和記念資料館を見学した。
同館内にある芳名録に「ここを訪れるすべての人々が、平和のために尽力する決意を新たにすべきです」と記した。
ケネディ大使は20歳だった1978年に広島に来ているが、大使着任後の訪問は昨年8月6日の平和記念式典への出席に続いて2回目。被爆70年に合わせて米政府から広島市へ贈られたハナミズキの植樹式に、市が招いた。
公園内の原爆死没者慰霊碑に献花した後、松井一実市長らの案内で資料館を見学。続いて、地元中学生らと公園前の緑地にハナミズキを植えた。米政府は日米友好のため日本各地にハナミズキを贈っており、大使は「これらの樹木が両国民の友情を深めることにつながるよう希望する」と述べた。
続いて、大使は広島大学で「グローバル人材」などをテーマに学生ら約10人と意見を交わした。
その後、大使はマツダスタジアム(南区)での広島カープ対中日ドラゴンズ戦で始球式に臨んだ。昨季まで米大リーグで活躍したカープ・黒田博樹投手の背番号「15」が入ったユニホームを着た大使が、左腕からノーバウンドでストライクを奪うと、客席から拍手が湧き起こった。