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[注目トピックス 市況・概況]日経平均は57円安、関心は引き続き中小型株に
*10:04JST 日経平均は57円安、関心は引き続き中小型株に
10時00分現在の日経平均株価は、19850.97円(前日比-57.71円)で推移。15日の米国株式市場がまちまちだったほか、米3月小売売上高の予想下振れなどで米国の早期利上げ観測が後退し、ドル・円が円高方向に振れたことから日経平均は利益確定売り優勢の展開。その一方、マザーズ指数がプラス圏で推移するなど、資金の関心は引き続き中小型株に向かっている。セクター別では、鉱業、情報通信、ガラス土石、空運、金属製品などが上昇する一方、水産農林、医薬品、ゴム製品、パルプ紙、その他金融などが下落。売買代金上位では、ソフトバンク<9984>、三菱UFJ<8306>、NTT<9432>、関西電力<9503>、JR東<9020>などが上昇する一方、トヨタ<7203>、三井住友FG<8316>、DeNA<2432>、OLC<4661>、ファナック<6954>などが下落している。
《KO》
関電、異議申し立てへ準備 高浜原発再稼働の遅れ回避
関西電力は15日、福井地裁による高浜原発3、4号機(福井県)の再稼働を認めない仮処分決定を受け、同地裁への異議申し立てなどの準備を進めた。11月と想定する再稼働に遅れが生じないよう原発の安全性を引き続き訴え、徹底的に争う構え。
関電は原発の停止によって経営が悪化し、2015年3月期の連結決算で4年連続の大幅な赤字となる見通しだ。2基の早期再稼働は、電気料金の再値上げとともに、経営立て直しに不可欠な要因となっている。
ただ、今回の決定が司法の場で覆らなければ、高浜3、4号機は事実上動かせない。この状況が長く続けば財務状況がいつまでも好転しない可能性がある。
東京円、119円台後半 円買いドル売り優勢
15日午前の東京外国為替市場の円相場は続伸し、1ドル=119円台後半で取引された。
午前10時現在は、前日比27銭円高ドル安の1ドル=119円59~61銭。ユーロは71銭円安ユーロ高の1ユーロ=127円13~14銭。
前日発表された米小売売上高が市場予想を下回ったことから、米景気の先行き懸念が広がった海外市場の流れを引き継ぎ、安全資産とされる円を買いドルを売る動きが優勢となった。
市場では「持ち高を調整するためにドルを買い戻す動きも出ている」(外為ブローカー)との見方があった。
2015年度の業績見通し、企業の3割「増収増益」–企業規模での”格差”懸念も
帝国データバンクは14日、「2015年度の業績見通しに関する企業の意識調査」の結果を発表した。それによると、企業の3割弱が「増収増益」と回答したものの、規模間格差拡大への懸念が強まっていることがわかった。
2015年度(2015年4月決算~2016年3月決算)の業績見通しについて聞くと、「増収増益(見込み)」と答えた企業は28.0%で、前年度実績(見込み含む)から2.1ポイント減少。一方、「減収減益(見込み)」は同4.2ポイント減の18.5%、「前年度並み(見込み含む)」は同10.1ポイント増の21.5%となり、総じて前年度を上回る見通しとなった。
規模別に見ると、1,000人超の企業では68.1%が「増収」を見込んでいるのに対し、5人以下では38.2%にとどまることが判明。「増収増益」についても同様の傾向がみられ、規模間格差拡大への懸念が強まっていることが窺える。
業績見通しの下振れ材料を尋ねると、「個人消費の一段の低迷」が37.8%で最多。以下、「原油・素材価格の動向」が33.0%、「人手不足」が29.2%と続き、特に「人手不足」は前年度比9.7ポイント増の大幅増となった。
アベノミクスの成果に対する企業の評価は、100点満点中平均64.2点。しかし、評価は企業規模によりばらつきがあり、大企業優先という不満が中小企業や地方で高まっていることが明らかになった。
調査期間は2015年3月18~31日、有効回答企業数は1万845社。
リンカーンの血痕か、染み検証 暗殺150年
【ニューヨーク共同】米中西部のウィスコンシン大は14日、奴隷解放を宣言したリンカーン大統領の暗殺から150年に合わせ、撃たれた直後に使われた可能性があるベッドカバーの染みがリンカーンの血痕かどうかの科学的な検証を始めた。
リンカーンの血痕と確認されれば、歴史的資料として注目を集めそうだ。
リンカーンは1865年4月14日、ワシントンのフォード劇場で観劇中、男に撃たれた。道路向かいの下宿屋ピーターセンハウスに運び込まれ翌15日朝、死亡した。ベッドカバーはウィスコンシン州の新聞経営者が下宿屋の関係者を名乗る女性から譲り受け、1919年に地元博物館に寄贈した。