仕事で役立つ人気ビジネスアプリおすすめ!
[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
徹底検証・徳川埋蔵金の真実 トレジャーハンター・八重野充弘 第9回 埋蔵金の権威・畠山清行の挑戦(後編)
1977年(昭和52年)の秋、群馬県利根郡新治村(現みなかみ町)永井で、畠山清行の発掘が始まった。目指すは「黄金1万枚」。徳川幕府の御用金の一部だ。「黄金」というのは普通大判(10両)のことをいうから、しめて10万両。大判だけが1万枚もあるはずはないが、最低でも200億円の価値はある。それが、宿場跡の永井の裏山に続く謎のトンネルの中に隠されていると、畠山は確信していた。
埋蔵金の権威といわれた畠山だが、実は自ら本格的な発掘に乗り出すのは、これが初めてのことだった。その著書を読んで埋蔵金を掘り当てた人物が過去に2人いるそうだが、まだ自身の実績はないので、70歳を過ぎたそのころ「自分の手で一つくらいは」という気持ちが高じ、未公表のとっておきの場所を掘ろうと決心したのだった。
ただ、公にやるわけにはいかない。マスコミに騒がれると、せっかく調査に合意してくれた地元に迷惑が掛かる。そこで、秘密を共有できる筆者と仲間が実働部隊として選ばれたというわけだ。
9月から10月にかけて、ほとんど毎週末に永井へ通い続けた。上越新幹線が開通したのは1982年だから、当時は上越線の後閑で下車し、バスとタクシーを乗り継いで行くしかない。現地では、民宿と食堂を兼ねた『越路』に泊まり、目と鼻の先の畑の真ん中に縦穴を掘り下げた。
謎のトンネルは長い間閉ざされたままで、入り口がない。かつては越後方面の大名も宿泊したという本陣の蔵の裏手から、十二神社の下に向かって掘られたと想像された。それが戦前の軍用道路としての工事中と、戦後、国道17号となって舗装工事をする際に偶然現れたという。
本当は穴の開いたところを掘ればいいのだが、まだ関越自動車道もなかったころで、17号は関東と新潟を結ぶメーンルートだったから、とても不可能。そこで、トンネルを見たことがあるという越路の主人の記憶を頼りに、道路面より5メートルほど高い畑からトンネルに向かって縦穴を掘り下ろすことにしたのだった。
しかし、幅1メートルもないような横穴にうまくぶつかるはずがない。8~9メートルを目安にしていたが、結局12メートル掘っても到達できず、第1ラウンドはそこで終了となった。
翌年、畠山は「永井史蹟学術調査」の名目で建設省(当時)の許可を取り、国道脇の斜面を崩して、そこから縦穴を掘り下ろすことにした。
戦前に穴が開いた場所に近いからより確実で、深さも3メートルも掘れば十分だと思われた。…