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五輪予選控えたU-22の浅野拓磨「連続出場を止めてはいけない」
U-22日本代表は9日、国際親善試合のU-22ミャンマー代表戦とAFC U-23選手権2016予選に向けた国内合宿をスタートさせた。
27日から31日に開催されるAFC U-23選手権2016予選は、2016年のリオデジャネイロ・オリンピック一次予選も兼ねて実施。6大会連続10回目のオリンピック出場を目指す上で、浅野拓磨は「連続出場を止めてはいけないというプレッシャーはある」と語る。
しかし、「そのプレッシャーを喜びに変えて。日本を代表して戦えるのは限られた人だけ」とも口にする。「喜びを忘れずに、応援してくれている人たちに勝利を届けて、しっかりオリンピックに行きたい」と、迫りくる予選を控えて意気込んだ。
AFC U-23選手権2016予選で、日本はマレーシア、ベトナム、マカオとともにグループIに振りわけられている。グループIは全試合がマレーシアで行われ、日本は27日にマカオとの初戦に臨み、29日にベトナム、31日にマレーシアと戦う。なお、U-22ミャンマー代表戦は11日にフクダ電子アリーナで行われる。
引退試合の対戦相手が語るアントニオ猪木「イノキさんと戦うということが最高の栄誉だった」
レスラーとして現役を引退後も、その抜群の知名度とカリスマ性で、プロレスや格闘技会だけでなく、国会議員としても光を照らし続けるアントニオ猪木。
先日発売された「俺たちのプロレスvol.3(双葉社スーパームック)」では、アントニオ猪木と関係のあった11人のレスラーの証言を集め、「平成のアントニオ猪木」をテーマに、燃える闘魂のカリスマたる所以を特集した。
なぜ人々はアントニオ猪木に惹きつけられるのか。今回は、その中から一部を抜粋して紹介したい。
第一回目は、総合格闘技UFCで活躍ののち、プロレスラーに転身。平成10年4月、東京ドームで行われた引退試合で対戦したドン・フライのインタビューからお届けする。
「イノキさんと出会って、そして東京ドームで対戦できたことは、とてもグレートな経験だ」
PROFILE ドン・フライ(Don Frye)
1965年11月23日生まれ。総合格闘家としてUFCの黎明期を支える。その後、1997年には新日本プロレスに参戦。アントニオ猪木の引退試合の相手も務める。PRIDEにも参戦して、髙山善廣とも対戦。火花が散るような壮絶な殴り合いは世界中のファンの度肝を抜いた。
──今回はアントニオ猪木の大特集ということで、猪木最後の対戦相手であるドン・フライさんに、猪木さんについての話をうかがわせていただこうと思います。
フライ イノキさんの特集号のインタビュー記事かい? とても光栄なことだな。それじゃ、電話インタビューを始めようぜ!
──よろしくお願いします。フライさんは、UFCファイターからプロレスラーになりましたけど、もともと子どもの頃からプロレスファンだったんですか?
フライ 俺とプロレスとの出会いは、5~6歳の頃だな。バージニアに住んでいた俺のお祖父さんの家のテレビで初めて観てね。その頃からプロレスのファンになったんだよ。
──そんな小さな頃からのファンだったんですか。
フライ 俺は子どもの頃から、毎日、荒野を駆け回ったり、馬に乗ったりして遊んでいて。友だちと取っ組み合いのケンカなんかもよくしていたから、大きな男たちが闘うプロレスにすぐ惹かれたんだよ。
──ちなみに、小さい頃は誰のファンだったんですか?
フライ 当時のスーパースターたちさ。テリー・ファンク、ブルーノ・サンマルチノ、スーパースター・ビリー・グラハム、リック・フレアーたちのことは好きだったし、憧れだったね。
──少年時代、日本のプロレスラー、アントニオ猪木の存在は知ってましたか?
フライ たしか6~7歳の頃だと思うけど、当時住んでいたバージニアにアントニオ猪木がプロレスの試合に来たことがあるんだよ。…
バスケ3×3トップリーグ、チーム・大会数を増加して6月開幕!
クロススポーツマーケティングは、2015年6月に、3×3のトップリーグ「3×3 PREMIER.EXE 2015」を開幕すると発表した。 国際バスケットボール連盟(FIBA)ENDORSED、日本バスケットボール協会が唯一公認する3×3リーグとして設立された「3×3 PREMIER.EXE 2014」は、2014シーズンに7チーム・42名の3×3プロ選手を作り出した。年間優勝はDIME.EXE、年間MVPは蒲谷正之選手(bjリーグ 横浜ビーコルセアーズ)が獲得。「FIBA 3×3 World Tour 2014 FINAL」に、DIME.EXEが出場した。 「3×3 PREMIER.EXE 2015」 は、昨シーズンよりもチーム数・大会数を増やして開催される。全8会場の1dayトーナメント方式で、8チームが勝利数によるポイント形式で総合優勝を競う。そして、1チームが戦績により、FIBA主催の3×3世界大会 FIBA 3×3 World Tour Masters 2015」に出場する権利を獲得する。 開催期間は、2015年6月~2015年9月。「3×3 PREMIER.EXE 2015」のチームオーナーは、以下の通り。 1.GREEDYDOG.EXE(グリーディドッグドットエグゼ) 代表者名:GREEDYDOG Projects 2.SUNS.EXE(サンズドットエグゼ) 代表者名:石田剛規 3.ZETHREE.EXE(ゼッスリードットエグゼ) 代表者名:上原浩光・新田康明 4.DIME.EXE(ダイムドットエグゼ) 代表者名:岡田優介・田村裕・大西功二 5.CHIBA JETS.EXE(チバジェッツドットエグゼ) 代表者名:ASPE 6.TRYHOOP OKAYAMA.EXE(トライフープオカヤマドットエグゼ) 代表者名:アテンプト・オカヤマ 7.BREX.EXE(ブレックスドットエグゼ) 代表者名:リンクスポーツエンターテインメント 8.YOKOHAMA CITY.EXE(ヨコハマシティドットエグゼ) 代表者名:World Standard Project co.ltd
U-22日本代表の手倉森監督、震災時の御礼で市原市を表敬訪問
U-22日本代表を率いる手倉森誠監督が9日、市原市の佐久間隆義市長を表敬訪問した。
訪問は、2011年の東日本大震災で手倉森監督の率いていたベガルタ仙台が練習場を使用できなくなった際、佐久間市長の配慮で市原市の施設を無償で使用したことがきっかけ。手倉森監督の希望や同日からU-22日本代表が千葉県内で合宿をスタートさせることもあり、訪問が実現した。
手倉森監督は、「練習場所のない中で、佐久間市長や市原市が練習場を提供して頂けるということで、甘えて練習することができました。その年の4位、翌年の2位というベガルタ仙台の躍進に繋がり、ACLにも出場できました」とコメント。「御礼しないわけにはいかないと。これからも、ご支援に報いていかなければいけないと伝えたくてご挨拶に参りました」と、感謝を語った。佐久間市長も、「サッカーという素晴らしいスポーツを通じて、子供たちがより一層元気で幸せになるように、今後ともお力添えをさらに頂きたいと思います」と期待を寄せた。
U-22日本代表は11日に、フクダ電子アリーナでU-22ミャンマー代表と対戦する。
悔しさを味わった男…U-22代表FW浅野「同じ過ちは繰り返さない」
悔しさを味わった男…U-22代表FW浅野「同じ過ちは繰り返さない」
昨年9月に行われたアジア大会。手倉森ジャパンは韓国に0-1で敗れてベスト8で散った。しかし、そこにFW浅野拓磨(広島)の姿はなかった。
手倉森ジャパン初の公式戦となった昨年1月のU-22選手権ではメンバー入りを果たして3試合に出場し、その後も同代表の常連メンバーとなっていた。たが、アジア大会では負傷もあり、メンバーから外れた。だからこそ、「本当に悔しかった」と当時を振り返っている。
「広島でチームメイトの岳(FW野津田岳人)が点を決めている姿を見て、悔しい思いがありました。でも、どうすることもできないし、焦っても仕方ないので、テレビを見ながら自分が入ったときのイメージを作りつつ、モチベーションを上げようとしていました」
チームはベスト8で韓国に敗れて大会を去ることになるが、“自分がいなかったから負けた”とは思わない。しかし、その場にいられなかったことを後悔している。「あの場に自分がいないという悔しさがありました。でも、それはどうしようもないので…。だからこそ同じような過ちは繰り返したくないんです」。
アジア大会をテレビで見ながら、手倉森ジャパンでプレーする姿をイメージしてきた。そんな努力を続けてきたからこそ、12月のタイ・バングラデシュ遠征では2得点ときっちり結果を残し、改めて存在感を示した。
3月11日のU-23ミャンマー戦を経て、3月末にはU-23選手権予選(リオ五輪一次予選)に臨む。悔しさを味わった男は、「次は自分がピッチに立ってチームのため、そして日本のために戦い、しっかり結果を残せればいいと思っています」とピッチ上で大暴れすることを誓った。
(取材・文 折戸岳彦)