仕事で役立つ人気ビジネスアプリおすすめ!
[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ヤクザを排除しても「より悪いものしか出てこない」理由
最近の暴力団排除は、本人や妻の金融機関の口座や各種保険の解約だけではなく、子どもが保育園に通えなくなったり、高校入学を取り消されたりと家族にまで及んでいるという。過剰な暴排や最近の取り締まりについてヤクザに本音を聞いてまとめた『現代ヤクザの意気地と修羅場 現役任侠100人の本音』(双葉社)を上梓した作家の宮崎学氏に聞いた。
――強硬な暴力団排除の実態が語られる一方で、「生まれ変わってもヤクザになる」と考えているヤクザが少なくないこともわかります。執筆のきっかけはどのようなことだったのでしょうか?
宮崎:2011年秋までに全国の都道府県と一部の市町村が暴排条例を施行しました。内容は自治体ごとに若干異なりますが、基本的には同じです。市民に「暴力団と付き合うな」「排除しろ」と命令するものです。
すなわち暴排条例は暴対法と異なり、ヤクザではなく市民が取り締まるものなのです。ビジネスはもちろん一緒にゴルフをしたり、酒を飲んだりすれば「密接交際者」とされて、名前が公表される場合もあります。これでは、ヤクザが普通の日常生活を営むことができなくなります。実際に知り合いのヤクザに聞いてみると、名前が公表されたことで会社の経営が破綻したり、「お父さんの名前が報道されたので、もう来ないでほしい」と子どもが通う幼稚園から通告を受けたりしています。明らかに人権侵害であり、憲法違反です。本書の執筆は、こうしたことがきっかけです。
――排除が嫌ならばヤクザをやめればいいのではないでしょうか?
宮崎:やりたくてヤクザをやっている人は少数です。多くは欠損家庭に生まれ育ち、学歴も職もなく、行き場がなくてヤクザになります。ですから、仮にやめたとしても生活できません。また、条例では「ヤクザをやめてから5年を経過しない者」は「元暴力団員」として排除の対象にしています。この5年間をどう生きろというのでしょうか。
また、仮に5年を経ても、警察やメディアは「元組員」として扱います。やめたところで一生ついて回るのです。最近は、危険ドラッグを扱ったり、オレオレ詐欺や強盗、さらにはキセル乗車など「ヤクザらしからぬ」罪で逮捕されるヤクザも少なくないですが、それは正業を奪われて生活できないからです。
以前は、ほとんどのヤクザは建設関連業やサービス業などの正業を持っていました。それができなければ違法なこともせざるをえません。「今は覚醒剤や危険ドラッグを扱っていないヤクザはいない」とも聞いていますが、いい悪いの問題ではなく、そうしなければ生きていけないのです。追い詰められたヤクザがどうなるか。警察幹部はそんなことはわかっていながら、目先の欲に目がくらんで暴排を進めているのです。
――これからのヤクザはどうなるとお考えですか?
宮崎:以前に比べて、表面的には変化が出てきていると思います。たとえば2013年秋にはみずほ銀行グループの信販大手オリエントコーポレーション(オリコ)を通じた中古車などのローンで「暴力団員」に融資していたことが問題になりました。しかし、書類が揃っていれば貸すのは当然ですし、ローンの途中で無理に解約させて回収不能にするよりも、完済させた方がビジネス的にもまっとうです。
そこで、最近では民事暴力対策関係の弁護士もこの手法を取っていると聞いています。「暴力団員」の資金を減らすことができる上に、会社の負担にならないので、トラブルがない限りは解約しない方がいいという考えですね。
自動車保険も同様です。保険に入っていないと、交通事故が発生した場合に被害者が泣き寝入りすることになるという理由で、解約はさせないことになりました。
こうした例が増えていくことで、極端だった暴排が少し緩むことになるかとは思います。しかし、もはやヤクザはかつてのような存在ではありません。
そこで、危険ドラッグはますます蔓延し、海外マフィアが多数流入する社会となっていきます。かつてのように縄張りを荒す違法な薬物を売る者や海外マフィアを排除する力が、今のヤクザにないからです。ヤクザを排除したところで、「より悪いもの」しか出てきません。ヤクザは歓迎される存在ではありませんが、ここまで追い込むことはなかったと考えています。
【宮崎学氏】
みやざきまなぶ・1945年京都生まれ。権力批判や社会の周縁の取材を続ける。近著は他に『突破者 外伝――私が生きた70年と戦後共同体』『談合文化 日本を支えてきたもの』(ともに祥伝社)など
<取材・文/上野蓮 撮影/住倉博之>
グリーンジャンボ6億円宝くじ、全国“奇跡の売り場”の売り子さんに秘訣を聞いた!
2015年最初のジャンボ宝くじ「グリーンジャンボ」が発売中だ。今回から1等が4億円、前後賞が1億円で合わせると6億円に! どこで買おうか悩んでいる人にオススメの売り場を紹介しよう。
■億ゲットの秘訣はどこにあるのか?
はたらけど はたらけど猶(なお) わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見るーー啄木の歌が骨身に染みる、今日この頃。発売中の「グリーンジャンボ発売」は1等+前後賞で6億円。とはいえ、やみくもに買ったところで、なかなか高額当せんは望めない。そんなわけで、ギャンブルライターの楠木(くすのき)隆男さんにオススメの売り場を紹介してもらった。
まずは日本一の高額当せん数を誇る西銀座チャンスセンター(以下、CC)から。
「平成になってから459人の億万長者を輩出している超有名売り場です。ジャンボが発売されるたびに長蛇の列ができています」(楠木さん)
この西銀座CCには「1番窓口」の伝説がある。1992年頃のジャンボで、発売初日に1番窓口で購入した人がミゴト1等に当せん。それが大きく報道され、1番窓口には特に長い列ができるようになった。実際、週プレが様子を見に行った時も、1番窓口だけが大行列に。
お次は、全国でもトップクラスの高額当せん数を誇る宝くじのマスミ(静岡県)。現在までにジャンボの1等を53本も出している。スゲェ~!
「メディアにも頻繁に取り上げられている人気店です。2013年にはtotoBIG(*)で10億円を出して、さらに評判はうなぎ上りに」(楠木さん) *編集部注・宝くじとtotoBIG(サッカーくじ)は別物です
そんなこの売り場は、いつ頃から運気が上昇し始めたのか。中村通(とおる)社長が説明する。
「1986年に先代が木彫りの布袋さまを購入したんですね。そうしたら、その年の年末ジャンボで1等+前後賞が当せん。以来、高額当せんが当たり続けています」
カウンターの横のほこらに安置された布袋さまは、宝くじで頭やおなかをなでていくのが習わしとなっている。
小さい売り場ながら多くの高額当せんを出しているのは、北海道の堂前宝くじ店。宝くじファンからは「聖地」と崇められ、観光バスが来るほどの名所になっている。
「ここには現在85歳の堂前輝子(てるこ)さんがいらっしゃいます。1951年から窓口に座り続け、“女神のおばあちゃん”と呼ばれています」(楠木さん)
そんな堂前さんに、大当たりの秘訣(ひけつ)を尋ねてみた。
「根気よく同じ売り場でジャンボを買い続けることです」
沖縄の那覇メインプレイスCCは、去年の年末ジャンボで1等+前後賞の7億円が2本も出て、大きな話題に。1000万枚に1枚しかない1等がこの小さな売り場から2本も飛び出したのは、まさに奇跡としかいいようがない。幸運が舞い込んだポイントを鈴木秋彦店長に伺った。
「沖縄には金城(きんじょう)、当間、幸喜(こうき)など、縁起のいい名字の人が多いんです。それに加えて、沖縄に古くから伝わるヒヌカンという火の神に、販売員たちが熱心に祈願しているのも関係あるかもしれません」
同じく、小規模ながら去年のグリーンジャンボで5億円(1等+前後賞)を出し、サマージャンボでも6億円(1等+前後賞)を出した栃木県の吉田菓子店も、“奇跡の売り場”と呼ぶにふさわしい。
吉田菓子店のファーストミラクルは今から34年前。近所に大型スーパーができたために店の売り上げが激減。そこで、新規客をつかもうと宝くじの販売をスタート。すると、発売初年度は200枚しか売れなかったのに、その中から1等1千万円が出たのだ!
以来、高額当せんが続いている秘密はどこにあるのか。吉田清子店長は言う。
「私は月に20日は近くにある両崖山(りょうがいさん)に登って、山頂の大黒さまにお礼を申し上げているんです。当たりが出ようが出まいが、『ありがとうございます』って。その心がけがよかったのかもしれませんね」
秋田県にある清水商店は、1961年の創業から酒やたばこに加えて宝くじを販売。2009年のサマージャンボで3億円(1等+前後賞)が出て注目された。去年もグリーンジャンボで5億円(1等+前後賞)が出て、再び話題に。清水順義(よりよし)社長は言う。
「去年のグリーンジャンボでは、5億円以外にも2等1000万円が出ています。実はこれまで、大きな当たりが出る前には予兆があって、1等の組違い賞が出るんです。今回も2月の『バレンタイン女神くじ』で組違い賞が出たばかり。これは吉兆ですね」
人口約3万人の種子島(たねがしま・鹿児島県)で、唯一の宝くじ売り場が七福種子島店。去年のサマージャンボで6億円(1等+前後賞)が出て大フィーバー。川口克仁店長は言う。
「2009年にも年末ジャンボで2等1億円が出ており、販売枚数に対する高額当せん率はかなり高いと思います。3年前に風水で金運を高めるという黄色に売り場を塗り替えてから、さらに運気が上がったようにも感じています」
最後に紹介するのは、全国の宝くじファンから熱い注目を浴びている宇部琴芝CC。
「なぜかここ数年、山口県は高額当せんが続出しているんです。総購買数から考えたら、かなりの高確率になると思われます。その中でも宇部琴芝CCは、09年から3年連続で年末ジャンボで1等+前後賞が出ました。これは驚異的なことですよ!」(楠木さん)
なぜこんなに当たるのか、売り場責任者の児玉直樹さんにも伺ってみよう。
「売り場はデパートの隣にあるんですが、ビル風がビュンビュン吹いてくるんですね。その風に乗って幸運の女神が舞い降りてるのではないか。そのようにお客さまの間では話題になっているんです」
最後に、人気雑誌『ロト・ナンバーズ当選倶楽部』編集部から、億ゲットへの有益な情報をひとつ。
「今年は占いの九星で『三碧(さんぺき)木星』で、強運方位は西になります。これは購入前に3時間以上とどまった場所から西の方角と考えてください。また、発売期間の中で一番運気が強いのは3月6日です」
さあ、オススメの売り場を参考に、6億円の夢をつかみ取れ!
(取材・文/浜野きよぞう)
プロフェッショナル巧の格言 橋本テツヤ(ジャーナリスト)(2)
仕事は順調だったが、一方でこんな悩みもあった。
「テレビに出て顔が売れるようになってからは、生活も変わりましたね。ラーメン屋に行っても、お客が覗きに来る。ラーメンも落ち着いて食べさせてもらえないのかと嫌になりましたよ」
橋本は関口宏が司会を務めた長寿クイズ番組『クイズ100人に聞きました』(TBS)で“屋根裏の声”を務めて裏方に回った。
「屋根裏のアナウンサーは僕が考えたんです。ラジオをやっていたときから、構成作家の稚拙さが嫌だった。特に若手構成作家のギャラは時給にすればレジ打ちのバイト代以下だから、優秀な人材が集まるわけがない。かといって、局のディレクターやプロデューサーには企画力がない。そこで自分で書こうと思ったんです」
局のスタッフに「生意気だ」と陰口を叩かれながら、同番組は15年間続いた。その間、橋本は、収録現場ではなくサブスタジオに詰めて、技術スタッフに映像を撮る技術を教わった。
「カメラワークなどのイロハを教わったんです。そのおかげで、自分でカメラを回して番組が作れるようになったんです」
橋本は自らスポンサーを探し、旅番組の『週末旅発見』や『虹色紀行』(ともにテレビ東京)の制作、演出を手掛けた。
「ロケバスも自分で運転した。自分で運転すれば、好きな場所に止めて好きな映像が撮れたからです。いまや長寿バラエティー番組になった『アッコにおまかせ!』(TBS)の構成も担当しました。今でこそ笑い話になりますが、和田アキ子には不愉快な気分にさせられたことがありましたよ」
和田は番組のスタッフを連れて、箱根で一泊のゴルフ旅行に出かけたという。仕事の都合で遅れた橋本だったが、宴会の会費1万円を和田に一時立て替えてもらった。
「宴会の席上、アッコは貸した金のペナルティーとして、僕に一気飲みをさせたんです。翌日、二日酔いでゴルフ。気持ちが悪いと言ったら、アッコは自分で一気飲みをさせておいて『橋本は酒が弱い』と言ったんです。下請けの番組スタッフには酒に下剤を入れて飲ませて、翌日、ゴルフをやらせた。イタズラが度を過ぎますよ」
橋本は、『アフターヌーンショー』(テレビ朝日)のコーナー司会を持っていたこともあって、番組でリポーターを務めていた“芸能リポーターの元祖”故・梨元勝さんとも交流があった。
「梨さんとは、よく飲み行きました。銀座のクラブにも。でも、彼からはコーヒー一杯ごちそうになったことがない。ドケチでした」
橋本と筆者の出会いは、彼が人気DJだった頃、女優あべ静江と関係が噂され、直撃取材したのを機に親しく付き合うようになった。女性にモテる橋本は銀座のホステスをビルの屋上に誘って口説いたが、ビルの屋上のカギが閉まって大変な目に遭ったという事件があった。そのホステスを筆者は“屋上の女”と呼んだ。
「3人でクラブに行ったら、そのホステスが席についた。梨さんはその女の前でいきなり『てっちゃん、屋上の女ってどこにいる?』と聞いたんです。僕はその女に『おしゃべり!』と怒られた。梨さんは空気が読めない男でもありました」
その梨元さんは、5年前に肺がんで他界した。
「梨さんとはいろいろな思い出がありました。その後、僕はテレビの仕事から離れて、肥満予防健康管理士とメンタルケア心理士の資格を取って、講演活動を中心に動いてます」
まるで『まんが日本昔ばなし』の世界! 富山の世界遺産「五箇山相倉合掌造り集落」に行くなら今が一番イイッ!!
北陸新幹線の開通にともない、石川県金沢市に注目が集まっている。しかし富山県にだって通るんだ! 富山をムシすんな、すげえ観光名所があるんだぞ!! ということで、世界遺産登録されているすごい名所をご紹介したい。
画像と動画をもっと見る
合掌造りといえば、岐阜県大野郡の白川郷を思い浮かべる人も多いと思うのだが、富山県にも立派な合掌造りの集落が現存している。それが世界遺産の「五箇山相倉(ごかやまあいのくら)集落」である。行くなら絶対に今のうちをおすすめする! なぜなら雪が残っていて、景色が最高に美しいからだ。まるで『まんが日本昔ばなし』の世界のようである。
・春の気配は遠い
この集落は高清水山の南に位置しており、周囲を山々に囲まれている。山を越えると景色が一変して、まさに白銀の世界だ。私(佐藤)が訪ねたのは、2月の下旬。もう春の声が聞こえているというのに、ここだけはビックリするほどの積雪が残っており、春の気配する感じることはできない。
・スポットの道は険しかった……
さて車で集落に到着すると、普通自動車の場合、保存協力金という名目で駐車場代を払うことになる。普通車500円、二輪車の場合は100円だ。車を止めて、観光案内施設の真裏にある、「相倉集落全景撮影スポット」という案内板にしたがって、何の気なしに撮影スポットに向かうことにした。軽い気持ちで一歩を踏み出したのだが、道のりはかなり険しかった……。
・驚くほどの積雪
そもそもこんなに雪が積もっているとは思っていなかった。和才記者と一緒に行動していたのだが、180センチに満たない彼の身長をすっぽりと覆い尽くしてしまうほど積もっている。ところによっては、除雪した雪の高さが2~3メートルはあろうかというところもあった。
・滑らない靴で行け
スポットまで徒歩5分とあるが、滑りまくって思うように歩くことができず、滑りやすい斜面を10分以上歩く羽目になってしまった。もしも現地を訪れるつもりの人は、滑りにくい靴をおすすめする。ヒールなどはもってのほかなので注意。
・まるで日本昔ばなし
息を切らせてようやくスポットにたどり着くと、そこから見えた景色の美しさに心底感動した。合掌造りの集落と、雪と山しかない。これぞまさに日本の原風景ではないだろうか。初めて見る景色なのに、どこかで見たような気がしてならないのだ。まるで、まんが日本昔ばなしで見たアニメーションの1コマのようにさえ見える。
・杏さんのCMの撮影場所
ちなみにもっとも駐車場に近い場所にある「民宿勇助」は、女優杏さんが出演しているJR東日本のCMで使われたそうである。囲炉裏を囲んで「ぼちぼち」というアノCMだ。CMで見たのどかな光景を体感できるぞ。
Report:佐藤英典
大胆! 大島優子も出席、第38回日本アカデミー賞授賞式
2月27日に都内で第38回日本アカデミー賞 授賞式が行われました。会場には、各賞の優秀賞に選ばれた俳優や監督を中心に邦画に携わったスタッフが出席し、盛大な空気に包まれて式典がスタートしました。
【アワードに参加したセクシー女優クール男優一覧画像】
第38回日本アカデミー賞 授賞式に登場した、“上品セクシー”な女優と“クール”に着こなした俳優の美貌に注目してみました。
大島優子
今回の日本アカデミー賞で優秀助演女優賞を手にした、大島優子さん。出演映画『紙の月』では、ヒロインが道を踏み外すきっかけとなる一言を放つ、銀行の同僚を演じました。今作が映画初出演となっており、今後の活動にも注目されています。
授賞式では、ホワイトのショルダーレスドレスを着用し、大人のセクシーな雰囲気を醸し出していました。