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「生きっぺし」釜石の女将 ラグビーW杯招致に奔走〈AERA〉

 「生きっぺし」釜石の女将 ラグビーW杯招致に奔走〈AERA〉

 岩手県釜石市といえば、かつて「北の鉄人」と呼ばれた新日鉄釜石ラグビー部を育んだ鉄とラグビーの街。その釜石に2019年、ラグビーW杯がやってくる。
 
  言い出しっぺは、地元の老舗旅館「宝来館」の女将、岩崎昭子さん(58)。全国12のW杯日本大会開催地の一つに釜石が決まると、岩崎さんは下がり気味の目じりをいっそう下げ、陽性の声を張り上げた。
 
 「よかった〜。最初、決まればいいな、という程度だった。夢だったんです。それが本当になった。ありがとう。みなさんに、おめでとう、ありがとう、と言いたいです」
 
  4年前の「3.11」。岩崎さんは、釜石市の根浜(ねばま)海岸沿いに立つ宝来館と一緒に、津波にのまれた。おぼれそうになりながら、「生きっぺし、生きっぺし」と念じ、九死に一生を得た。
 
 「『生きっぺし』は地元の方言。生き抜くというか、生き続けようと、自分に言い聞かせるコトバなんです」
 
  宝来館のある鵜住(うのすまい)居地区では、約580人が犠牲となった。その中には、旅館の従業員も含まれている。
 
  絶望の底にいる時、ラグビーW杯の日本開催の話を知った。1979年から前人未到の日本選手権7連覇の偉業を果たした新日鉄釜石ラグビー部は、2001年にクラブチーム「釜石シーウェイブス」に生まれ変わり、「トップイースト」というリーグで奮闘している。いまも釜石のラグビー熱は、冷めることがない。
 
  宝来館1階の片隅には、「ラグビーカフェ」という記念品が並ぶ一角がある。被災を免れた、懐かしい新日鉄釜石の深紅のジャージーや、V3、V4、V5時の選手のサイン色紙、V7決定時の試合で使った古びた茶色の楕円球が飾られている。
 
 「夢がほしかったんです。ここでW杯が開かれれば、とくに子どもたちにとって宝物になると思った。世界中の人が集まって、世界の人たちとお友達になって…。未来の子どもたちが、新しい釜石をつくってくれる」
 
  宝来館は12年1月に再建された。その年の7月、青山学院中等部(東京都渋谷区)のラグビー部員が合宿に訪れた。
 
 「子どもたちに力をもらいました。あの日がなければ、釜石のW杯招致もなかったかもしれません」
 
  岩崎さんはW杯招致の先頭に立った。招致イベントやフォーラムには必ず、顔を出した。旅館では毎朝のように、宿泊客たちに震災の体験とともに、W杯招致への思いを語った。
 
 ※AERA 2015年3月16日号より抜粋

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