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野球賭博ハンデ師による真剣な予想順位 阪神が悲願の優勝か
2015年のプロ野球が開幕した。専門家による様々な予想が出ているが、もっともシビアな予想を『週刊ポスト』編集部が入手した。野球賭博の「ハンデ表」である。そのなかから、併記されていた順位予想を紹介する。
これによれば、セ・リーグは球団創設80周年の阪神が悲願の優勝を飾り、パ・リーグは3位と4位が入れ替わるだけで昨年とほぼ変わらないと分析されている。そこに記された順位は以下の通りである。
【セ・リーグ】
1位:阪神
2位:巨人
3位:広島
4位:ヤクルト
5位:横浜
6位:中日
【パ・リーグ】
1位:ソフトバンク
2位:オリックス
3位:ロッテ
4位:日本ハム
5位:西武
6位:楽天
「ハンデ師は膨大な資料と知識、そして情報を元に、ハンデを設定している。昔はそれらをまとめた大学ノートを何冊も持っている者が多かったが、今はパソコン管理が主流」(野球賭博の現場を良く知るX氏)
大金が動くだけに予想はある意味誰よりも真剣であることは間違いない。
※週刊ポスト2015年4月10日号
パッキャオと戦った日本人 殺されると思い二度と戦いたくない
ボクシング界の「世紀の対決」が1か月後に近づいてきた。5階級制覇王者にして47戦47勝のフロイド・メイウェザー(38・米国)と、史上2人目の6階級制覇王者マニー・パッキャオ(36・フィリピン。戦績・64戦57勝5敗2分)の一戦は5月2日にゴングが鳴る。
そんな一戦に特別な感慨を持つ元日本ランカーがいる。元日本フライ級2位の寺尾新氏(44)だ。今でこそ世界的スーパースターとなったパッキャオだが、実はスターへの階段を駆け上がっていた頃に日本のリングに一度だけ上がっている。そこで対戦したのが寺尾氏だ。
寺尾氏は空手やキックボクシングを経て1995年にプロデビュー。インファイトを得意とする攻撃的なスタイルで、日本タイトルにも挑戦した実績を持つ(通算成績は16戦10勝5敗1分)。パッキャオとの試合は1998年5月、後楽園ホール(東京・文京区)でメインイベントとして行なわれた。
当時、寺尾氏は27歳。パッキャオはまだ19歳だったが、前年に東洋太平洋(OPBF)フライ級王座を獲得し、世界ボクシング協会(WBA)5位、世界ボクシング評議会(WBC)7位にランクされていた。とはいえ、日本ではまだあまり知られていないマイナー選手。寺尾氏には勝算があった。
「僕はパッキャオ戦まで5勝1分と絶好調でした。『化け物みたいに強い』と噂は聞いていましたが自信はありました」(寺尾氏)
しかし蓋を開けてみれば1Rで3度のダウンを奪われ、2分59秒でKO負け。リングを転げ回り、大の字に倒れてしまう壮絶なダウンだった。
「地獄の3分間でした。私だって相手を殺すつもりで練習してきましたが、あの時は本当に殺されると思った。もう二度と戦いたくありません」
※週刊ポスト2015年4月10日号
<選抜高校野球>冬場使えないグラウンド「逆転の発想」結晶
第87回選抜高校野球大会は1日、阪神甲子園球場で決勝があり、2年ぶり6回目出場の敦賀気比(福井)が、14年ぶり6回目出場の東海大四(北海道)を降し、初優勝を果たした。
○敦賀気比(福井)3−1東海大四(北海道)●
高校野球100年。節目の年に、北陸の地に春夏通じて初めて優勝旗が渡った。水分を多く含んだ雪が降り、冬場はグラウンドでの練習がほとんどできない敦賀気比がセンバツで優勝したことは、厳しい冬と闘う全てのチームにとって、大きな励みになるはずだ。
1995年夏の甲子園で監督として星稜(石川)を準優勝に導いた山下智茂さん(70)は感慨深そうに語る。「当時は、初めて土のグラウンドでやれたのが甲子園だった」
その星稜と切磋琢磨(せっさたくま)し、北陸の高校球界を引っ張ってきたのが福井商。福井県勢の甲子園の過去最高成績は、78年春の福井商の準優勝。当時の監督、北野尚文さん(69)は「外で練習できないハンディを逆手に取った」と筋力トレーニングを全国に先駆けて導入し、頂点へあと一歩に迫った。
そして、今回の敦賀気比。くしくも北野さん同様、ハンディを逆手に取った練習をしていた。グラウンドが使えない代わりに1日最低700回バットを振り、打撃を強化。「考え方の転換。できることをやる」と86年の創部時から携わる林博美部長(56)は話す。
センバツで優勝のない地域は北海道と東北のみになった。ただ、今大会は東海大四が決勝に進み、東北も全3校が初戦を勝った。一方、九州・中国勢は全て初戦敗退。山下さんは「私が監督の時は、暖かい九州や四国の学校に負けたくないと思ってやってきた。今度は九州などの学校が奮起してほしい」と期待する。
各地区のレベルアップが高校野球全体の底上げに直結することは間違いない。北陸の大地の下、少しずつ根を張り、芽を出し、そして花を咲かせた高校野球100年の年の春。北陸勢初の快挙が、次の100年に新たな花を咲かせるための種になるのかもしれない。【安田光高】
バイエルン、アラバ負傷で7週間の離脱。ロッベンと共に4月の試合欠場が決定的
バイエルン・ミュンヘンは現地時間1日、オーストリア代表の試合で負傷した同代表のDFダビド・アラバが約7週間離脱することを公式サイトで発表した。
アラバは3月31日に国際親善試合のボスニア・ヘルツェコビナ戦に出場。ハーフタイム直前に相手との競り合いで負傷し、前半での交代を余儀なくされている。
オーストリアの地元紙『クローネツァイトゥング』の情報では十字靭帯損傷の可能性があり、代表チームドクターの話しから6から8週間の離脱と見られていた。
1日にミュンヘンに戻り、バイエルンのチームドクターのもとで精密検査を行ったところ、左ひざの内側靭帯断裂と判明。2週間ギプスで固定し、4週間リハビリを行うという。
アラバは昨年11月初めにも右ひざの内側靭帯を部分断裂している。再び7週間離脱となり、今季中の復帰は微妙な様子。
それでも「もちろん非常に悲しい。でも僕には大きな目標がある。シーズンの終盤に再び戻りたい。今はよく休み、それからリハビリに全力をつくす」と、前を向いている。
リーグも終盤に差し掛かり、週末にはアウェイでボルシア・ドルトムントと対戦。翌週にはDFBポカール(ドイツカップ)の準々決勝レバークーゼン戦、さらにチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝と続く。3冠を狙うバイエルンだが、大事な時期にMFアリエン・ロッベンを含めた主力2選手離脱は大きな打撃となってしまった。
<選抜高校野球>悔い見つめ…投球磨く決意 東海大四・大沢
紫紺の優勝旗が初めて北陸に翻る。1日の第87回センバツ決勝で敦賀気比(福井)が東海大四(北海道)を3−1で破って初優勝し、春夏通じて初めて北陸勢として頂点に立った。勝利の瞬間、敦賀気比のアルプス席は、赤いメガホンが打ち鳴らされ、歓喜に包まれた。北海道勢初のセンバツの頂点に挑み、敗れた東海大四にも大きな拍手が送られ、球児の夢舞台が幕を下ろした。
◇
東海大四の大沢志意也(しいや)投手(3年)は、1年先輩の西嶋亮太さん(18)=JR北海道=を目標にしてきた。「超スローボール」で昨夏の甲子園を沸かせた姿に憧れ、その大きな影に戸惑いもした。その先輩もたどり着けなかった大舞台に立ち、敗れたものの自分の目指す方向を探し当てた気がする。
野球部で寮生活を始めると西嶋さんと同室だった。よく一緒に練習し、変化球や緩急の付け方を手本にした。結果が出ない時には「真っすぐを忘れるな」とアドバイスを受けた。昨夏の甲子園では、山なりの弧を描く超スローボールを交えて観客の喝采を浴びる先輩を、ベンチから尊敬のまなざしで見ていた。
「次はどんな投手が来るのだろう」。西嶋さんの引退後、時折そんな声を耳にした。周りの期待に重圧も感じながら臨んだ昨秋の北海道大会。「負けたくない」の一心で腕を振って優勝した。
結果が出て余裕が生まれ、雪が積もり出すと自分を見つめ直す時間もできた。本来の目標は尊敬する先輩を超えて甲子園で勝ち上がることだ。自分の投球も見えてきた。「スローボールのような目を引く武器はないが、球威は西嶋さんに勝る」。長所を伸ばそうと食事量を増やして筋力トレーニングに励んだ。
球速が上がり、センバツで出した142キロは自己最速だ。一方、2回戦の松山東(愛媛)戦やこの日の決勝では超スローボールも投じた。自分の投球に自信ができたからこそ、西嶋さんの代名詞でも自然に投げることができた。その西嶋さんからは前夜、「捕手を信じて投げ込め」とメッセージが来たという。
決勝では敦賀気比の強力打線を封じたが、八回に痛打を浴びて敗れた。試合後「冬の間に投げ込み、連戦でも球威が落ちなかった。ただ、今日は悔いが残った。制球ミスのない投手になりたい」と前を見ながら話した。
「良いものは吸収し、自分の投球を磨く」。頂点にあと一歩まで迫ったセンバツで、自分なりの答えを導き出した。【日下部元美】