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モラタの代表初ゴールが決勝点…スペインがホームでウクライナに勝利
代表初ゴールを挙げたモラタ(左)と喜ぶイスコ(右) [写真]=Getty Images
ユーロ2016予選が27日に行われ、グループCではスペイン代表とウクライナ代表が対戦した。
今年に入って初の代表戦となったスペインとウクライナ。ユーロ予選はお互いスロバキア代表に敗れ、3勝1敗で同試合を迎えた。スペインはFWジエゴ・コスタが負傷で離脱したため、トップにはFWアルバロ・モラタが入り、中盤にはイスコ、アンドレス・イニエスタ、ダビド・シルバらが先発メンバーに名を連ねた。
開始9分、ホームのスペインはイニエスタからのスルーパスでエリア内右に抜け出したモラタが、右足を振り抜くも、シュートはわずかに左に外れた。一方のウクライナは14分、右サイドからのFKに、アルテム・フェデツキーがフリーでダイレクトボレーを放つが、枠をとらえられない。
すると28分、コケのパスに反応したモラタが、エリア内中央に抜け出し、倒れ込みながらも飛び出したGKの頭上を越えるループシュートを放ち、先制点となるゴールを奪った。先制したスペインは41分、右サイドからFKにセルヒオ・ラモスがヘッドで合わせるが、クロスバー直撃で追加点とはならなかった。前半は攻勢に出たスぺインが1点リードで折り返す。
後半に入ってウクライナがチャンスを作る。51分、右サイドからのFKにルスラン・ロタンが中央へボールを送ると、誰も触らずそのままゴール左隅に飛ぶが、GKイケル・カシージャスがなんとか弾き出した。57分には、カシージャスのパスをカットしたロタンがそのまま左足を振り抜くが、強烈なシュートはカシージャスの正面。さらに66分には、味方からのマイナスの折り返しにエリア内中央へ走り込んだロタンが左足で合わせるが、これもカシージャスが正面でセーブした。
再三のピンチを切り抜けたスペインは87分、途中出場のサンティ・カソルラがイスコとのワンツーでエリア内中央へ抜け出し、ダイレクトでシュートを放つが、相手GKがわずかに触り、枠を外れた。
試合はこのまま動かず終了。モラタのゴールで先制したスペインが、ウクライナに1-0で勝利した。スペインは勝ち点12でグループ2位に、ウクライナは勝ち点9で3位となっている。
スペインは31日にオランダ代表と、ウクライナは同日にラトビア代表との親善試合に臨む。
【スコア】
スペイン 1-0 ウクライナ
【得点者】
1-0 28分 アルバロ・モラタ(スペイン)
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横峯さくら、5位タイに浮上して初の予選突破!
67をマークして通算8アンダーの5位タイに浮上し、決勝ラウンドへ進んだ横峯さくら 起亜クラシック(2015)(2日目) 写真・Getty Images
起亜クラシック(3月26日~29日、米国カリフォルニア州・アビアラGC、6593ヤード、パー72)
現地時間27日に行われた大会2日目。17位から出た横峯さくらが67で回り、通算8アンダーで首位に2打差の5位タイに浮上した。宮里藍、宮里美香は通算1アンダーの59位タイで予選を通過。首位は通算10アンダーで並んだ李ミリム(韓国)とモーガン・プレッセル。
初日を3アンダーの17位タイで終えた横峯さくら。この日は早朝にスタートし、1番でバーディが先行。3番でボギーをたたいたが、続く4番のバーディで取り戻すと流れに乗って8番、9番の連続バーディで前半を3つ伸ばした。後半に入っても10番、さらに11番と4連続バーディを奪うなど、8バーディ、3ボギーの67で回り、通算8アンダーの5位タイに浮上。今季4戦目で初の予選通過を果たし、決勝ラウンドへ進んだ。
宮里藍は4バーディ、5ボギーと出入りの激しいゴルフで73。通算1アンダーの59位タイで予選通過を果たした。宮里美香も同じく通算1アンダーの59位タイで予選を通過したが、上原彩子は通算イーブンパーの76位タイ、野村敏京は通算2オーバーの102位タイで予選落ちとなった。
単独首位でスタートした李ミリムが、6バーディ、3ボギーの69で回り、3つ伸ばして通算10アンダーで首位をキープ。29位タイのモーガン・プレッセルが8バーディ、ノーボギーの64をマークして、通算10アンダーと伸ばし、李と並ぶ首位タイに浮上した。
3位タイスタートのリディア・コ(ニュージーランド)は、3バーディ、1ボギーの70で回り、通算7アンダーの9位タイに後退。ディフェンディングチャンピオンのアンナ・ノードクビスト(スウェーデン)は69をマークして、通算3アンダーの36位タイに浮上した。
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【帰ってきたアイドル親衛隊】ドサクサ紛れに撮った松田聖子の結婚披露宴写真
80年代のアイドルの代表といえば松田聖子。今でも現役で頑張っているスーパーアイドルである。その松田聖子は80年4月に『裸足の季節』でデビューをするのだが、70年代にはいなかったタイプのアイドルということで、瞬く間に人気となった。大人気となった松田聖子だが、連日のように歌番組などに出演し、若い男性を熱狂させてくれた。しかしその逆に女性からはぶりっ子とののしられることも多く、当時の女性ファンはほとんどいなかったのが現実だ。
私自身は別に松田聖子の熱狂的なファンだった訳ではないが、子供心にすごいオーラを感じていたので、いつかは目の前で見てみたい願望を持っていた。当時は生放送の歌番組が多く放送していて、特に『ザ・ベストテン』(TBS系)には、ほぼ毎週出演していたこともあり、松田聖子目当てではなかったが、私はTBSで出演者が収録を終えて出てくるのを待っていることが多かったので、ここで偶然に彼女と遭遇できることを密かに待っていた。しかしここで遭遇することはただの一度も無かった。ほとんどの出演者は正面玄関から出て来ていたのに、彼女は正面以外から出て行っていたみたいだったからだ。これは『ザ・ベストテン』に限らず、どんな番組の収録でも正面から出入りをすることが少なくて、出待ちで遭遇は諦めるしかなかった。
そんな松田聖子を近くで見る方法としては、公開番組の収録に参加するしかなかった。テレビ東京のある歌番組の収録を観に行った時が、私自身の初の生松田聖子体験だった。その体験は確か82年の初夏だった気がする。東京の町屋にあるサンパール荒川という小さな会場である。当時の歌番組は、今のように撮影規制することが少なくて、収録は写真撮影がOKの現場が多かったこともあり、当時中学生だった私は、必死で貯めたお金で買った一眼レフカメラでひたすらシャッターを切った思い出がある。
それ以降もたくさんのアイドル現場に行くのだが、彼女と会うことがあまりなかったが、ある時に番組収録をしているスタジオに彼女目当てで行った時に、初めて出待ちで遭遇することに成功した。しかも待っていたのは私ひとりだけだったこともあり、少しだけだが話すことができた。当然だがすごいオーラがあり、近寄りがたい存在だったが、私が一言「お疲れ様でした」と声を掛けると笑顔で微笑んでくれた。現場では写真とサインはダメとマネージャーさんに言われたので、話しをすることしかできなかったが、自分の中では、あの松田聖子と話しをしたという事実だけで満足だった。
そんなトップアイドルにも大きな転機が訪れることになった。85年6月24日に、映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演した神田正輝と結婚することになった。私は当時は高校2年生。結婚式は目黒にあるサレジオ教会で行うことは報道で知っていたので、私は学校を休んで、早朝からサレジオ教会へ向かった。高校生の若造がひとりで立ち向かうには大きすぎる現場だったこともあり、2人の姿を見ることもできず、完全に負け試合になりそうになってしまった。とその時に、近くにいた新聞記者の人が、披露宴をホテルニューオータニでやることを教えてくれた。
私は一目散に目黒からホテルに移動した。とりあえず披露宴会場の入口付近に辿り着くと、続々と披露宴出席者が来るではないか。本来の目的はもちろん松田聖子の晴れ姿を見るためだったが、いきなり私は大好きだった岡田有希子が目の前に来たから驚きだ。一通り出席者が披露宴会場に入ると、今度は会場入口でマスコミの受付が始まった。ここで高校生の私は名刺すら持っていないが、ドサクサに紛れてマスコミ受付をして披露宴会場の中に入ることに成功した。
中に入ると金屏風の前に松田聖子と神田正輝が並んでいて、まさき聖輝の瞬間を見ることができたのだ。しかしほんの数分で関係者に声を掛けられて、会場からつまみ出されてしまった。もちろんその時に撮ったフィルムは全部没収されてしまった。幸いカメラの中に2枚ほど撮影した写真が残っていたのが救いである。ちなみに引きの2ショットと目を瞑っている松田聖子の写真の2枚だけだが、これは今でも私の宝物である。今は自分が取材をする側の人間なので、当時を振り返るととんでもない悪いことをしていたことが良くわかる。もう30年も前の話しなので時効ってことで許して下さい(笑)。
この結婚式以降は彼女は産休に入ってしまい、芸能活動は休止してしまったことと、私も学生でなくなってしまったことで、この結婚披露宴以降は彼女とは一度も会っていない。以降も芸能界で仕事をしている私だが、まだ現役バリバリのアイドルなので、いつかは彼女に当時のことを話しをする機会ができると良いと密かに思っています。その時は本人に当時の出来事などを色々と話しをしてみたいです。果たしてそんな日は来るのだろうか?
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】
小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしの顔を持つことから、格安旅券を使い全国を飛び回る生活を送っている。現在は、特にNMB48の三田麻央を全力で応援中。
漫画「いたずらオウムの生活雑記」 (56) 床を怖がっていたオウムの一年後をご覧ください
今日の「ろう」君
作者プロフィール
ろう飼い主
タイハクオウムの「ろう♂」と暮らしている。観光地近辺で色々と活動していこうかと考え中。
ブログ「いたずらΩオウム」、更新中です。ツイッターはこちらから。
決定機で明暗分かれた川又と岡崎…雑草系FWが見せた“楽しみな競争”
決定機で明暗が分かれた川又(左)と岡崎(右) [写真]=東和正
文=元川悦子
ザックジャパン時代からチーム最大の得点源となっていた本田圭佑(ミラン)、香川真司(ドルトムント)、岡崎慎司(マインツ)の3枚看板を外すという大胆采配で27日の初陣・チュニジア戦(大分)に挑んだヴァイッド・ハリルホジッチ新監督。この試合はあくまでテスト色が強かったとはいえ、ハビエル・アギーレ監督率いる前体制でようやく1トップの定位置をつかんだ岡崎にとっては、危機感の募る選手起用だったことだろう。
しかし、本人は決して動じなかった。
「もちろん途中出場は望んでないけど、そういう状況になったとしても自分はこの代表のために戦える。監督も今後、そういうチーム作りをしていくっていう話だし、勝てさえすれば自分がサブだろうが先発だろうがいい。なりふり構わずロシアに向けて成長したい。それにもう1回みんなにチャンスが与えられるべき。国内組も結果を出してるやつは試合に出るべきだし、じゃないと経験できないことがいっぱいあるから」と、岡崎は進境著しい川又堅碁(名古屋)の先発抜擢を受け入れつつ、イザという時が来たら、自分にできる最大限の仕事をしようと心に決めていた。
川又にしてみれば、小林悠(川崎)の負傷離脱で巡ってきた千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。「強い気持ちを持って挑んだ。次はないと思って俺は出た」と彼自身も言う。実はその川又は昨年11月のホンジュラス戦(豊田)をスタジアムで観戦している。その試合で1トップに入った岡崎の一挙手一投足を脳裏に焼き付けていた。
「岡崎さんは1個目に動き出して球が出てこなくても、2個目、3個目まで行ける。俺だったら1個目に出てこないと止まってもう1回出て行こうかなと考えるけど、岡崎さんはそれを2回3回できる。あの動き出しがあるから相手のDFもつかみづらいし、相手のディフェンスも疲れるしね。ホントにすごいと思った」と本人もしみじみ語っていたことがある。そのイメージを浮かべながら、前々からの念願だった代表デビュー戦に臨んだはずだ。
前半はチュニジアもタイトな守備を見せていて、川又には思うようにボールが収まらなかった。それでも彼らしい身体能力の高さを随所に垣間見せ、前半21分には清武弘嗣(ハノーファー)の左CKを打点の高いヘッドで合わせる。これは先制点かと思いきや、シュートはまさかのクロスバー。こういうワンチャンスを決めなければ、FWは生き残っていけない。先輩・岡崎はそれを実践してきた。川又はその現実をひしひしと受け止めたことだろう。後半立ち上がりの6分に酒井宏樹(ハノーファー)の縦パスにプルアウェイの動きで反応した場面もビッグチャンスになりかけたが、あと一歩足りない。結局、点を取るという最大のテーマを果たせないまま、背番号20は岡崎との交代を強いられた。
国際Aマッチ90試合目の記録した生粋の点取屋は川又ができなかったゴールという結果をすぐさま残す。後半33分、一足先に切り札として投入されていた香川と本田が絡み、本田が左サイド深い位置までえぐって折り返したクロスを嗅覚の鋭い岡崎は逃さなかった。
「相手のDFが向かって来て、それが視野に入ったんで、その分、難しかった。ただ、あれを決めないとFWとしては厳しいんで、決められてよかったですね」とブンデスリーガ2年連続2桁ゴールを叩き出した男は絶対的な武器であるヘディングでの先制点に安堵感をのぞかせた。
これで代表42得点目。カズ(三浦知良=横浜FC)の55得点も視野に入ってきた。本人は「いやあ、厳しいでしょ」と苦笑しつつも「出場数をもっと伸ばしたいですね。単純にゴールを決めるってことは、試合に出るためのアピールだと思ってるんで。点を取ってきたからこれだけ出てるし、結局はゴール数が伸びないと試合にも出れないんだろうなと。これからもっと厳しい競争になりますからね」と得点を重ねることで生き残ってきたFWらしい発言をした。その生きざまは無名だった宝塚ジュニア時代から全く変わらない。ゴールを取って取りまくってキャリアを切り開いてきた岡崎らしい物言いだった。
その考えを、同じ雑草育ちの川又は痛いほど理解できるはず。だからこそ「いいスタート? いや、ゴール決めてないから全然意味ないよね。誰がどう評価するか分かんないけど、俺は結果を出すのがFWやと思ってるから。クロスバーに当たったシーン? それも決めなかったら全然意味ないからね」と川又は自身にダメ出しをした。
決めるべきところで決めた岡崎、決められなかった川又……。ハリルホジッチ新監督初陣で2人の叩き上げFWの明暗はクッキリと分かれた。が、まだ発展途上の川又は岡崎のゴール前の鋭さを改めて自分の中に刻み込んだはず。そうやってお互いにいい刺激を与え合えば、1トップの選手層も厚くなる。彼らくなる。もともと無名で粗削りさを秘める似た者同士の2人のストライカーの今後の競争がより一層楽しみになってきた。
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