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徹底検証・徳川埋蔵金の真実 トレジャーハンター・八重野充弘 第10回 岩手の牧場主が古文書の謎解きに成功!?
本シリーズの初回に書いたが、徳川の埋蔵金の知名度を上げるのに一役買ったのが、1990年から足かけ4年にわたってTBSテレビで放送された大発掘番組だ。しかし、内容はというと過去の探索者の跡をなぞっただけで、新発見は何もなかった。揚げ句にあまりにも巨大な穴を掘ったので、産業廃棄物の捨て場になるのではないかとの噂が立ち、近隣から苦情が出て発掘も番組も打ち切りになってしまった。
それからしばらくは、マニアでも赤城山麓をうろつくことはあっても、発掘までやろうと思う者はおらず、県北の旧三国街道や旧沼田街道沿いの何カ所かで、地味な発掘が行われただけだった。
ところが、1999年に再び赤城山麓が注目される。仕掛けたのはまたもやTBSテレビ。『38時間テレビ・20世紀最大の黄金スペクタクル・徳川埋蔵金大発掘・炎のリベンジ・紅白の裏で考えるドロだらけの経済番組・徳川埋蔵金は日本を二度救う!』という、長ったらしく、ド派手なタイトルで、大晦日に長時間の発掘の生中継をやったのだ。
発掘場所は3カ所で、2カ所は以前の現場の北方に位置する長井小川田。うち1カ所は空中探査などハイテクの機器があぶり出したという場所で、元警察署長の三枝茂三郎が30年間掘ったところのすぐ近くだった。このとき、三枝の発掘小屋は放置されていた深い穴ごと、きれいさっぱり片付けられた。
そしてもう1カ所が、前の現場より少し南のゴルフ場の中。それを聞いて筆者は驚いた。そこに目を付けたのが、岩手県で肉牛の牧場を営むヤマナカタロウ(仮名)だったからだ。事前に連絡がなかったから、本当に掘るなんて思いもよらなかったのだが、画面を見ていたら本人が登場した。思えばヤマナカが筆者にコンタクトをとってきたのは、1994年のことだから、5年間の執念が実ったのだった。
ヤマナカが徳川の埋蔵金に魅せられるきっかけとなったのは、筆者がある雑誌に書いたレポートだった。かなりのページ数を割いてもらったので、もう一人の研究家とともに執筆し、それまでの探索の歴史や残された物証と痕跡を、余すことなく盛り込んだつもりだった。
するとヤマナカは『双永寺秘文』と井戸から出たと伝えられる銅皿の文字、すなわち「井」「八社」「子二四芝下炭」「未三二四芝下石」「亥雨芝下石」の謎解きに夢中になった。そして、人に見せてもいいと思えるほど自信がついたのだろう、最初は手紙で解読の内容について感想を求めてきた。
ただ、「どう思われますか?」と聞かれても、「よくここまで考えましたね」くらいは言えるが、その先の言葉が続かない。そもそも、秘文や銅皿の存在そのものが怪しいのだから、うまく解読できたかどうかの判定に、どれだけ意味があるというのか。
古文書の謎解きにはまるマニアは結構多いが、共通しているのは「考えすぎ」で「こじつけ」が多いことである。ヤマナカにもその傾向が感じられたので、否定はせずに「思い込みは大敵ですよ」とくぎを刺すにとどめた。
何回かの手紙のやりとりの後、どうしてもと言うので赤城山麓に同行することになり、最後に彼がたどり着いた場所に足を運んだ。そこが1987年開場の赤城ゴルフ倶楽部で、発掘調査が可能かどうか筆者が交渉役を頼まれたのだった。
ソフトな物腰の支配人は初めは驚きの表情を見せていたが、次第に笑みを浮かべるようになり、コース内を案内してもらうと、ヤマナカが地図上に×印を付けたところはグリーンでもフェアウエーでもなく、ホールとホールの間の狭間だった。
「不思議ですねえ」と支配人が首をひねる。その訳は、大きな岩が一つだけ不自然に転がっていたので、そこを避けてコースを設計したからだった。ヤマナカがすかさず「地上の目印では」とつぶやいた。
筆者がこの件に関わったのはそこまで。それがいつの間にかTBSに伝わって、発掘にまで進んだわけだ。結果は収穫なしに終わったが、もしかしたらゴルフ場側が積極的にテレビに話を持っていったのかもしれない。というのは、それからしばらくして、赤城ゴルフ倶楽部は徳川埋蔵金伝説のゴルフ場というキャッチフレーズを使うようになったからだ。おまけに8番のショートホールのホールインワン賞は本物の小判。これは現在も続けられていて、すでに10人以上がゲットしているという。(完)
八重野充弘(やえのみつひろ)=1947年熊本市生まれ。日本各地に眠る埋蔵金を求め、全国を駆け回って40年を誇るトレジャーハンターの第一人者。1978年『日本トレジャーハンティングクラブ』を結成し代表を務める。作家・科学ジャーナリスト。
高速「逆走」が多発する“魔の33カ所” 認知症ではない「健常者」の事故も頻発
認知症を患うドライバーによる高速道路の逆走事故が後を絶たない。10日には、75歳以上のドライバーが免許を更新する際、認知症の疑いがみられる場合は医師の診療を義務化する道交法改正案が閣議決定された。だが、健常者も対岸の火事ではない。全国各地の高速道路には過去、複数回にわたって逆走事故が発生する“魔のポイント”が点在しているのだ。
東京都板橋区の首都高速5号池袋線上り方面に、逆走する1台の軽乗用車が現れたのは日付が1月7日に変わったばかりの真夜中のことだった。それから数分過ぎた午前0時25分ごろ、軽自動車は大型トラックと正面衝突。はずみで隣車線にはじき飛ばされ、トレーラーにもぶつかった。
損傷した車内からは茨城県内に住む83歳の男性が見つかり、搬送先の病院で死亡。認知症の疑いがあり、同月6日に自宅を出てから行方がわからなくなっていたという。
高齢者による逆走事故は全国で頻発している。
警察庁の調べによると、昨年1月から11月末までに全国の高速道路で発生した逆走による人身事故の件数は21件(うち死亡は5人)。事故に至らなかったケースも含めると約10倍の207件。そのうち7割近い140人が65歳以上だった。
全国の高速道路6社の調査では、2011~13年に発生した逆走事例541件のうち、全体の37%のドライバーに認知症の疑いがあった。だがその一方で55%は「健常」と判断されてもいる。
帝塚山大学副学長で交通心理学が専門の蓮花一己(れんげ・かずみ)氏は「健常者でも疲れていて注意が散漫になっていたり、知らない道を走る場合は標識を見落としたりする可能性はある。私自身も海外からの来客を助手席に乗せた際、英語でしきりに話しかけられ、運転に集中できず立体駐車場を逆走しそうになったことがあった」と解説する。
逆走が発生しやすい場所として挙げられるのが、インターチェンジ(IC)やジャンクション(JCT)、サービスエリア(SA)、パーキングエリア(PA)といった分岐や合流が起こる地点。高速道路6社によれば、11~13年の期間にICなどの278カ所で逆走が確認された。うち33カ所では1度のみならず、2回以上起きていた。
なかでも香川県の坂出ICは3年間で5回も逆走が起き、全国でワースト記録となっている。
管轄する西日本高速道路は「5件のケースのうち『なぜ、逆走してしまったのかわからない』という高齢者の方もいるが、単純に間違えてしまったという健常者の方もいた」と説明する。
高速道路各社は複数回の逆走が確認された33カ所について、昨年から注意喚起する大型看板の設置などの対策を講じた。
「以前に比べれば防止対策は積極的に取られるようになってきた。ただ、その間も新しく道路は造られており、別の事故発生地点ができる可能性も考えられる。高速道路と一般道では管轄者が違うため、高速の出入り口の前にある一般道に注意喚起をする路面標示を新設したくても、手続きが煩雑で実現しない例もある」(蓮花氏)
ひとたび衝突事故が起これば深刻な事態が待っている高速道路の逆走。当事者にならないよう気を引き締めたい。
■逆走件数が複数回発生しているIC、SAなど全国33施設
施設名(所在地) 道路名 管轄会社
5回
坂出IC(香川県) 高松道 西日本高速
4回
諫早IC(長崎県) 長崎道 西日本高速
多久IC(佐賀県) 長崎道 西日本高速
3回
豊浜SA(上り)(香川県) 高松道 西日本高速
川内IC(愛媛県) 松山道 西日本高速
柳原出口(兵庫県) 阪神高速3号線 阪神高速
2回
高崎IC(群馬県) 関越道 東日本高速
伊勢崎IC(群馬県) 北関東道 東日本高速
花園IC(埼玉県) 関越道 東日本高速
館林IC(群馬県) 東北道 東日本高速
宇都宮上三川IC(栃木県) 北関東道 東日本高速
桜川筑西IC(茨城県) 北関東道 東日本高速
水戸IC(茨城県) 常磐道 東日本高速
四街道IC(千葉県) 東関東道 東日本高速
御殿場IC(静岡県) 東名高速 中日本高速
沼津IC(静岡県) 東名高速 中日本高速
新富士IC(静岡県) 新東名高速 中日本高速
新静岡IC(静岡県) 新東名高速 中日本高速
岡谷JCT(長野県) 中央道 中日本高速
彦根IC(滋賀県) 名神高速 中日本高速
坂出北IC(香川県) 瀬戸中央道 本四高速
津田東IC(香川県) 高松東道路 西日本高速
大野原IC(香川県) 高松道 西日本高速
高知IC(高知県) 高知道 西日本高速
松山IC(愛媛県) 松山道 西日本高速
西条IC(広島県) 山陽道 西日本高速
江津IC(島根県) 江津道路 西日本高速
川平IC(長崎県) 長崎バイパス 西日本高速
大村IC(長崎県) 長崎道 西日本高速
八代IC(熊本県) 九州道 西日本高速
松橋IC(熊本県) 九州道 西日本高速
清武JCT(宮崎県) 宮崎道 西日本高速
南港北出口(大阪府) 阪神高速4号線 阪神高速
※東日本・中日本・西日本・首都・阪神・本州四国連絡高速道路6社の「高速道路における逆走の発生状況と今後の対策について」(2014年)を基に夕刊フジ作成。対象は11~13年に起きた逆走事案541件
松井氏、ヤンキースフロント入り GM特別アドバイザー就任
ヤンキースは10日(日本時間11日)、OBの松井秀喜氏(40)がブライアン・キャッシュマン・ゼネラルマネジャー(GM)の特別アドバイザーに就任すると発表した。松井氏は2012年の現役引退後、日米を通じて初めて特定球団に所属し、ヤンキースの球団フロント入りする。プロ野球巨人から監督就任のラブコールを受け続けているが、松井氏の描く将来像はどうやら方向が違うようだ。
ヤンキースによると、松井氏は傘下マイナーの試合を巡回して視察し、監督、打撃コーチらとともに打撃の改善に取り組む。キャッシュマンGMと選手強化担当のゲーリー・デンホ副社長の側近として仕事をするという。
現在は、チームのキャンプ地フロリダ州タンパで臨時コーチを務めており、11日に記者会見を行う予定。ヤンキースのマイナーには13年にドラフト2巡目で指名された加藤豪将内野手が所属している。
松井氏は巨人から再三監督就任のラブコールを受けているが、これまでに前向きな発言をしたことはない。今年も巨人やDeNAの春季キャンプを視察したものの、わずか数日で米国に戻ってヤンキースのキャンプに参加。今回、ヤンキースのフロント入りの決断をしたあたりからは、将来的にヤンキースのコーチ、もしくは大リーグ球団フロントの要職などの就任を目指しているようにも感じられる。
松井氏の特別アドバイザー就任のニュースは米メディアにも大きく取り上げられた。スポーツ専門局ESPNは「ヒデキ・マツイがヤンキースのフロント入り」の見出し。CBSテレビはキャンプでヤンキースのユニホームを着た松井氏の写真を掲載し「この男を覚えていますか?」と問いかけた。
ヤンキースのジョー・ジラルディ監督は、「彼は、膝に故障を抱えながら常に正しくプレーした。試合をどう戦うかも知っている。走者が得点圏にいるときに打席に立ってほしい打者であり、左投手も苦にしなかった。我々の組織に多くのものを加えてくれるだろう」と松井氏のフロント入りを歓迎している。
しかし、松井氏のヤンキース打撃コーチ就任については、「(今オフ、候補に松井氏の名前が挙がったことは)なかったと思う。まだコミュニケーションの問題がある。ただ時間をかけていけば、変わってくることもある」と語っている。
巨人・大田の確かな進歩「三振減」 4番“開花”へコツコツ
【プロ野球実況中継】巨人・原監督が今年の4番候補の1人とした大田泰示外野手(24)が苦戦しています。オープン戦10試合で31打数8安打で打率・258(10日現在)。
ただ、彼の進歩を見て取れる数字もあります。10試合で三振が3個。かつてクルクルと回ってばかりいた彼の打撃を思い起こせば、いかに少なくなったことか。
コツコツ当てにいくのなら、空振りでも思い切り振った方がいいという考えがあるかもしれません。が、川相ヘッドコーチは「センター中心に弾き返そうという意識の中で打てているから、方向性は正しいと思いますよ」と評価します。
オフに手術を受けた長野久義、アンダーソンの両外野手が2軍で調整中。開幕に間に合うか微妙な状況ですから大チャンス。「このチャンスにやらないでどうするのか。ただし、大田にはまあまあよくやってるって数字じゃなくて、ずば抜けた結果を残してほしい。突き抜けるような勢いがなきゃ」と原監督。
現在の数字はその期待に到底応えていませんが、“巨人軍の4番”という重責を担いながら数字を出すことがたやすいわけがない。大田選手は言います。「前のように打席で慌てることはなくなりました。今はしっかりと自分のフォームで打つ、そして成功事例を積み重ねることだと思っています」と。
川相ヘッドも「何試合か打てない時期があるのは当たり前だし、レギュラーはそんな簡単にとれるもんじゃない。問題はたとえ打てなくても巨人の4番として堂々としていられるかどうか。その姿なんですよ」。
かつてミスター赤ヘルとして君臨した山本浩二さんが、「4番・中堅」に定着したのは28歳のときと聞きました。大田選手も今は開花を待つつぼみのように力を充填していると信じます。叩き上げの4番誕生はファンにとっても待望のことでしょうから。
■松本秀夫(まつもと・ひでお) 1961年7月22日生まれ、東京都出身。早大卒、85年ニッポン放送入社。スポーツ部アナウンサーとして「ショウアップナイター」の実況などを担当。2005年ロッテ優勝決定の試合での号泣実況のほか、数々の名言がある。
桃子、勝負の年 リオ五輪へ例年と違った戦い 今季の成績しだいで
【SPORTS BAR】国内女子ゴルフが先週の「ダイキンオーキッド」(沖縄・琉球ゴルフ倶楽部)で幕を開けた。今年は、例年とはちょっと違った戦いが見られそうだ。2016年リオ五輪で、112年ぶりに正式種目に復帰するゴルフの“日本代表”への道である。
五輪の総出場枠は男女各60人。すでにJOCから15年度(15年1月1日から16年3月31日まで)の強化選手が発表されている。女子は大山志保、横峯さくら、成田美寿々、上田桃子、森田理香子、鈴木愛、酒井美紀、原江里菜の8選手だ。
世界ランク15位以内なら無条件で出場でき、各国最大4人だが、日本は大山の49位(3月2日現在)が最高のため、常識的に考えれば、出場枠は2人となりそうだ。
そんな中、リオに目を輝かせているのが上田桃子である。「マジでリオを目指したい。国を背負うのは普段のツアーでは感じられない重み…。だって日本中が応援してくれるんですよ」
目下、ランク69位で日本人では大山、横峯、成田に続く4番目だが、差はない。今季の成績がそのまま“リオへの道”へつながるとあって、意欲満々なのである。07年には諸見里しのぶと組んで国別対抗戦の第3回W杯(南アフリカ)に出場したが、14位に終わった。国を背負う重みを実感しただけに「今度こそ…」の思いが募る。
6年間戦った米ツアーから日本に主戦場を移した昨季…。開幕の頃は予選落ちを繰り返したが、8月の「キャットレディス」など2勝を挙げて復活した。リオ五輪強化選手に選ばれたことで、宮崎・フェニックスCCを無料で使えるメリットを生かし、年明け1月には師弟関係を結んでいる男子プロの谷口徹らと合宿を敢行、今季に備えた。
つい先日、『かんぽ生命』と専属契約を結び、5年ぶりにスポンサーも付いた。「自分が、まだまだだなと思うこともありますが、ケガさえなければ、結果が出せる準備はしてきたつもりです」と話している。
07年に5勝を挙げて賞金女王になった桃子の“リオへの道”挑戦。各トーナメントに一喜一憂するのもいいが、リオへの軌跡もまた、面白そうだ。 (産経新聞特別記者・清水満)