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人はなぜ無駄遣いをしてしまう?支出を減らし、無理なく節約できるスマホ活用術

人はなぜ無駄遣いをしてしまう?支出を減らし、無理なく節約できるスマホ活用術

 

 最近、新聞やニュースサイトなどに目を通すと、「ベア(ベースアップ)」「昇給」など、景気のいい話を見かけるようになりました。そんな折に水を差すようですが、ひとつ重要なことをお伝えします。それは、「勢いで生活水準を上げると、後で大変になる」ということです。

 給料が上がると、気が大きくなることもあり、どうしてもそれまでより消費を増やして生活水準を上げてしまいがちです。しかし、それをやってしまうと、お金は手元に残りません。無理に節約する必要はありませんが、「(お金が)入ったら使う」を繰り返していると、出費がかさむばかりです。年金など老後の生活保障も心もとない近年、自己防衛のためにも、将来の自分のためにも、節約を心がける必要があります。

 世界的に有名な投資家のウォーレン・バフェットでさえ、55年以上前に買った家に今も住んでいるといいます。

 では、人はなぜお金を無駄に使い、いたずらに消費を増やしてしまうのでしょうか。その大きな原因は、自分の消費状況を把握できていないからです。自分の消費行動に、きちんと向き合わないことに問題があります。さらにいえば、そもそも消費状況を把握するためのデータが揃っていないことが原因です。

 自分の消費行動を直視するためには、現状の支出を把握する必要があります。そういわれると、「そうだ、家計簿をつけよう」となるかもしれません。文房具店に行くと、確かに家計簿帳は売られています。私自身も、過去に何度か「俺家計簿」をつけようと試みました。投資に大きな才能を発揮できないので、支出をきちんと管理しないといけないという意識で、そのための基礎データを収集しようとしたのです。

 しかし、これが続きませんでした。「俺家計簿」は見事に三日坊主の状態で、書かれているのは最初の数行だけです。よく考えてみると、私は日記を続けられたためしがありません。最初の数ページだけ書き、あとは真っ白のノートを積み重ねてきました。とにかく、習慣化する前に挫折してしまうのです。確かに、「俺家計簿」への記録は大きな強制力があるわけではありませんし、そもそも「とりあえず記録しよう」という感じで、継続のモチベーションも強いとはいえないスタートでした。

 そうなると、まずは家計簿に記録することを習慣化するところから始めなければなりません。そこで私は、簡単に家計簿に記録できるような状況をつくるべきだと考えました。●記録に最適なツールはスマホ

 レシートをため込んでしまうと、どんどん後回しになってしまうので、買い物の直後に記録できれば一番楽です。その結果、私は普段から持ち歩いているスマートフォン(スマホ)で記録するという方法に落ち着きました。いつもスマホを手放さない現代人にとって、これは非常に合理的で効率的な方法といえるでしょう。買い物をしたらすぐにスマホに記録する、あるいはレシートを写真に撮っておくという方法もいいと思います。

 最初の2~3週間、意識して記録を残していれば、あとはそれが習慣になります。次第に、「財布からお金が出ていったら記録」というのが当たり前になってきて、今では記録しないと「気持ち悪い」とさえ感じるようになっています。

 今は家計簿のアプリやサービスがさまざまあるので、自分に合ったものを選んで使ってみるといいでしょう。中には、インターネットバンキングやクレジットカードと連携して、アプリやサービス上で一括管理できるものもあります。

 もちろん、個別にインターネット上で明細などを閲覧することはできますが、こまめにチェックしている人は少ないと思います。クレジットカードの場合、口座引き落としの前にお知らせのメールが来たから確認する、ぐらいの頻度の人が多いのではないでしょうか。

 その点、家計簿のアプリやサービスでは、設定さえすればインターネットバンキングやクレジットカードの情報を参照できます。それぞれのサイトにログインすることなく、支出や収入を確認することができるのです。

 1カ月、2カ月とデータが蓄積されてくると、自分自身の消費傾向が見えてきます。毎月、食事や雑誌にどれくらい使っているか、毎日買っているコーヒーが累積でいくらになっているのか、数字で見えてきます。

 自分の消費行動がどんな傾向にあるのか、または自分のお金にどういう流れがあるのか、ということを把握しておけば、今後のライフプランを設計するのに役立ちます。また、前述のようにインターネットバンキングやクレジットカードを連動させておけば、家賃や保険、その他のローンなどの固定費も、日々の支出と同時に管理することが可能です。●消費行動の数値化がライフプランに役立つ

 多くの人にとって、収入が劇的に変化するということはありません。増えるにしても、少しずつ増えていくものです。

 記録する作業を数カ月続けてみて、どう見ても入ってくる額に比べて出ていく額が多ければ、根本的な解決策を考える必要があるでしょう。とはいえ、多くの場合は「少し使いすぎかな」ぐらいの状況が見えてくると思います。そして、そんな「軽症」の場合にこそ、日々の消費行動を数値化することで、具体的な改善策を作ることが大切なのです。

 もちろん、ライフプランは人それぞれなので、一概にいうことはできません。しかし、今後の社会保障や年金の状況を考えると、現在の収入でどうやって自分の将来を作っていくべきかということを、記録したデータから考えておいたほうがいいでしょう。陳腐な言い方ですが、お金がすべてではないにせよ、ある程度精神的な余裕を確保できるだけの資金を持っていることは大事です。例えば、「6カ月間収入がなくても暮らしていけるように、お金を貯める」という目標を立ててもいいかもしれません。それを達成して初めて、投資に回す資金が発生すると考えましょう。

 健康に働いているうちに記録をとっておけば、一定期間無収入でも暮らせるにはいくら必要なのか、というのがわかるようになります。そして、その金額は実際の行動を反映したリアリティのあるものだからこそ価値があります。日々の記録やデータがあれば、現状の収入でどうやって自分の未来や万が一のための資金を確保していくのかという具体策を考えられるようになります。

 できる限り簡単に自分のお金を管理するには「zaim」や「マネーフォワード」などの無料サービスが便利です。機能をフルで使うためには月額数百円の課金をする必要はありますが、それも正確な管理によって無駄を排除するためのコストと考えれば安い投資といえるでしょう。

 もちろん、ほかにも家計簿のアプリやサービスは多数ありますが、個人的には以下の要素が揃っていれば便利だと思います。まず、スマホとパソコンでシームレスに使えること。次に、インターネットバンキングやクレジットカードと連携したり、レシートを写真撮影すれば自動的に反映してくれること、です。

 ぜひ、「ベア」や「昇給」といった言葉に心躍らせるだけではなく、自分のお金をしっかり管理する習慣をつけてみてください。ただ、偉そうなことを言ってはいますが、私自身もやっと記録が習慣化したところで、まだまだ道半ばの状況です。
(文=藤原実/藤原実税理士事務所所長、内閣府所管公益財団法人生涯学習協議会認定ビジネスモデル・デザイナー<R>)

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Jリーグ、サラリーマン指導者が名GMに 予算、チーム事情…現実に向き合い的確な運営

Jリーグ、サラリーマン指導者が名GMに 予算、チーム事情…現実に向き合い的確な運営

 

 ゼネラルマネジャー(GM)という役職は、日本のプロ野球では現役時代や監督時代に実績を残した元スター選手が務めることが多いが、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の場合は必ずしもそうではない。ちなみにスポーツマネジメントの世界では「監督に向くタイプ」と「GMに向くタイプ」は区別されている。

●スター選手ではなかったが、キャプテンシーを評価された

 ヴァンフォーレ甲府(以下、VF甲府)のGMである佐久間悟氏は、1963年東京都新宿区生まれの51歳。埼玉県の城西大学付属川越高等学校では主にディフェンダーとしてプレーし、埼玉県予選の準々決勝で浦和市立高等学校(現さいたま市立浦和高等学校)に敗退した。駒澤大学に進むと関東大学サッカーで活躍して4年時には主将を務めたが、リーグ戦で下位に沈み、さらに入れ替え戦に敗れて駒大は2部に降格した。

 Jリーグにおいては、「J2に降格すると、選手の流出といった戦力面だけでなく、ファンやスポンサー、自治体といったステークホルダー(利害関係者)に迷惑をかけてしまう」と話す佐久間氏は、監督としてもGMとしても残留や降格を経験した。学生スポーツとプロスポーツでは影響が違うが、すでに大学時代に降格の現実と向き合っていた。

 大学卒業後はNTT関東(当時)の社員としてサッカーを続けた。まだJリーグ創設前の日本サッカーリーグ(JSL)の時代だ。「現在とは周囲のプレッシャーもまるで違う環境の中」(佐久間氏)、ディフェンダーとしてプレーし入社2年目から副将、3年目からは主将を務めた。だが椎間板ヘルニアが悪化し、28歳の若さで現役を引退した。引退後は「社業に没頭して出世をめざそうと思った」というが、大学と社会人で主将を務めたキャプテンシーを見込まれ、コーチ兼主務の声がかかり、チームスタッフとして残った。

 Jリーグ創設当初は参画を見送ったNTT関東だが、大宮市(現さいたま市大宮区)など地元自治体の勧めもあって、チーム名を「大宮アルディージャ」に変えて参画を決断。佐久間氏はコーチ業の傍ら「プロ化準備室員」を兼任して、プロサッカーチームの組織づくりを進めた。45歳で退社するまで、メディアから「サラリーマン指導者」とも呼ばれた。大企業の組織人として社内外でプレゼンテーションを続け、反対意見と向き合いながら周囲を巻き込み、大宮でプロサッカーチームをつくり上げたのだ。●欧州留学で学んだ、理想のサッカーと現実の戦い

 そんな佐久間氏が指導方法として目を開かされたのは、32歳の95年に社命で留学した欧州でのことだ。時系列的に前後するが、当時のNTT関東は日本フットボールリーグ(JFL=Jリーグの下位リーグ)でも下位に低迷するチームだった。そこで同氏は「チーム強化につながる理想のサッカー」を追い求めて、まずは日本サッカー界が影響を受けてきたドイツに渡ったが答えは見つからず、悶々とした気持ちのままオランダに向かい、そこでようやく見つけることができた。

 それは「ダッチビジョン」という理論だった。オランダ代表監督として74年ワールドカップ準優勝、88年欧州選手権優勝を果たした名監督であるリヌス・ミケルス氏がまとめた同国の指導育成プログラムである。当時のアヤックス・アムステルダム監督だったルイ・ファン・ハール氏(現マンチェスター・ユナイテッド監督)からも身近に学んだという。

 少し専門的になるが、ダッチビジョンとは「楽しませる:Enjoyment」「繰り返し練習させる:Repetition」「よい指導をする:The quality of coaching」が基本で、練習方法も「少人数での練習から始めて多人数での練習へ移行」「試合のある部分を切り取って練習する」など、実践的な指導方法だ。今では高校サッカーチームも取り入れる理論だが、20年前の日本サッカー界には新鮮だった。

 オランダで学んだ攻撃的サッカーを理想に、大宮アルディージャやVF甲府の監督やフロント幹部としてチーム整備を進めてきた佐久間氏だが、予算面の制約やチーム事情といった現実と向き合う意識は高い。

「それはサッカー先進国では常識です。現在のVF甲府における戦術でいえば、理想=攻撃的にパスを運ぶサッカー、現実=守備を固めて逆襲速攻といえます」(佐久間氏)

 かつて、J1に昇格した直後の大宮アルディージャ時代には、J2に再降格しないためのデータ分析をした。そこで得た結論は「昇格後2年以内に再降格した大半のチームは守備崩壊が原因」というものだ。これは現在でも変わらず、例えば昨季J1に昇格した徳島ヴォルティスはリーグ戦34試合で得点16、失点74という結果で、早々とJ2落ちが決まってしまった。

 だからこそVF甲府は「昨季の総失点数がリーグ2位タイの守備力を継続した上で、ボール奪取力を高めて攻撃し、1試合平均の得点数を昨季の0.9点から1.3点に高めたい」(佐久間氏)という現実路線で今季のJ1に挑む。●サッカークラブの枠を超え、地域創生の起爆剤に

 そんな佐久間氏の手法を批判する勢力もある。大宮アルディージャ時代には、試合後にサポーターが居残って抗議を続け、観客席に「佐久間辞めろ」と横断幕が掲げられたこともあった。そこでVF甲府では、より一層、交流に力を入れている。例えば、チームのサポーター組織の代表とは2カ月に1度話し合いを行い、クラブの最新情報を伝えながら本音の意見を交換している。もちろん、選手との対話も重視する。

「個人面談では、本人のパフォーマンスを基に期待する役割や要望を伝え、クラブの財政状況など情報も開示します。不満や要望にも耳を傾け、チーム全体の改善につながる話はできるだけ希望に沿うよう動きます」(佐久間氏)

 現在の佐久間氏は、VF甲府のブランドイメージ向上の活動にも携わる。これも同氏の発案が多く、「地域創生の起爆剤として、サッカークラブの枠を超えた存在になりたい」との思いからだ。

 例えば、「東南アジア市場の開拓」もその1つ。1月28日には建設機械の製造・販売を行う地元企業の日建とパートナーシップを結び、東南アジア諸国でサッカー教室などの国際交流を開くことを発表した。サッカー教室は国内で実施する方式の応用版だ。佐久間氏は「これが定着すればミクロの視点では引退後の選手の雇用も期待でき、マクロの視点では、アセアン諸国におけるオール山梨の取り組みにつながります」と語る。

●GMに求められる資質

 最後に、話をチーム強化におけるGMの役割に戻すと、同氏に教えてもらった「GMに求められる5本柱」がユニークだ。JリーグのGM講座で英国リバプール大学を訪れた際、最初の授業でローガン・テイラー教授が語った言葉だそうだ。

(1)GMは「教会で働いている」と考えなさい
(2)クラブチームが「何を売り物にしているか」を考えなさい
(3)プロサッカークラブは「関係者に苦悩を提供している」と理解しなさい
(4)サポーターが「あなたを嫌っている」と理解しなさい
(5)それでも「サポーターと結婚しなさい」

 それぞれ補足すると、(1)は社会奉仕の精神で、今の仕事はあなたが偉いのではなく、神から与えられているもの。(2)と(3)は観客に喜びと同時に失望感や悲しみといった苦悩を売っている。(4)は熱心なサポーターほど「自分がやったほうが成績はよくなる」と思っている。(5)はそういう人たちをすべて許して、その人たちに寄り添いなさい――というものだ。

 佐久間氏の意識の片隅にはこれがあり、物事を進める場合は「未来志向」で考えるそうだ。未来志向とはロマン追求にもつながる。同氏は、吉田松陰の「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。ゆえに、夢なき者に成功なし」という言葉が信条だという。

 1月10日付当サイト記事『瀕死のドラゴンズ、ファンもあきれる…不可解な契約更改、デタラメな球団経営&人事』は、プロ野球におけるGMの役割を読者が考える機会となることを願って寄稿した。今回のJリーグのGMは、その続編的位置づけである。地域財産であるプロスポーツの健全な発展のために、球団やクラブのGMが「関係者に苦悩を提供する常識人」であってほしいと願っている。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)

花粉少ないスギ、なぜ植え替え進まない?完了まで300年超か 東京都の花粉症撲滅作戦

花粉少ないスギ、なぜ植え替え進まない?完了まで300年超か 東京都の花粉症撲滅作戦

 

 春の風物詩ともいえる花粉症。一昔前は、マスク着用の人たちは冬季にしか見られなかった。それが、今では春になっても街にあふれている。日本では花粉症の主原因は、スギの花粉だとされている。そこでスギ花粉が多く飛散する春には、外出をためらう人も少なくない。

 あまりにも深刻化する花粉症に、行政も対策に乗り出している。なかでも、トップ自らが号令をかけて花粉症撲滅に着手したのが東京都だ。きっかけは2005年、当時都知事だった石原慎太郎氏の鶴の一声だった。石原氏は公務で多摩地域を訪問したとき、花粉症を初めて発症し、花粉症撲滅を宣言した。

「行政が花粉症対策をしているというと不思議に思うかもしれませんが、例えば、大気汚染や水質汚染といった環境問題で行政は動きます。実際に花粉症で都民から困っているという声が届いているわけですから、それらを解消するために行政が動き出すのは当然だと考えています」(東京都産業労働局森林課)

 花粉症が社会問題化した根源は、1950年代後半~70年代の高度経済成長期に求められる。当時、経済は右肩上がりを続けていた。年々、東京の人口は膨れ上がり、それに伴って住宅建設は急増。住宅用建材も需要を増やした。高度経済成長期に増えたのは、住宅用建材だけではない。パルプ・木材チップの需要も増えている。55年には、国内木材需要量は年間4528万平方メートルだったが、わずか15年後の70年に1億平方メートルを突破している。

 木材需要量の増大に、政府や地方自治体は植林を奨励した。行政の後押しもあり、スギの木が各地で植林されていった。

 しかし、いくらスギの木をたくさん植えても、その木が用材として使える大きさにまで成長するのは30~50年の歳月が必要になる。それでは木材需要は満たせないため64年、木材供給量を増やす目的で政府は木材の輸入を全面自由化に踏み切った。この措置で外材供給量が増加すると、今度は国内林業の採算性が悪化。結果、国内の林業は儲からない産業となり、衰退した。衰退する産業に、当然ながらなり手は現れない。後継者不足が深刻化し、人手不足を理由に植林されたスギは放置された。成長したスギの木が花粉をまき散らし、現在それが国民に猛威を振るっている。今般、日本国内に蔓延しているスギ花粉を主原因とする花粉症は、高度経済成長の負の遺産なのだ。●植え替えが進まないさまざまな要因

 東京都が花粉症撲滅に乗り出したのは、スギが盛んに植林された時期から約50年が経過した頃だ。用材としては手頃な大きさに成長しており、植え替えをするにはちょうどいいタイミングだった。東京都は、伐採した後に花粉の少ないスギに植え替える「花粉の少ない森づくり」事業を06年からスタートさせた。花粉が少ないスギは、従来のスギと比べると花粉量はたった1%しかない。つまり従来のスギよりも花粉が99%削減されているのである。花粉症の発症は花粉の飛散量とは相関関係がないとの説もあるが、それでも花粉症に悩まされている人たちにとって、飛散する花粉量の減少は大歓迎に違いない。

「『花粉の少ない森づくり』は端的にいってしまえば、現在植えられているスギを伐採して、花粉の少ないスギに植え替える事業です。森林には水源涵養や土砂防止、土壌保全といった役割があるため、手当たり次第に伐採することはできません。計画的に植え替えを進めなければならないのです。品種改良で花粉の少ないスギができても、すぐにスギ花粉をなくせるわけではありません」(同)

 スギの植え替えを阻む理由は、ほかにもある。多くの山に植林されているスギは個人の所有物であり、いわば個人の財産に当たる。いくら行政といえども、それを強制的に伐採することはできない。

 さらに、国内林業は、北米や北欧などからの輸入木材によって不採算産業と化した。木材を伐採しても商売的に引き合わない。だから、林業事業者はわざわざ赤字を出してまで植え替えをすることに消極的だった。そうした複数の理由が絡み合い、花粉飛散量の少ないスギへの植え替えはなかなか進んでいない。

「花粉の少ない森づくり」事業は開始から約10年が経過し、その間、都知事は猪瀬直樹氏、そして現職の舛添要一氏へと替わった。森林課によると、スギの植え替えは毎年60ヘクタールずつ進んでいるという。東京都の森林面積は約2万ヘクタール。単純計算しても、すべてを植え替えるのに300年以上もかかる。気の遠くなる作業だ。

「それでも事業開始当初と比べると、植え替え作業はペースアップしていて、年間の植え替え面積は増えています。今後はもっとペースアップを図りたいと思っていますが、森林の植え替えを進めるためには、木材の地産地消を推進することが最も有効的です。東京都では森林の大半は多摩地域に集中していることを鑑み、多摩産の木材使用を積極的に推奨しています。多摩産の木材を使うことで、多摩のスギが伐採され、花粉の少ないスギを植える循環ができるのです」(同)●他県とも協力

 しかし、東京都内で飛散するスギ花粉は、東京都内だけが発生源ではない。近隣の県からも毎年多くの花粉が飛んでくる。そのため、東京都は近隣の県や政令指定都市と「九都県市花粉発生源対策推進連絡会」を組織して、情報共有や伐採の計画などを共同で進めている。

 また、こうした花粉症対策に取り組んでいる部署は、森林課ばかりではない。東京都福祉保健局では花粉症対策のシンポジウム・セミナーを開催して情報提供に努め、医薬品開発の協力もしている。地方の動きに連動して、国内産木材の利用を促進させる素地も整いつつある。これまでは地震に弱い・火事に弱いとされてきた木造建築だが、木材加工技術や建築施工技術の進化によって耐震性や防火性は格段に増している。昨今では、木造建築のほうが鉄筋コンクリートより耐震性も防火性も優れていると主張する建築学者もいるほどだ。

 官の側にも木材利用を加速させる兆候が出ている。10年に発足した菅直人内閣では、林業を成長戦略に掲げて「森林・林業再生プラン」を策定。菅政権は、「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」を成立させて、国内の木材利用の旗振り役を務めた。

 花粉症による経済的損失は、1兆円との試算もある。この数字は、医療費や花粉症による労働生産性の低下が含まれている。あくまで参考的な数字ではあるが、花粉症になんらかの対策が必要であることを考えさせる。

 いまや国民の3割が悩まされているともいわれるほど、国民病になった花粉症。300年後までかかる壮大な計画ではなく、一刻も早く花粉の撲滅される日が来ることを望む。
(文=小川裕夫/フリーランスライター)

こんな人は40歳で失速する 20代で蓄えた知識や経験を陳腐化させる30代の過ごし方

こんな人は40歳で失速する 20代で蓄えた知識や経験を陳腐化させる30代の過ごし方

 

 2014年11月22日付当サイト記事『人生を豊かにし、富裕層入りするためのキャリアモデル 日常生活に組み込むべきプロセス』および15年2月5日付記事『深夜残業でがむしゃらに働く美学、無意味な自己陶酔?小さな仕事でやりがい感じる、の罠』において、知を創造する(イノベーションを起こす)基本的なプロセスである知識創造理論のSECI(セキ)モデルを紹介し、ビジネスパーソンのキャリア形成に当てはめた「SECIキャリア」モデルを解説した。大切なのは、知識創造型人生を歩み、知識創造企業づくりに貢献するキャリアを形成することである。

 その第一段階として「Socialization」(暗黙知を吸収するフェーズ)、主として20代の暗黙知の蓄え方を述べた。今回は第二段階の「Externalization」(暗黙知を形式知に転換するフェーズ)、つまりSECIモデルのEのキャリア形成について考えてみたい。

 暗黙知の形式知への転換が特に重要になってくるのが30代だ。現場で下積みを重ねる20代はすべてが新鮮で、そのエッセンスを吸収して暗黙知をたっぷりと蓄える。そして、その後に訪れる30代は、気力・体力・知力の三拍子が揃った怖いもの知らずの時期だ。

 古い秩序を壊し、新しいことに挑戦し、新しい伝統を築く。そんな気概に燃える時期でもある。いわば、ビジネスパーソンの黄金期といえるだろう。一般的には課長などの役職に就く前なので数字的な責任を負うこともなく、オフも充実させやすい。

 そんな、キャリアの絶頂期である30代は、なんのためにあるのだろうか。20代の時の暗黙知の蓄積があれば自信を持って動けるのは確かだが、本当にそれだけでいいのだろうか。

 そこで、知のスパイラルアップという視点を持つ必要がある。漫然と暗黙知を溜めこみ、それを土台に新しいことに挑戦するだけでは、「自分の知」が定着しているかどうかはわからない。一度、暗黙知を形式知化して自分の血肉とするためには、自分の中の暗黙知について「いったいなんだったのか」と振り返ることが必要である。そうすることによって初めて自分を客観的に見直し、仕事を再定義するチャンスに恵まれ、知の質を高めることでステップアップできるのだ。

●暗黙知を形式知化するEのキャリア

 例えば、人事の仕事を考えてみよう。20代でがむしゃらにがんばり、さまざまなコツ(暗黙知)を身につけて現場から頼られるようになる。本人としてもうれしく、やりがいもある。しかし、現状の仕事にどれだけ精通しても新たな人事のコンセプトは生まれないし、経営陣に新しい戦略を提言することもできない。ただ単に現場通の人事労務担当者になっていくだろう。 そこで、暗黙知を形式知にするネタとして位置づけることが必要なわけだ。最終的に目指すのは知の創造である。「新しい人事のあり方とは」「次の時代の人事とは」という新たな知の創造のために現場での経験を生かすのであって、現場での暗黙知の吸収にいそしみ、現場作業のプロになることが目的ではないはずだ。

「いったい自分は何をやりたいのか」「どういう組織や風土を作っていきたいのか」「どういうイノベーションに向けて組織を構築したいのか」、ひいては「自社はどのように未来の社会創造に貢献すべきなのか」――。こういったことを考えながら、自分の仕事の理論、流儀、哲学を抽出=形式知化する。これが、Eのキャリアの真骨頂である。

 暗黙知に安住することなく、未来の視点でこれまでの自分の価値を再構築することができなければ、マネジメントに提言して新たな時代づくりに参画するプロとして羽ばたくことはできない。暗黙知に安住する人は課長になる時期、つまり40歳前後で必ず失速してしまう。20代の時に溜めこんだ暗黙知が陳腐化し、自分の実力と考えていたものがシロアリに食われた土台のようにボロボロになってしまっているからだ。

 こうした事態を避け、自分の知を形式知化し、プロとしてのコンセプトを作るためにはどうしたらいいのだろうか。やはり、自分の知をあぶり出して客観視する場を作る必要がある。そのために、部門間異動や海外出向、他社とのプロジェクトなどの体験は大いに役に立つ。今までの暗黙知がそのままでは使えない状況になるからだ。好むと好まざるとにかかわらず、それまでの知識を一度整理せざるを得ない環境に身を置くことになる。

 また、MBA(経営学修士)で経営理論を学んだり、他社の友人と議論したり、論文を書いたりすることも、自分を見つめ直して自分の価値を表出化させるためには有効だ。筆者自身も、英国に留学して修士論文をまとめたことが自分の中で大きな転機になっている。

 企業内であっても、教育部門での教育企画の経験、マーケティングのように社会や顧客との接点が多く分析する業務など、コンセプトを大事にする部署での経験は役に立つ。

 このように、企業の中に「Externalization」を行いやすい環境はある。あとは、いかにしてそこに身を置くかが重要だ。人事異動を上司に訴えるのもいいし、社内公募に応募するのもいいだろう。転職でのキャリアアップの際も、そういった意識が重要になる。自分のキャリアは自分で築くわけだが、それをこのSECIに従った知の文脈づくりの観点に立って行うことで、将来必ず花開くものになる。

 次回連載では、40代で重要なSECIのC、つまり「Combination」(コンビネーション)について考えたい。
(文=徳岡晃一郎/経営コンサルタント、多摩大学大学院教授)

震災の犠牲者と心霊体験を結びつけるのは不謹慎なのか?

震災の犠牲者と心霊体験を結びつけるのは不謹慎なのか?

 

震災から4年経った今でも、被災地でささやかれる幽霊の目撃談。

その正体を追った本誌記事「NHKも取り上げた被災地の“心霊体験”はまだ終わっていなかった」(http://wpb.shueisha.co.jp/2015/03/09/44659/)には大きな反響が寄せられた。

災害社会学や災害情報論を専門とする日本大学文理学部社会学科の中森広道教授が行なった調査では、上記で紹介した他にも以下のような多くの体験談が寄せられている。(13年12月に行なった『「東日本大震災」に関する流言・うわさ・前兆現象ならびに都市伝説に関する調査』より。具体的な地名は編集部で伏せさせていただきました)

●津波から逃げているのか、建物に走って入る幽霊の話を挙げたらきりがないほど聞いた。何度も同じことを繰り返し続けているらしい。
●某所に打ち上げられた貨物船には幽霊が出るといわれている。
●震災から1年経過したとき、O町の実家で故障でもないのに蛍光灯がまだらに点灯し始め、最後に行方不明の親戚(役場職員)の顔の輪郭のように光った。
●多くの方が亡くなった市の施設から声が聞こえる。
●某所ではタクシーに乗り込む幽霊が頻繁に出ると聞いた。「私、死んだんでしょうか?」と尋ねてくるとのこと。
●夜、車で走っていると大勢の人に囲まれ動けなくなった。
●遺体安置所になった体育館から、うめき声が聞こえると近所の人たちが言っている。
●海沿いのコンビニでお化けが出るという噂があり、それが原因で閉店してしまったらしい。
●行方不明の子供が夢に出てきて、親が夢に出てきた場所に行ったら、遺体を発見した。
●某所の小学校近くで火の玉が飛んでいて、助けを求める声がする。

このような「震災怪談」に、あなたはどのような感想を持つだろうか?

先の記事では、ネット上でも実に様々な反応が寄せられた。「自分や知人も体験したことがある」「幽霊であっても家族と再会したい」「亡くなった方のご冥福をお祈りしたい」など肯定的な感想が多かった一方、「震災の犠牲者の幽霊話なんて不謹慎では?」という戸惑いも少なからず見受けられた。

なぜ日本人はこうした怪談を語り継ぐのか? 震災の犠牲者と怪談を結びつけるのは不謹慎なのか? そこで、怪談文芸雑誌『幽』の編集顧問で、古今東西の怪談に詳しい文芸評論家・東雅夫氏に聞いた。

―被災地の怪談に、どのような感想をお持ちですか?

東 肉親との絆を確かめたり、無念な思いを伝えたりするために現れる話が多いように感じます。人を怖がらせたり、驚かせたりしない、ジェントル(優しい)ゴーストストーリーと呼ばれる物語ですね。

―幽霊を目撃した人たちは怪談を語っているという感覚はあるのでしょうか。

東 おそらくないと思います。ただ、幽霊でもいいから理不尽に奪われた大切な人の存在を身近に感じたいというのは自然な感情でしょう。

―東さんは震災後も「みちのく怪談コンテスト」を催されましたが、「震災怪談」は不謹慎なのではという声もあったのでは?

東 幸い批判はほとんどありませんでしたが、怪談にはおどろおどろしくて興味本位という偏見があります。不謹慎なのでは、という人の気持ちもわからないではありません。

ただ、私は「慰霊と鎮魂の文芸こそ怪談である」と思ってますし、慰霊と鎮魂は必ずしも神妙な顔でやらないといけないものとも思ってません。

―どういうことですか。

東 日本人は様々な局面で死者を慰霊、鎮魂して共存を図ってきました。日本を代表する古典芸能の能楽や歌舞伎も同じだと思いますし、私たちが子供の頃、お化け映画と呼び、怖いもの見たさで足を運んだ怪談映画の根っこにも慰霊と鎮魂があるんです。

『四谷怪談』や『累ヶ淵(かさねがふち)』『番町皿屋敷』。どれも理不尽に殺された犠牲者がお化けになって復讐(ふくしゅう)するという似たような筋書きですが、それを何度も繰り返し見て怖がることで、お岩さまや累さん、お菊さんら非業の死を遂げた者の思いを共有するわけです。

―エンターテインメントも含めて慰霊と鎮魂である、と。

東 はい。盆踊りの風習がまさにそうです。お盆の時期は、玄関先でたいた迎え火を目指して死者が戻ってくるといわれています。古い風習が残る地域では手ぬぐいや笠で顔を隠して踊ります。踊り手が誰かわからなくするために顔を隠すのですが、もっといえば、誰かどころか生者か死者かもわからなくする。つまり、夜を徹して生者と死者が歌い踊り交歓するわけです。

―最後に、幽霊の存在をどうお考えですか。

東 見たことがないので「いる」とは言えませんが、古くからこれだけ体験談や目撃談が本当にたくさん残っているのですから「いない」とはもっと言えないでしょうね。怪談というと荒唐無稽(こうとうむけい)に思われがちですけれど、それでは誰も怖がりませんし、残っていかない。

地域の記憶をリアルに切り取っているから皆怖がるし、語り継がれるわけです。優れた怪談には、時代の空気や普遍的な人の思いが映し出されているんです。

●東雅夫(ひがし・まさお)
1958年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。文芸評論家、アンソロジスト。怪談専門誌『幽』編集顧問。著作に日本推理作家協会賞を受賞『遠野物語と怪談の時代』のほか、『妖怪伝説奇聞』『なぜ怪談は百年ごとに流行るのかs』など多数

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上原健二
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