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徳島県警OBで元交番相談員がコインランドリーで女性の下着盗む
徳島県警OBで60代の元交番相談員の男がコインランドリーで、女性の下着を盗んだとして、県警が3月9日付で書類送検していたことが分かった。
送検容疑は、1月25日午前4時頃、同県徳島市内のコインランドリーで、乾燥機から20代女性のパンティー1枚を盗んだ疑い。
県警によると、洗濯物を取りに戻った女性が、乾燥機の中を物色している男を発見。男は車で逃走したが、女性が110番通報。女性が記憶していた車のナンバーから、男が特定された。
任意の事情聴取に対し、男は「性的な興味があった」と容疑を認めた。自宅からは十数枚の女性用下着が見つかった。
言い訳ができなくなった男は、数年前から約20回にわたり、同様の盗みを繰り返していたことを認めた。ただ、県警は「被害者が特定できない」として、他の盗みについての立件を見送った。
県警は3月5日に、男を交番相談員から解任し、同9日に送検した。
男は県警職員として、定年まで勤め上げた後、交番相談員に就いていた。
県警監察課は「元警察官による窃盗は極めて遺憾。今後指導を徹底し、再発防止に努める」としている。
交番相談員は、地理案内や落とし物の受理などを担当する非常勤特別職員。住民の困りごと、意見、要望等の聴取及び住民に対する助言や、犯罪の予防、災害事故の防止、その他、住民の安全で平穏な生活を確保するために、必要と認められる事項についての指導連絡及び広報活動などを任務としており、現職の交番勤務の警察官の補佐的な役割。
(蔵元英二)
*写真イメージ
網走のお土産が刑務所に頼りすぎな件 / そして女満別航空には網走らしすぎる注意書きがある
私(佐藤)は先日、北海道の網走市を訪ねた。網走には日本最北端の刑務所があり、旧刑務所の建造物「五翼放射状平屋舎房」は世界最古にして最大の木造行刑建造物として、有形文化財に登録されている。観光資源のひとつが刑務所という、全国でも稀な場所である。
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当然、土産物は刑務所や監獄関連のものが多いのだが、もしも網走でなければ「不謹慎ではないかな?」と思ってしまうものまで販売している。さらに女満別空港には、驚くべき注意書きがあるのだが、その内容がなんとも網走らしいのだ。
・刑務所関連商品随一の場所
観光名所のひとつが「博物館網走監獄」である。これは、旧刑務所の建造物の数々を復元・再現しており、刑務所の歴史を学ぶことができる場所だ。おそらく、刑務所関連商品を販売しているお店のなかで、もっとも品揃えが多いのがここの土産物屋ではないだろうか。そんなに売る物があるか? と思うほどの充実した品揃えだ。
・プリントTシャツ
もっとも印象に残る商品はTシャツ。「脱獄囚」とか「模範囚」などの文字が入ったTシャツが、100着以上飾られている。大人サイズのものだけでなく、子ども用のTシャツまである。我が子に「脱獄囚」というTシャツを着せるかどうかは微妙なところ……。
・お菓子
品揃えが多いのはお土産用の菓子類。中身はさまざまだが、「網走監獄から帰りました」とか「網走監獄 見るにはいいが入っちゃいけねえ」とか。中身が何かさっぱり想像つかない。インパクトはあるんだけど。
・ボクサーパンツ
あとは意外に多かったのがボクサーパンツ。「模範囚」や「脱走」などの文字がプリントされている。もしもロマンチックなタイミングで男がこんなプリントパンツを履いていたら、相手はかなりドン引きするだろう……。これらの商品は博物館だけでなく、駅や空港の土産物屋でも販売されている。
・網走らしい注意書き
最後に、空港で見かけた注意書きがかなり網走らしく感じられた。それは、機内への手錠の持ち込みはできないというものだ。手錠もまた刑務所関連で販売されているグッズのひとつ。たしかに機内に持ち込んで何かあったら大変だ。土産で買う場合は、預けなければ持ち帰ることができない。それなら販売しない方が良いような気もするのだが……。
それにしても、土産物の大半が刑務所絡みのものとは。網走ならではの特権か、でもちょっと頼りすぎじゃないかなぁ……。
Report:佐藤英典
結局無罪の小沢一郎報道とは大違い 安倍政権の“番犬”と化した大新聞、テレビ局の魂胆(1)
「もはや政権はスキャンダルの火薬庫。政治とカネにまつわる疑惑は今や首相にまで飛び火しているが、それでも安倍政権が倒壊しそうにないのは、“言論弾圧”とも言える統制を新聞、テレビに強いているから。ファシズム的な策略が、世論を封じ込めているのです」
夕刊紙記者が語るのは、安倍政権に噴出した一連の醜聞のことだ。西川公也・農水相、下村博文・文科相に始まった献金疑惑は、その後閣内に波及。環境相や法相、官房長官までが国の補助金受給企業から献金を受けていたことが発覚し、果ては安倍首相がその末席に名前を連ねたほど。
また、故・中川昭一元財務相の妻である中川郁子・農水政務官が、同じ自民党の門博文衆院議員と路上キスに及ぶ姿を週刊新潮が報道。同氏は辞任に追い込まれそうだが、それでも政権の屋台骨が揺るがない裏には、マスコミを牛耳った安倍首相の老獪な策略が渦巻いていると評判なのである。
その内幕を全国紙政治部記者がこう明かす。
「安倍政権は醜聞まみれの状態だが、その多くは週刊誌のスクープ記事。テレビはこれをスポットで報じる以外、ほとんどワイドショーでも取り上げず、新聞も紋切り型の批評を掲載する以外は、明らかに及び腰。これが世論の広がりを阻んでいるのです。要は両メディアは牙を抜かれ、今や安倍政権の“番犬”と化してしまっているのです」
同記者によれば、こうした事態に陥った最大理由は、昨年注目を集めた朝日新聞の「福島第一原発事故時の誤報」と「慰安婦問題における誤報」にあるという。
「知っての通り、朝日は昨年5月に福島第一原発の吉田昌郎所長の肉声を記録した『吉田調書』を元に、『所員の9割が所長の待機命令に違反し、第二原発に撤退していた』と報じたが、これに憤る安倍政権は、他のマスコミを使って誤報説を流したほど。また、昨年9月に朝日の木村伊量社長が、この原発報道と慰安婦報道の誤報を認める謝罪会見を開かされたことに他社が震え上がったのです」(同)
しかも、これには後日談があるという。謝罪会見で朝日新聞が51万部を超える部数を減らしたことは有名だが、「これが原因で新聞業界は、すっかり毒気を抜かれてしまった」というのである。
「つまり、新聞界はこの騒動で、ほぼ安倍政権の報道規制の軍門に下ってしまった。一連の醜聞の先駆けとなる西川農水相の献金疑惑をスッパ抜いたのは毎日新聞だが、この報道にもギリギリの判断があったと評判なのです」(前出・夕刊紙記者)
文化庁『メディア芸術データベース』の活用法と今後の課題
文化庁は3月17日、2010年(平成22年)に事業を開始した『メディア芸術データベース』を公開しました。公開時点では漫画単行本約25万冊・雑誌約8万冊、アニメ約9000タイトル、コンピュータゲーム約3万5000タイトル、メディアアート関連イベント約1万件(オンライン上の公開は26件)が登録されており、今後もデータの更新・拡充を予定しているそうです。
ジャンル別に見て行くと、まず「マンガ」では単行本だけでなく雑誌各号の目次情報が登録されていることが目を引きます。現時点で目次情報が登録されているのは『週刊少年ジャンプ』や『なかよし』『COM』など10誌に留まっていますが、作品内のエピソードタイトルも網羅されているため今後もデータが拡充されて行けばより有用性が高まることは間違いありません。注意点としては、資料ごとに国立国会図書館など6館の所蔵情報が表示されますが『コロコロコミック』のように国会図書館の分館である国際子ども図書館が所蔵している資料は現時点で所蔵情報に表示されないことが挙げられます。著者情報は今のところ作品への紐づけのみが行われているものがほとんどですが生没年月日、特に没年の欄が用意されている点は将来的な作品の利活用に資すると言う意味で特に評価出来るポイントの一つです。今後は国会図書館の典拠データ検索・提供サービスやバーチャル国際典拠ファイル(VIAF)との連動が期待されます。
「アニメーション」は1917年(大正6年)から2014年(平成26年)9月までの100年近い期間に公開された作品を劇場版・テレビシリーズ・OVAにまたがって網羅しており、データベース公開時点では最も充実した分野になっています。横断的なものではこれまで『Anime News Network』を始めとする海外のデータベースぐらいしかオンライン上で参照可能な情報が無かったことを考えると日本語でこの規模のデータベースが公開されたのは画期的な出来事と言えるでしょう。エピソードタイトル等の詳細情報はまだ公開時期が新しいものしか入力されていませんが、放送開始・終了日や本放送時の放映時間などのデータはほぼ入力が完了しており、原作漫画やコミカライズがある場合は「マンガ」の作品情報と相互リンクが張られているなどデータベース間で繋がりを持たせている点も特徴的ですが、ゲーム化作品は今のところ相互リンクの対象になっていません。
「ゲーム」は1972年(昭和47年)以降の家庭用・アーケードゲームの大半と一部のPC用タイトルが登録されています。データベースに登録されているタイトル数は「マンガ」や「アニメーション」と肩を並べる規模ですが、他のジャンルに比べて登録情報がやや淡々としていたりシリーズ作品を同時に参照することが出来ない点は改善の余地が感じられます。面白いのは検索画面で「一覧」を選択すると、各年ごとにリリースされたゲームタイトルが年表形式で一斉に表示されることです。ただし、端末の性能や回線状況によっては読み込みに時間がかかるので表示を試してみたい場合は登録件数が少ない「PC」をお薦めします。
この『メディア芸術データベース』まだ「開発版」と言うこともあり、今後もデータ拡充や諸機能の改良に期待したいところですが一点だけ早急に改善を要すると感じたのは「メール送信フォームをわかりやすい場所に設置して欲しい」と言うことです。今のところトップページ下部にある「御意見」の欄に記載されたメールアドレスへ意見を送るのが唯一の連絡手段とされていますが、細かい誤字などを指摘する際に「メディア芸術データベースへの意見」の件名で形式ばったメールを何通も送ると言うのは送る側の心理的な負担が大きいので、より完成度の高いデータベースを目指すためにも早期のデータ修正用送信フォーム設置が望まれます。
画像‥文化庁・メディア芸術データベース( http://mediaarts-db.jp/ )の「マンガ」トップページ
※この記事はガジェ通ウェブライターの「84oca」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?( http://j.mp/L1J0nN )
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徹底検証・徳川埋蔵金の真実 トレジャーハンター・八重野充弘 第11回 謎の石造物に刻まれた僧正の名前
群馬県内には道祖神や庚申塔、馬頭観音など、民間信仰に由来する素朴な石造物が多い。だから赤城山麓にそういうものがあっても不思議はないのだが、1860年(万延元年)から幕末までの8年間に集中的に建てられた石造物がある事実を、どうみればいいのだろうか? 特に、1864年(元治元年)に『大黒天』だけで8体も建てられているのは、ただごとではない。筆者がそれを知ったのは、1995年のことだった。
実はそれ以前から、赤城町棚下の岩壁に彫られた剣持大黒天(元治元年)や、津久田十二坂の狩野家梅林にある大青面金剛明王(安政7年)などが気に掛かっていた。徳川の埋蔵金が古兵法『八門遁甲』で隠されたのなら、必ず地上に目印が置かれているはず。その目印は「不動のもの」、つまり、長い時間がたっても移動したり消滅したりしないものでなければならない。宗教に関連したもの、石造物が使われていることが多いと聞く。
そこで、他にも何かあるかもしれないと考え、前号でご紹介した岩手県の牧場主の調査に付き合った後、赤城村(当時)の役場に立ち寄った。教育委員会がまとめた石造物のリストがあると聞いていたからだ。運良く残部があったので一部分けてもらったのだが、帰京後すぐに地元の人物から電話がかかってきた。役場に置いてあった名刺から筆者の連絡先を知ったらしい。
ガソリンスタンドを経営しているというその男性Tは、筆者が徳川埋蔵金の調査をしていることも知っていて「なぜ石造物に興味を持ったのですか?」と問いかけてきた。「御用金の埋蔵場所へ導く手掛かりを探していたもので」と正直に答えると、相手はこう言った。
「ぜひ聞いていただきたい話があります。私たちは埋蔵金探しをやっていたわけではなく、趣味で山岳信仰と石造物の関係を調べていたのです。ところが幕末に建てられたものがやたらに多いので、それがなぜなのか不思議に思って研究していたところ、それらを建てた人物が特定できたのです。やっぱり、埋蔵金に関係があるとしか思えません」
筆者はだんだん血が沸き立ってきた。(彼は、僕の知らないことを知っている!)
数日後、筆者は赤城山の麓へ向けて車を走らせた。
Tは石造物の中のいくつかに、同じ人物の名が刻まれていることに気が付いた。観理院第三十世権僧正廣深。かなり位の高い僧であることは想像できたが、観理院という寺がどこにあるかすぐにはわからない。今のようにネット検索などできなかったころだから、それが判明するまでに数年かかった。そして、一緒に研究をしていた彼の兄が、実にアナログ的な方法でそれを発見した。江戸市中の切絵図の中にあったのだ。
東京都民なら誰でも知っている日枝神社。千代田区永田町二丁目にある、格式の高い都内でも指折りの神社だ。神仏習合が行われていた江戸時代末期までは、広い境内の中に神社を管理する役目をもつ別当寺の観理院を筆頭に、10を数える坊(大寺院に属する小院)があった。古地図を見ると、観理院は現在の永田町山王森ビルからザ・キャピトルホテル東急にかけての広い場所を占め、他の坊は南側の溜池に面してずらりと並んでいたようだ。
日枝神社は、太田道灌が江戸城を築いたころからあり、徳川家康が江戸に移って城を改修したときは城内に置いて城の鎮守としたが、4代将軍家綱のころ、江戸城の裏鬼門に当たる現在の場所に移された。いずれにしろ徳川幕府にとっては縁の深い神社で、刻まれている名の廣深は、そこのトップだったわけである。
そしてTは、もう一人の重要人物の情報をつかんでいた。廣深とともに行動していた地元出身で江戸で材木商として成功した狩野長重郎だ。2人がプロデューサーとスポンサーの関係だったことは容易に想像がつく。では、そのプロジェクトの中身は何だったのか?
「江戸城の普請に使った木材はほとんどが上州産だったらしいですから、狩野も幕府とは関係が深かったと思われます。2人で、幕府のために一肌脱いだということではないでしょうか」
Tは自信満々だった。筆者もそう思った。石造物は呪術的意味合いとともに、しかるべき後のしかるべき人物のために残した道しるべの役割を持っているのかもしれない。言い伝え通り、御用金埋蔵の発案者が井伊直弼だったのなら、2人が石造物の配置を終えた元治元年は、井伊が桜田門外で斃れてから4年後のことで、遺志を継いだという解釈になる。
問題は石造物の配置だ。筆者は一通り見て回り、その結果思い浮かんだポイントがあるが、それについての見解は、本シリーズの最後に述べることにする。
(完)
八重野充弘(やえのみつひろ)=1947年熊本市生まれ。日本各地に眠る埋蔵金を求め、全国を駆け回って40年を誇るトレジャーハンターの第一人者。1978年『日本トレジャーハンティングクラブ』を結成し代表を務める。作家・科学ジャーナリスト。