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<テレビが狙う「コアターゲット」って何だ?>高齢者にはテレビを観てもらわなくても良い?というテレビ作り

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
* * *
今、テレビ局では「コアターゲット」という言葉が、よく語られる。テレビ局側が最もテレビを観て欲しいと思っている世代のことで、コアつまり中核は、男女とも15歳から59歳までの人々である。
なぜ、テレビ局はこの「コアターゲットに」にテレビを観て欲しいのか? それは後で解説することにして、まず、筆者自身のテレビ人生を振り返りながら、時代、時代で、テレビはどんな人に向かって作られていたかを考えてみたいと思う。
評論家の大宅壮一が、
「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまい、一億総白痴化になる」
と嘆いたのは1957年(昭和32年)のことである。
筆者はその「一億総白痴化」のテレビを観て育ち、1978年(昭和53年)に、テレビの世界で仕事を始めた。テレビでコントを書きたい、テレビショウを作りたいという思いからであった。理想はクレイジー・キャッツと、ザ・ピーナッツの歌と踊りとコントの「シャボン玉ホリデー」である。
この頃、それまで大衆芸能と呼ばれていた落語の定席である寄席は、衰退の道を歩み始めており、大衆芸能と呼べるのは「テレビそのもの」ではないか、と筆者は思ったものだ。
筆者はまず、日本テレビ出身で独立して制作会社を作ったAさんの元で、コントを書いた。Aさんはコント番組や笑いのオーディション番組の名物ディレクターであった。会議から会議にベンツで移動する時は気分を変えるために「軍艦マーチ」を聞いていると、当時、運転手をしていた芸人志望のOちゃんから聞いた。
Aさんは、なかなか筆者のコントを採用してくれなかったが、その代わりなのか、よく話をしてくれた。
「テレビは大衆を相手に番組を作ってるんだ」
「はい」
「高橋、大衆ってなんだ?」
「ええと」
筆者が口ごもっているとAさんは、とても待っていられないとばかりにしゃべり出す。
「大衆ってのはな、その辺のバス停に並んでる人のことだ」
「バス停に並んでいる人って言うのはどんな人だ?」
「わかんねえのか。バカ。中卒集団就職だよ」
筆者たちは中卒集団就職の大衆を相手にコントを書いているのだった。だから、当時、ゴルフのコントと飛行機のコントは、書いてはいけなかった。テレビを観ている人はゴルフはやったことがないし、飛行機にも乗ったことはないからだ。…
野党全党首は、沖縄へ跳べ!今こそ沖縄県知事へ連帯のアピールの時だ

山口道宏[ジャーナリスト]
* * *
統一地方選挙が始まる。さあ、出番だ、野党諸君。
今回は明らかに安倍政権に分が悪い。今も、サンゴを殺しているから。沖縄でのは、今選挙は、立候補者全員が、基地問題で不条理を強いられている沖縄県民の戦いにいかに共闘するか、という「見えない踏み絵」と言ってもいい。
沖縄イジメは、即刻やめなくてはいけない。
昨暮から再三に亘って「会いたい」と上京する翁長沖縄県知事に会おうともしなかった菅官房長官だが、「粛々と辺野古で調査を続行する」と、記者団に答えた。
つまり国は、沖縄県知事のボーリング作業停止の指示を、全く無視したわけだ。今更ながら、何をいきがっていても現政権の一連の前のめり現象は、米国にひたすら気遣っていることの証左だ。海外からみたら「あのニッポンが」と思われても不思議はない。
なにしろ唯一の原発被爆国で、しかも東日本大震災の「福島」の国だ。かつての同盟国・ドイツのメルケル首相が来日して、一連の安部政権の政治姿勢に注意を促すも、懲りない面々ということを海外に発信していた。同じ戦後70年であるはずなのに、ああ、恥ずかしい。
ところで、駐日大使キャロライン・ケネディはどうしているのか?
なぜ今回は声を挙げないのか。過日には「イルカを食べるなんてとんでもない!」と怒ったはずが、沖縄のサンゴやジュゴンがみすみす死んでいくのは見過ごしている。
「自然環境保護」よりも「基地」なのか。沖縄県民に、ケネディは何を語るのか。
沖縄県知事は蓋然性(がいぜんせい)という言葉を使った。蓋然性とは「ある事柄が起こる確実性や、ある事柄が認められる確実性の度合い。確からしさ。」(大辞泉)である。
この言葉からはかつて公害反対闘争の時代が蘇る。因果関係からその悪しき結果をもたらすであろうにも拘わらず、である。水俣病にみるように垂れ流された工場の排水を含む魚を食した地域の住民が病気や障害を発症、世代を超えて多くの死者まで生んだことは記憶から消えない。
野党党首、そしてマスコミ各社は、すぐにもいかねばならない!沖縄だ。
【 元の記事を読む 】
「ドア開けろ」叫び声や悲鳴、副操縦士は無言

フランス南部で起きた旅客機の墜落で、ドイツの新聞「ビルト」は29日、墜落現場で回収されたボイスレコーダーの内容として、怒鳴り声や乗客の叫び声など、墜落直前の機内の生々しいやり取りを伝えました。
29日付けのドイツ紙「ビルト」は、ボイスレコーダーに記録されていた内容を報じました。
それによりますと、機長がトイレに行った間に副操縦士が鍵をかけたため、機長がコクピットに入れず、「ドアを開けろ」と叫ぶ声とともに、背後では乗客がざわつき始め、悲鳴も聞こえるとしています。
その後、機内に備え付けられた斧のようなものでドアをたたき割ろうとする大きな金属音と、コクピット内には、機体を上昇させるよう警告するアラーム音が鳴り響きますが、副操縦士は無言のまま、呼吸音だけが記録されているということです。
やがて、「お前、ドアを開けろ」という怒鳴り声の後、乗客の悲鳴で音声は途切れていると伝えています。(29日21:47)
代々木公園の花見客が大量のゴミを放置・・中国ネットにも驚きの声、「日本好きとしてがっかり」「本当に日本は行くたびに…」

中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で872万人のフォロワーを持つ中国のネットユーザーが29日、東京の代々木公園で一部花見客がゴミを放置して帰ったと紹介した。
【その他の写真】
ツイートには4枚の写真が添付されており、桜の木の下でビニールシートやゴミ袋が散乱している様子が見て取れる。この画像は多くの中国ネットユーザーの関心を集めたようで、ユーザーたちは以下のようなコメントを残していった。
「日本人はそもそもゴミをポイ捨てしないんじゃないのか」
「日本でもこんなことが起こるんだ」
「こんなに教養のある民族でもこうなの?」
「ああ、日本国民もみんながモラルが高いわけじゃないんだな」
「極めて環境保護を愛すると言われる日本人も、言われているほどモラルはないんだな」
「今回日本に行ったら、モラルが下がっているのを感じた……本当に、行くたびに汚くなっている」
「日本が好きな人間として、ちょっとがっかり」
「わが国の観光客がすでにこの公園を陥落させたようだ」
「日本人がやったんじゃないと思う。きっと日本にいる外国人だ。私は、思ったことを言ってるまでだよ」
「実際、日本人がやったとは信じられない。だからといって全部中国人の仕業だと言うわけではないけど」
「日本の地上には確かにゴミは落ちてない。誰がやったのだ」
「中国人がやったって言う人、きっといるだろうな」
「中国人がまた濡れ衣を着せられる」
「今回は中国人観光客じゃない。悠長に桜なんか見ている中国人がどこにいるというのか。みんなショッピングに忙しいんだから」
(編集翻訳 城山俊樹)
韓国でショッピングカートの持ち去りが問題に、ショッピングセンターが頭を悩ませる=「完全に泥棒だ!」「これがわが国の現実」―韓国ネット
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2015年3月27日、韓国・文化日報は、韓国のショッピングセンターでショッピングカートの持ち去りが相次ぎ、ショッピングセンターが頭を痛めていると伝えた。
【その他の写真】
報道によると、ソウル江北のあるアパートの1階ロビーの片側には黄色のショッピングカート20台が置かれているが、これらは入居者が500メートルほど離れた大型ショッピングセンターから持ってきたものである。アパートでは、これをリサイクルゴミや引っ越し、かさばる宅配便の荷物を運ぶときなどに住民に貸し出しているという。住民の男性は、「カートは使った後、警備室に返却するシステムになっている」と話す。
カートを持ち帰る人はほかにも大勢いて、常態化している。一度持ち帰ったカートは、ほとんど住民や学生の「共有財産」として使われるという。これまでショッピングカートの盗難に頭を痛めてきたショッピングセンターは、店舗周辺に盗難防止用施設を設置する案をはじめ、さまざまなアイデアを検討してきた。しかし、設置予算の問題や顧客からのクレームなどの懸念から実現に至っていない。韓国では、こうした現象が社会問題化している。
この報道に、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。以下はその一部。
「レベルの低いやつに言葉は通じない」
「これが正に大韓民国の現実だ」
「そのうち配送トラックも自分のものにしてしまうだろう」
「こんな客の顔色をうかがう必要はない。法的措置を!」
「これが、韓国人の国民性なんだ」
「完全に泥棒だ」
「窃盗が恥ずかしいことだと知らないやつらのすることだ」
「韓国の50~60代は、声が大きく、自分と自分の家族のことだけ考える利己的な人たちだ。国を台無しにしてまで成長だけを考えてきた世代だ。この世代が元凶だ」
「うちの町内では、ごく普通のことだ」
「ショッピングセンターが直接回収に回ればいいんじゃないか?」(翻訳・編集/三田)