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第75回大会優勝投手、巨人・西村健太郎が語るセンバツの思い出「春はひと冬越した成果を発揮する舞台」
いよいよ開幕した春のセンバツ高校野球。無名校が出場したり、ダークホースが勝ち進んだり、夏の甲子園とはひと味違う魅力が満載だ。
広陵高で4度甲子園に出場し、03年春の選抜大会で優勝した巨人・西村健太朗投手にとって今振り返るその記憶とは…。
―西村投手は3年春のセンバツ(2003年)で優勝投手になりました。甲子園は2年春から4季連続で出場しています。
西村 下級生の時は、先輩を差し置いて背番号1をつけていたので無我夢中でした。
―2年時は、春は2回戦で大谷智久(ロッテ)がエースの報徳学園に、夏は準々決勝で森岡良介(ヤクルト)が主将の明徳義塾に敗れています。
西村 どちらも相手が優勝したんですよ。特に報徳戦は僕のミスで負けたので、先輩に申し訳なくて。
―代替わりした2年秋からは堂々たるエースです。
西村 夏の甲子園が長かったので出遅れ気味でした。秋の中国大会準優勝でセンバツに出ましたが、中井(哲之)監督も「弱い」と言っていたほどです。
―でもフタを開けると…。
西村 3回戦で小嶋(達也。阪神)がエースで優勝候補だった遊学館に6-0で勝って勢いがつきました。準決勝で注目左腕(グエン・トラン・フォク・)アンの東洋大姫路に勝てたのは、向こうが前の試合で花咲徳栄と延長15回引き分け再試合になったのが大きかったです。
―大会を通じて、調子はよかったのですか?
西村 高校時代はコントロールに自信があったんです。僕らの頃ってインコースにしっかり投げ込めていれば抑えられたんですよ。あと、キャッチャーの白濱(裕太。広島)が研究熱心で、相手のデータを調べて攻略法を練ってくれていましたから。
―決勝は成瀬善久と涌井秀章の二枚看板投手に、荒波翔が主軸打者の横浜でした。
西村 みんなリラックスしていましたよ。攻略法は白濱だけが黙々と(笑)。決勝ということより、横浜と対戦できるのが嬉しかったですね。でも、荒波は大会中に足を骨折してしまい、この試合は出場していません。
―結果は、15-3の大差で紫紺の優勝旗を手に。全国制覇で周囲は変化しましたか?
西村 春夏連覇のプレッシャーはありました。ただ、上本(博紀。阪神)を筆頭に俊介(阪神)が1年生で加わり、打線がすごく打っていたので、僕自身はセンバツ以降、夏の広島大会序盤まで調整に専念できました。
―そして、4度目の甲子園へ。初戦は好発進でしたが…。
西村 次の岩国戦ですよね。
―予想外に打ち込まれ、打撃戦の末に7-12で終戦。
西村 序盤に死球を出してしまい、「もう、ぶつけられない」と外一点張りになって…。あっけなく終わりました。
―当時、センバツで優勝した経験は今も生きていますか?
西村 トーナメントは負けたら終わり。「一球の大切さ」を学びましたね。プロは失敗しても次があるけど、やはり一球の大切さは一緒ですから。
―最後に、甲子園の春と夏の違いで印象的なことは?
西村 甲子園で試合をできる喜びは春も夏も変わらないですが、春はひと冬越した成果を発揮する舞台、夏は今のメンバーと野球ができる最後の舞台だと思います。
(取材・文/キビタキビオ 取材協力/寺崎 敦)
●西村健太朗(にしむら・けんたろう)
1985年5月10日生まれ、広島県出身。広陵高で4度甲子園に出場し、03年春の選抜大会で優勝。ドラフト2巡目で入団した巨人では主にリリーフで活躍。2013年、最多セーブ。今季は4年ぶりに先発転向の予定