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開創1200年 ── 高野山についての5つの素朴な「なぜ?」

 開創1200年 ── 高野山についての5つの素朴な「なぜ?」

 

 [写真]壇上伽藍(アフロ)

  今年開創1200年を迎える高野山(和歌山県)。2004年に世界遺産に登録され、近年ブームとなっている四国八十八ヵ所巡礼でも注目を浴び、全国の信者だけでなく世界中から観光客が訪れるようになりました。弘法大師の尊称で知られる空海(774-835)が開創したこの信仰の山が、1200年もの長きにわたって日本人を支え続けてきた理由を、多くの人が抱く5つの素朴な「なぜ?」から探ってみましょう。
 
 Q. なぜ弘法大師・空海は、高野山の地を選んだのですか?
 A. 人跡を遠ざけた幽寂なこの平地が、密教修行の道場としてふさわしいと考えていたことが大きな理由でしょう。空海は、真言密教の奥義を極めて、唐から帰国する船上で海が荒れ、航海の無事を神明に祈りました。その際、無事帰国のあかつきには、修禅(密教を修行すること)の道場を建立し、修行して、神威に報いることを誓願しました。そして弘仁7(816)年6月19日、嵯峨天皇に、高野山の地を賜りたい、と上表文を提出しました。そこでは「紀伊の国の平原の幽地、高野山こそ、もっとも修禅の道場にかなった地である」ということを述べ、そして「若かりし時、山林修行の折りに、この高野の地に足を踏み入れたことがある」と述懐しています。青年時代の空海は、四国や近畿の山岳霊場で修行を続けていて、深山幽谷の地である高野山の地に当時から注目をしていたのです。こうして7月7日に勅許があって、高野山が開創されたのでした。
  また、高野山を選んだ理由として、こんな伝説もあります。唐からの帰国の折、空海は明州(浙江省)の浜辺から乗船する間際に、「日本で密教を弘める道場にふさわしい所があれば飛んで行って、我を待て」と三鈷を日本に向けて投げ上げました。帰国してから旅に出て高野山に登ったところ、松の梢の間に三鈷がかかって光り輝いているのを目にしたので、この地を伽藍建立の場所にしたということです。

 Q. なぜ弘法大師は、まだ「生きている」と言われるのですか?
 A. 弘法大師は今なお奥の院の御廟に身を留め、救済者として、すべての苦悩する人々を見守っているという信仰が広まっているからです。
  奥の院の最奥の、拝殿(燈籠堂)の背後に、弘法大師御廟が立っています。空海は天長9(832)年、「われ長く山に帰らむ」と言って、京都の東寺を離れ、高野山に隠栖しました。そして高野山で初めての法会(ほうえ)である「万燈万華会(まんどうまんげえ)」を営み、その願文で、永遠に一切衆生の済度に赴くという誓願を立てました。その後、断穀(五穀を食べないこと)を続けるなどして、即身成仏の境地に達し、ついに一切の食を絶って、承和2(835)年3月21日に入定(にゅうじょう)したのです。62歳でした。「入定」とは、肉身のまま永遠に生き続け、禅定に入って、人々を救済するということです。それは、高僧などが涅槃に入る「入滅」ではありません。この「大師入定信仰」が平安時代にはすでに広まっていたのです。
  こうして今でも、御生身供(おしょうじんぐ)と言って、毎日朝と昼に、僧侶が食事(温かいご飯と熱い汁)を弘法大師にお供えしているのです。
 
 Q. なぜ四国八十八ヵ所巡礼の際、高野山に行くのですか? 
 A. 弘法大師は高野山で、すべての苦悩する人々を見守り、救済してくださると信じられていますから、四国八十八ヵ所巡礼(霊場巡り)や西国三十三所巡礼をする人は、高野山奥の院を参拝してから遍路に出発し、そして遍路を終えたら高野山にお礼参りをするのが慣わしなのです。
  そもそも八十八ヵ所霊場は、空海の高弟である真済が空海の入定後、遺跡を慕って歩いたのが起源と言われています。お遍路さん(巡礼者)は、空海以来の修行地である霊場を、空海のみあとを慕いながら、「同行二人(どうぎょうににん)」の信念をもって、一心に真言を唱え弘法大師と共に歩んでいくのです。弘法大師は、その名を唱え、信じる者の側に共にいて、護り救ってくださるからです。このため、お遍路さんの菅笠には、「同行二人」の文字が記されています。こうして巡礼の間弘法大師と共に歩んできたお遍路さんは、御廟の前に立って、「南無大師遍照金剛」と、弘法大師の法号を繰り返し唱えるのです。

 [写真]奥の院(アフロ)

 Q. 高野山はなぜ世界遺産になったのですか?
 A. 日本の宗教と文化の発展・交流に大きな影響を及ぼし、その文化的景観を含む資産として価値が高い、という理由で、2004年、「熊野三山」「吉野・大峯」と合わせて、その「霊場」とそこに至る「参詣道」が世界遺産に登録されたのです。「文化的景観」とは「自然と人間の営みによって形成された景観」という意味合いですから、紀伊山地の「山岳信仰の霊場と山岳修行道」としての価値が認められたわけです。
  高野山は弘法大師空海の入定の地であり、密教修行の大道場であり、真言密教の聖地として知られています。また海抜約900メートルの山上にある、希有な宗教都市でもあります。高野山はかつて「たかの」と呼ばれていたことからわかるように、山の頂き付近に平坦地が大きく広がり、それを八つの小峰が取り囲んでいます。高野山には真言密教の根本道場として空海が弘仁7(816)年に創建した「金剛峯寺(こんごうぶじ)」を中心とする117の寺院が密集しています。高野山の参詣道の中で最もおなじみなのが高野山町石道で、金剛峯寺をはじめとする伽藍から、山下の慈尊院に至る道です。
 
 Q. 高野山はなぜ『ミシュラン旅ガイド』で三ツ星になっているのですか?
 A. 2009年、フランスで発行された日本への旅行案内書『ミシュラン・グリーンガイド・ジャパン』で、高野山は最高ランクの三ツ星を獲得しました。「旅行者の第一印象」「知名度」「文化財の豊かさ」「美観」「本物としての魅力と調和」「旅行のしやすさ」「旅行者の受け入れの質」など九つの評価基準がありますが、三ツ星は「旅行者へのお薦め度」が「わざわざ旅行する価値がある」もので、二ツ星は「寄り道して訪れるべき場所」、一ツ星は「興味深い場所」とされています。高野山が三ツ星を獲得した理由は「浮世と全く異なる時間が流れている」「日常と隔絶された、西洋人にとって神秘的な日本に浸れる」などと記され、奥の院を「高野山で最も魅力的な場所」としています。
  『ミシュラン』が世界遺産の高野山を高く評価したこともあって、外国人観光客が急増し、現在、年間に約3万人の外国人が訪れるようになりました。多くは欧州からの人たちで、全体の3割ほどがフランス人ですが、世界各国からやってきています。金剛峯寺を参拝したり、奥の院をめぐったりした後、高野山に53ある「宿坊」(寺の宿泊施設)に泊まって、高野豆腐や山菜などの精進料理を部屋で味わい、読経を含む早朝のお勤めである「勤行」(ごんぎょう)に参加している人も少なくありません。
 
 (文責・武蔵インターナショナル)

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