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世陸マラソン代表今井正人が語る「箱根駅伝」と「長期低迷」
先月の東京マラソンで日本人トップの2時間7分39秒という好記録をマークした今井正人(30=トヨタ自動車九州)。日本人選手の7分台は実に3年ぶりで、8月の世界陸上(北京)の日本代表にも選ばれた。
順大時代は箱根駅伝5区の“山登り”で大活躍。「山の神」と呼ばれた。実業団入り後は長期間低迷。その理由や世界を狙う意気込みを聞いた。
――箱根駅伝での活躍後、07年に鳴り物入りで実業団入り。ところが、そこから長期間低迷した原因は何ですか。
「いろいろとありますが、一言で言うなら自分のマラソン選手としての土台ができていなかったということです。自分の頭の中では『やれる』という気持ちがあっても、それを実行する体の土台が小さかったというか、グラグラしていました。それで大学卒業後から最初の2年は故障を恐れ、練習も『これぐらいでいいか』と石橋を叩いて渡る感じで。そんな練習を続けたおかげで体の土台が徐々に強くなった。その積み重ねにより、ようやく今、結果として表れるようになったんだと思います。本当は長期低迷とかではなく、少しずつ力をつけていたというか。だから、先月の東京マラソンでポンと2時間7分台が出たわけではないのです」
――長くても20キロ程度の駅伝と42キロのマラソンでは距離が違う。箱根で活躍した選手を含め、駅伝出身選手はマラソンに転向すると大成しないという声もあります。
「確かに距離は違いますが、僕は駅伝の走りはマラソンに生かせると思います。そもそも2つが別物とも思っていません。駅伝からマラソンに転向して世界で戦うためには、スタミナ強化を含めそれなりの体づくりはしないといけません。でも逆にそれをしっかりやれば世界でも戦える。僕もそうやって少しずつ強化してきました。だから『箱根駅伝で活躍した選手はマラソンではダメ』というのは当てはまらない。もし、箱根駅伝の選手が実業団で活躍できないとすれば、それは選手の目標の問題ではないかと」
――と、いいますと?
「例えば、箱根駅伝は大学時代の4年間で4回しか走れないという明確な目標があります。選手もその目標に向かって自然とモチベーションが上がる。でも、その後に実業団に入ると、箱根駅伝ほどの高い目標がなくなる。それで、どこに目標を置いていいかわからなくなってしまうのではないでしょうか」
――箱根で活躍した選手は「燃え尽き症候群」に陥ると?
「というよりは、気持ちの切り替えです。実際、僕が実業団入りして感じるのは、箱根を走った選手は実業団に入って目がキラキラしなくなっているかなと思いますから」
――今井選手はそうならなかった?
「大学時代は箱根駅伝での優勝を目指していましたが、もともとの目標はマラソン選手でしたから。大学で4回箱根を走って、最後の年に運よく優勝もできた。それでスパッと区切りがつけられた。だから、その後の低迷を箱根と紐付けられるのはもどかしいのです」
■給水の中身を変えたで後半失速を克服
――実業団でのマラソンは、後半30キロ過ぎの勝負どころで失速する印象が強かった。後半の失速を克服したきっかけは何ですか?
「今思えば、ロンドン五輪の選考会(12年3月、びわ湖毎日マラソン)後の取り組みでしょうか。選考会で結果が出ず(42位)、かなり落ち込みました。『何で思い通りのレースができないんだろう』と。その時に考えたのが、『これからのレースは1レース1つの課題をクリアしていく』ということでした。それまではレースになると、あれもこれもやって完璧に走ろうと考えて、全部が中途半端に終わっていました。だから、あるレースはタイムであったり、別のレースではペースだったりと、レースごとに課題を絞ったのです。そうすることによって、徐々に課題をクリアしていけるようになったと思っています。あとは、レースでの給水の内容物を変えたのも大きかったかもしれません」
――レース中に飲むドリンクのことですか?
「後半の失速は体力がなかったのが最大の理由とはいえ、給水の内容物も良くなかった。五輪選考会直後のレースからは思い切って、給水は水だけにしました」
――五輪選考会までは、水じゃなかったのですか?
「それまでは最初の給水は水かお茶。20キロぐらいで糖質の入っているスポーツドリンクでした」
――それのどこに問題があるのでしょうか?
「その取り方だと、乾いたスポンジに水をあげた時に、パッと広がるのと同じ効果なのです。つまり、体の中の糖がなくなったところに糖分を入れると、血糖値が急激にバンと上がる。一瞬はいいんですが、その後すぐに(血糖値が)ガンと下がるわけです。その結果、脳と足が動かなくなり、後半の失速につながっていたのです」
――なぜそこに気づいたのですか?
「以前から40キロ走という練習の中で、20キロ地点で甘いスポーツドリンクをもらうと、30キロ過ぎにお腹が減って、お腹の中がかゆくなるようなエネルギー切れの症状が起きていた。そこで、五輪選考会後の初レースで、水にしたらどうかと。実際にやってみたら、意外にも頭の中がすっきりとした状態でゴールできた。もちろん足はきつかったのですが、脳みそというか、考える力は生きていた。それ以前は足も体も全部きつくて、失速しだしたら何をやっても体も足も動かせなかった。水にしたおかげで、動かそうとすれば最後まで動く感覚が出るようになった。体質は皆違うので、このやり方が他の選手に当てはまるかどうかはわかりませんが、自分にはそれがよかった。もっと早く気づけばよかったんですけどね(笑い)」
――では、今後は2時間2、3分というタイムで、マラソン界を席巻するアフリカ勢とのタイム差も埋められるのでしょうか?
「それはまた違う問題でしょうね。タイムだけなら……厳しいと思います」
▽いまい・まさと 1984年4月2日、福島県南相馬市(元・小高町)生まれ。順天堂大1年から箱根駅伝に出場。2年からは山登りの5区で3年連続区間新。「山の神」と呼ばれる。07年にトヨタ自動車九州入社。08年から本格的にマラソンを始め、15年2月の東京マラソンでは日本歴代6位の2時間7分39秒をマーク(全体7位)。今夏の世界陸上日本代表に初選出された。身長169センチ、体重55キロ。