仕事で役立つ人気ビジネスアプリおすすめ!
[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
中田英寿のCL出場を阻んだハリルホジッチ…情熱と知性を備えた名君
日本サッカー協会は、ハビエル・アギーレ監督の後任として、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身でヴァヒド・ハリルホジッチ氏を推薦することをを発表した。
同郷の先輩であるイビチャ・オシム氏との親交の深さや、昨年のワールドカップでアルジェリアを率い、ベスト16に導いた功績を中心に語られることの多い同氏だが、現役時代を含めたそのキャリアの大半をフランスで過ごしている。1995年に帰化申請してフランス国籍を取得した。
現役時代は強烈なシュートを武器に、ナントで2度のリーグ得点王に輝いた実績を持つストライカーだった。引退後の90年、生まれ故郷に近いFKヴェレジュ・モスタルで指導者としてのキャリアをスタートさせたが、2年後には、戦火にまみれた母国を後にして再びフランスへ。2部のボーヴェ・オワーズの監督に就任した。
翌シーズン、モロッコの人気クラブであるラジャ・カサブランカに引き抜かれたハリルホジッチ氏は、リーグタイトルとCAFチャンピオンズリーグの2冠を達成。98年のワールドカップに参加したGKムスタファ・チャドリやDFジャマル・セラミを中心とした手堅いチームをつくり上げた。
再びフランスに戻った彼が、指導者として最初に名声を世に轟かせたのは、リールを率いた1998年~2002年のことだった。98年当時、2部に属していたリールの監督に就任したハリルホジッチ氏は、就任1年目でクラブを2部リーグ優勝に導くと、翌99-00シーズンには1部昇格1年目で一気に3位に食い込ませて、サッカー界に衝撃を与えた。
2001年8月のUEFAチャンピオンズリーグ3次予選では、アウェイでセリエAの強豪パルマを下し、本大会への出場権を獲得。当時のパルマには、後にバロンドールを獲得するDFファビオ・カンナバーロ、アルゼンチン代表MFマティアス・アルメイダに加え、トップ下では中田英寿がプレー。前線にはユーロ2000得点王のFWサヴォ・ミロシェヴィッチらを擁し、カメルーン代表FWパトリック・エムボマが控えに回るタレント集団だった。
一方、モロッコ代表FWサラディン・バシールら一部の国際的プレーヤーを除くほとんどが無名の選手たちで構成されていたリールは、パス供給源である中田やサブリ・ラムシ(前コートジボワール代表監督)らを徹底的にマークして封じ、組織的なプレスでボールを奪うと素早く逆サイドに展開、前線にいる長身FWダギ・バカリに合わせるという、シンプルなカウンターサッカーを身上とした。…