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<選抜高校野球>亡兄の野球日誌で同舞台に 宇部鴻城・上西

<選抜高校野球>亡兄の野球日誌で同舞台に 宇部鴻城・上西

第87回センバツで25日の大会第5日に登場した宇部鴻城(山口)の上西嵐満(らんま)投手(3年)は7年前、21歳だった兄の雄太さんを交通事故で亡くした。2003年にチームがセンバツに出場した時の遊撃手だった兄は、16冊の野球日誌を残していた。甲子園への思いがあふれるページをめくりながら、後を追うように同じ舞台に立った。

【試合の写真特集】力投する宇部鴻城の先発・上西

 チームにとって春夏通じて初の甲子園だった03年センバツで、雄太さんは2年生ながらグラウンドに立った。大学でも野球部に入ったものの右肘を痛めてしまい、退学して働いていた08年、交通事故で亡くなった。

 上西投手が物心ついた頃、11歳上の雄太さんは実家のある広島市を離れていて、ほとんど記憶はない。ひつぎに入った兄の顔を見て泣きじゃくったことを後から聞いた。小学生になると兄の影響で野球を始め、同じ宇部鴻城に入学した。

 親元を離れて寮に入る前、父から16冊のノートを手渡された。雄太さんが高校時代、反省点などを書き留めていた日誌だ。03年のセンバツで初戦敗退した時のページには、「負けたなりの責任を自分がとらなければなりません。そのためにも必ずもう一度あの舞台に帰りたいです」とあった。文面ににじむ責任感の強さを見習いたいと思った。

 寮の部屋には、雄太さんのグラブと、センバツに出場した時に着た背番号6のユニホームを飾っている。昨秋の中国地区大会では、兄が使っていたグラウンドコートを試合の合間に着て、チーム初優勝を果たした。今年1月、雄太さんが眠る広島市の墓地を訪ねた。「きっとセンバツに出るので見守っていてください」

 実現したセンバツの舞台で、「兄の目指した甲子園での勝利を」と誓って臨んだこの日の初戦。しかし、健大高崎(群馬)相手に先発して打ち込まれ、1-9で敗れた。試合後、「力んで球が高くなってしまった。力を出し切れず悔しい。制球力をつけ戻ってきたい」と声を絞り出した。兄も「もう一度帰りたいです」と切望した甲子園。この夏、2人の忘れ物を取りに来るつもりだ。【杉山雄飛】

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