セリーヌ tシャツ パロディセリーヌ tシャツ コピーセリーヌ tシャツ コーデ 忍者ブログ

仕事で役立つ人気ビジネスアプリおすすめ!

ビジネスマン必見!おすすめのビジネス管理ツールアプリを、独自のランキングと口コミでピックアップ!縦横無尽に使いこなせば、仕事の効率アップ間違いなし!
[38201]  [38200]  [38199]  [38198]  [38197]  [38196]  [38195]  [38194]  [38193]  [38192]  [38191

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【戦後70年】インパール 帰れぬ魂

 【戦後70年】インパール 帰れぬ魂

 旧日本軍が1944年、ビルマ(現ミャンマー)占領中に展開した「インパール作戦」。撤退を余儀なくされた退却路は、おびただしい数の兵士が飢えや病気で力尽き、「白骨街道」と呼ばれた。現地を訪れ目にしたものは、行き場のない遺骨や遺品がそのままになっている現実だった。

  •  

      2月中旬、作戦ルートの一つとして使われ、長らく外国人の立ち入りが規制されていたミャンマー西部のチン州に入った。カレイミョー空港に降り立ち、インド国境へ向けて四輪駆動車を走らせた。旧日本軍が徒歩で進んだ「ティディム道」は途中から未舗装になり、12時間かけても着かない遠い道のりだった。

    •   訪れた村に旧日本軍の遺留品がたくさんあった。家の中にはヘルメットや銃剣、黒ずんだ飯ごうが置かれていた。父親を日本兵に殺されたというニン・クア・ザムさん(75)のムアルカイ村の自宅では、手りゅう弾を改造したランプがうっすらと部屋を照らし出していた。

        「戦争が終わったら戻ってくる」と言い残し去った日本兵との思い出を持つ、お年寄りに出会った。ギーコン村のドラチさん(87)だ。遠くを見つめるような目で、当時抱いた恋心を話してくれた。悲惨な戦場にも青春の一コマがあったことに、ほっとした。

        今回の訪問前、日本国内で、同作戦から帰還した男性から聞いた話を思い出した。「飯を食わなくちゃ生きていけないから、銃は捨てても、飯ごうだけは手放さなかった」。村人が手にしている飯ごうの持ち主は、「白骨街道」のどこに眠っているのだろうか。戦後70年を経た今も、置き去りにされたままの無念がしのばれる。

        写真と文 川口敏彦

      • インパールに続くチン州北部の「ティディム道」は、深い山あいに延々と続いている

         

        • 「ニホンのものを写真に撮っているよ」。通りかかったバイクの運転手が持つスマホに写されていたものは「成田山」と書かれたお守り。人骨と一緒に出てきたという

           

          • インド国境近くの村では、戦車のものとみられる走行用ベルトが、雨期のぬかるみ対策に利用されていた

             

            • 記者が日本人だと自己紹介すると、ドラチさん(左)は「キムラさんと恋仲だった」と話してくれた。当時16歳で、銃磨きを手伝ったという。「私の心の中では、まだ生きています」と懐かしんだ

               

              • 旧日本軍の陣地があった場所から掘り出された遺骨が、少数民族の事務所に保管されている。村人たちが、頻発する山火事から守るため、運び込んだ。日本に戻ることが出来ず、さまよっているかのようだった

                 

                  

                  「インパール 帰れぬ魂」の動画はこちら

                インパール作戦

                 旧日本軍が1944年3月からインド北東部にあった連合軍の拠点インパール攻略を目指した作戦。参加した約10万人のうち、3万人が死亡、4万人の傷病兵が出たとされる。十分な武器や食料の補給の準備がないまま、険しい山々を越えて英軍と戦ったが、補給不足が深刻化し作戦は失敗。将兵の間ではマラリアや赤痢も流行し、ビルマへ撤退する道は戦病死した多数の日本兵の遺体が置き去りにされた。戦後、無謀な作戦の代名詞となった。

                PR
Submit Comment
name
title
color
mail
URL
comment
password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
HN:
上原健二
性別:
非公開
P R
忍者ブログ [PR]
Template by repe