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北海道に押し寄せた、伝説の魚ニシン。その恩恵で、海沿いには御殿が並んだという
ニシンは伝説の魚だ。漢字を当てると鯡。魚に非ず――。江戸から明治にかけての春、北海道に押し寄せたニシン。食用にしても有り余るそれは、脂を搾られると、北前船で西に運ばれ、畑の肥料になった。魚に非ず。肥料と卑下こそすれ、それは巨万の富を生み、海沿いに鯡御殿が並んだ。魚に非ず。あるいは、魚とは思えないほど大きな富をもたらす意味をこめてのことだったのか。
ニシンは伝説の魚だ。その考えは、河岸で働く今も変わらない。立春を過ぎ、銀色に輝く鱗のそれを手にしても、どこか心はうわの空。もうひとつのニシン伝説のせいだ。
あれは10年ほど前のことだ。2月、店に、見たことない小さなニシンが入った。こんなときは、包丁でおろし、店の面面で味見する。はてさて、どこに売ったらいいのかと。
「コハダの方程式でいけんじゃねえか」
翌日から、場外のすし屋の一軒に、その小ニシンが握りとなって登場した。コハダの下処理と同じく、塩と酢で締めて。カウンターで客となった私のかたわらで、そのすしに見知らぬひとが「うまいッ」と、声をあげる。身は締まり、干したニシンにあるようなえぐみはこれっぽっちもなく、清々しい味わい。ニシンと聞いて、驚きの声とともに、注文が続いた。してやったり。魚屋冥利とはこのことだ。
だけど、いい目をみたのは2シーズンだけ。あんな小さいニシンは、資源管理上ではアウトローのサイズだったのだ。
今年も、標準サイズ、30cm前後のニシンが店頭に。脂がのったそれは、塩焼きが一般的だが、私は味噌煮にする。特有のクセを味噌が上手に包みこんでくれるのだ。でも、これはこれでおいしいとしながら、未練たらしく思い出すのは、あのすしだ。資源管理が必要ないほどに戻ってきたら、小ニシンも出てこよう。真っ先に食べようと思う、幻のすしを。
文・福地享子 撮影・平野太呂