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性病は一人前の遊女になるための試練! 処女よりも梅毒経験者の方が価値が高かった
江戸時代の日本には、すでに現代とほぼ変わらない種類の性病が存在していました(※HIVは除く)。不特定多数の男性と性関係を持つ遊女にとって、性病は頭痛のタネだったと簡単に想像できますよね。
現代ではほとんどの性病は、抗生物質で治せますが、昔はそういうワケにもいきません。不快な症状が出なくなったら、「治った」ということにして、あとはなるべく考えないようにするくらいしか病気とのつきあい方はなかったのです。
遊女や遊郭関係者がもっとも恐れていたのは、梅毒だったと思われます。
遊女の仕事は自分の意思で勝手に休んだりすることはできませんでした。家族の借金のカタとして吉原に売られてしまった身の上でしたからね。それでも梅毒になり、その症状が強く出てしまい、稼げない遊女は遊郭経営者にとって無駄飯喰らいの厄介者でしかありません。物置のような所に閉じ込められ、何ヶ月にも及ぶ闘病生活を続けなくてはなりませんでした。
特に客を取るようになった直後の遊女がかかる病気として梅毒は有名で、2~3カ月、遊女によっては半年近くも寝付いてしまうことがあったようです。正確な理由は不明ですが、日本だけでなく全世界的に見ても、15~16世紀あたりの梅毒患者には、現代より激烈な症状が出ることが多かったようなんですね。
1816年に書かれた『世事見聞録』という書物には、梅毒の症状として「(遊女の)全身が痺れたり、痛んだりして腫れ上がり、苦しむ」というような記述があります。また髪の毛も多く、抜け落ちてしまったとか。
この『世事見聞録』は、当時のさまざまな職業を取り上げ、社会批判する内容なのですが、遊女に関しては完璧に客の男性目線から書かれており、梅毒は一人前の遊女になるための試練だ、みたいな論調なんですね(苦笑)。
病中の遊女が押し込められる部屋のことを吉原用語では「鳥屋(とや)」とよび、遊女が苦しんでいる様はニワトリが卵を産む様子に喩えられたとか。激しい苦しみを乗り越えた遊女は痩せこけ、青白い肌になってしまうのですが、お客にとって、その姿が天女に生まれ変わったように思えたんだそうですよ。
『世事見聞録』によると、梅毒を経験した遊女からは「人間らしさ」が消え去るというのです。そして、彼女たちは二度と本当の恋をすることもなく、子どもを妊娠することもなく、スタイルもスマートになる。まるで天女のようだ……とのことですが、男性客のせいで病気になったのですから、ウンザリして当然でしょうし、あれだけ苦しんだのですから後遺症が残っても仕方ありません。…