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独占手記 創業者・父勝久氏「親として久美子を大塚家具に残すわけにいかない」(前編)〈週刊朝日〉
一代で大塚家具を上場企業に育て上げたカリスマ経営者、大塚勝久会長(71)に対し、「お父さん、時代は変わったのよ」と退場を求めた長女、久美子社長(47)。父娘の壮絶なプロキシファイト(委任状争奪戦)が3月27日の株主総会で決着する。渦中の勝久会長が手記を本誌に寄せた。
* * *
まずはじめに、このたびは世間の皆様をお騒がせし、何より大切なお客様、社員とその家族、お取引先様にご迷惑をおかけして本当に申し訳なく思います。
なぜここに至るまでに社内や家庭内で解決できなかったのか、とお思いでしょう。それはひとえに私の甘さと力不足が原因であったと深く反省しています。
久美子が大塚家具に入社したのは1994年。以降、取締役や顧問を務めて2005年、退職しました。その後は、コンサルティング会社を立ち上げるなどしていましたが、経営が思うようにいかず、私はお客様を紹介するなど、できるだけの支援はしていました。
その後、久美子から「何とか戻れないか、社長にしてほしい」と何度となく頼まれ、実際上、私が指名する形で09年に社長に就任しました。久美子は、取締役時代から私の進める会社の経営方針に反対していました。よほどの根拠と裏付けがあり、十分知り尽くした上でのことと考えていたので、就任時は、久美子を信頼し、期待していました。
しかし、社長に就任してから昨年までの5年間、業績回復に向けたチャンスがあったにもかかわらず、それが達成できませんでした。例えば近年、高級品の需要が回復してきているにもかかわらず、そうしたニーズを取り込むことができませんでした。これは経営上の失策でした。
さらに売り上げの成長を蔑ろにしたコストカット続きで社員は疲弊し、また十分な賞与も払えず、社員たちからは「もう我慢の限界だ」「何とかしてほしい」という声が溢れてきた。このままでは大塚家具の自慢である優秀な社員たちがいなくなってしまうと強い危機感を持ちました。
前期は3月までの消費増税前の駆け込み需要で一時的に順調でしたが、その反動減に対して有効な対策を打てなかった。久美子は3月までに広告宣伝費の予算を使い切ってしまい、その後の反動減の際には販促計画が全くない状態でした。その結果、4月から6月にかけて受注が大幅に減ってしまった。社内は、このままでは会社が潰れてしまうと大きく動揺しました。
私は社長を指名した責任者として、何とか久美子のもとで会社をまとめようとし、業績回復のためにいくつかの権限を分けてもらえないか、と相談もしましたが、久美子に断られました。…