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警察が態度急変→精神病院に強制入院!? UFOコンタクティー、ラインホルト・シュミット事件の真実
”元祖”コンタクティー(UFOとの接触に成功した者)として知られるジョージ・アダムスキーが、1952年に刊行したデズモンド・レスリーとの共著『空飛ぶ円盤は着陸した』で、金星人「オーソン」とのコンタクトを公表して以来、アメリカを中心に多くの自称コンタクティーが現れた。
こうした自称コンタクティーとして日本でもその名が知られているのが、ダニエル・フライやオーフィオ・アンジェルッツィ、ハワード・メンジャー、ジョージ・ヴァン・タッセルらであるが、1950年代には、他にも数多くのコンタクティーが名乗りを上げている。かつて存在した日本のUFO研究団体「宇宙友好協会(略称:CBA)」は、その機関紙『空飛ぶ円盤ニュース』の中で、こうした人物の手記を丹念に紹介している。今回は、その中から「ナチスがUFOを開発していた」という風説と関連して稀に名前の上がる、ラインホルト・シュミットの体験について紹介しよう。
【その他の画像はこちらから→http://tocana.jp/2015/03/post_5985.html】
■主張と報道の乖離
1957年11月5日、カリフォルニアの穀物仲買人をしていたシュミットは、ネブラスカ州で巨大な飛行物体が地面に着陸しているのを目撃、この物体の内部に招かれて男4人、女2人の乗員を見たと主張している。日本でいち早くナチスとUFOとの関連を指摘した落合信彦は、著書『20世紀最後の真実』(集英社)の中で、「シュミットが遭遇したUFO搭乗員は全員ドイツ語を話し、ドイツ兵のような規律正しさで振る舞った」と記している。
この事件は日本でも断片的に報道されたが、その多くが懐疑的なもので、「そもそもシュミットは架空の投資話を広めた詐欺師だ」とするものまであった。ところが事件の翌年11月、シュミット自身が発表した手記には、報道とはかなり異なる内容が詳細にわたって述べられている。今や真偽のほどを確かめることは難しいが、彼自身の主張は次のようなものだ。
■シュミットが語った、事件の真実
事件の起きた日、シュミットはネブラスカ州カーネイで、自分の畑や購入予定の畑を視察するために車を走らせていた。途中、明るい閃光のようなものを見つけ、その方向に車を走らせていると、突然エンジンが動かなくなってしまう。直後、大きな気球のようなものが目に飛び込んできたため、徒歩で向かってみることにした。
10mくらいまで近づくと、その気球のような物体は当初の予想に反し、銀色をした、金属製の巨大な機体であることが分かった。…