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震災、原発事故から4年。日本代表シェフ西氏とめぐる、Jヴィレッジ・福島・復興の今
原発事故作業員へ食事を提供した西芳照シェフ
未曾有の大災害となった2011年3月11日の東日本大震災。地震や津波の被害、そして原発事故はさまざまな形で大きな影響を及ぼした。サッカー界もそのひとつ。ナショナルトレーニングセンターであるJヴィレッジは原発事故の対応拠点となった。震災から4年が経った今、復興はどのように進んでいるのか? 日本代表シェフ西芳照氏とともにめぐる。
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2月22日、国道6号線と常磐自動車道を、サッカー日本代表シェフ西芳照氏の案内によって広野町から浪江町まで往来した。空間線量は車内の計測で0.10μSv/h(マイクロシーベルト毎時)から10μSv/hまでと幅があった。誰の眼にも安全が明らかである場所と不安をおぼえる場所が、モザイク状に入り組んでいる。
なぜわたしがその場にいたのか。
ことの起こりは昨年のJ3最終節にまで遡る。
西氏とアルベルト・ザッケローニ監督時代のサッカー日本代表通訳を務めた矢野大輔氏、ふたりの日本橋高島屋に於けるトークライブを企画した「野菜の語り部」廣本直樹氏が、福島ユナイテッドFC対FC琉球戦のスタジアムグルメ屋台、「ユナイテッドフードパーク」で、西氏の出店を手伝っていた。
西氏は「玉ちゃんバーガー」のほか、特別レシピの「カレーライス」を調理していた。そのカレーは一般にも販売されていたが、東京と福島を往復するバスツアーの参加者を対象に用意されたものだった。バスツアーの解説をする役割で添乗していたわたしは、サッカー好きの廣本氏とは旧知の仲だったが、西氏の手伝いをしているとは知らず、たいへん驚いた。
あとで話を聞くと、その際に西氏と廣本氏の関係が急速に深まったのだという。そして先日、廣本氏から多忙な西氏と逢う機会を設けることができたと知らされ、一も二もなく同行を願い出たのだ。
2018年の部分営業再開、2019年の全面営業再開というロードマップが示されたJヴィレッジがどうなっているのかは気になっていた。もしサッカー施設として再び稼働できるとなれば、2020年の東京オリンピックにかかわってくるかもしれない。
その行く末を考えたとき、西氏が重要人物として浮かんだ。一度はその場から避難しながらも東日本大震災当年にJヴィレッジへと舞い戻り、福島第一原発事故の収束に当たる作業員たちに温かい食事を提供するべく店を再開した西氏が、いまどのような実感を抱いているのか。…