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KOバス ルートたどる
昭和初期に倉敷―岡山間で運行されていた乗合自動車「KOバス」の走行ルートをたどる冊子を、倉敷市の歴史サークル「中庄の歴史を語り継ぐ会」が作製した。会員が道標を頼りに、バスが通っていたとみられる街道沿いの歴史を解説。同会は「旧街道の鴨方往来を走るKOバスを想像しながらルートを歩いてもらえれば」と呼びかけている。(冨浪俊一)
同会によると、KOバスの生みの親は、旧清音村(現・総社市)出身の楢村孫一郎氏(1884~1970年)。1926年に移住先のハワイから帰国すると、倉敷市で「KO自動車商会」を創業し、岡山市橋本町(現・北区京橋町)までの19キロをバスで結んだ。
所要時間は約50分で、運賃は50銭(29年当時)。社名の「K」は倉敷、「O」は岡山の頭文字を取った。旧国道2号(現在の県道162号)の完成を機に倉敷―岡山間で省営バス(旧国鉄バス)が運行されることになり、KOバスは廃止が決まった。
同会代表の戸板啓四郎さん(70)と、会員の高木繁さん(65)、範子さん(61)夫婦らが2年前から、約10年で姿を消したKOバスの調査を開始。バスが走っていたとされる倉敷市鶴形から岡山市北区庭瀬までのルートを徒歩や自転車でたどり、写真を撮影するなどしてきた。
冊子はA5判28ページ。江戸時代に岡山藩が整備した官道の一つで、岡山城下を起点に笠岡に至る「鴨方往来」とルートが重なることから、タイトルは「KOバスが走った鴨方往来」。路傍に立つ道標の写真を掲載し、書かれている地名の由来などを説明している。地図のほか、KO自動車商会や鴨方往来、庭瀬陣屋町なども紹介する。
ルート沿いに住む倉敷市松島、三宅鉄治さん(86)は「母親の実家に行く際に、バスに乗った記憶がある。砂利道でガタガタ揺れた」と振り返る。
現在、同じルートで路線バスは走っておらず、高木範子さんは「こんな狭い道をバスが通っていたとは信じられなかった」と驚いた様子。繁さんは「道標が道路整備で一部埋まっていたりするので、歴史の足跡を今のうちに残そうと考えた」と話している。税込み500円。問い合わせは同会(090・6943・7115)。