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鉄道トリビア (109) 100歳を超えてなお現役の電車が、東京に里帰りしている
鉄道車両の寿命はとくに決まっていない。税制上の減価償却耐用年数としては、機関車18年、電車13年、気動車11年と定められている。しかし適切なメンテナンスを実施すればもっと長持ちする。JR九州で「SL人吉号」としいて活躍している蒸気機関車「8600形」は1922(大正11)年に製造された89歳。もっとも、一度引退して13年間のブランクがある。
電車では、なんと明治30年代(西暦だと1900年前後)に製造された東京市電の電車が、ある都市でいまだ現役として働いている。100年以上も現役で働いている計算になる。そして現在、76年ぶりに東京に"里帰り"しているという。いったいどんな電車なのだろうか。
東京市電「ヨヘロ1形」のモックアップ
1911(明治44)年に東京市は、当時東京で路面電車を運営した東京鉄道を買収した。これが現在の東京都交通局のルーツで、今年で100周年。江戸東京博物館では9月10日まで、記念展「東京の交通100年博~都電・バス・地下鉄の"いま・むかし"~」を開催しており、その目玉として、函館市交通局のササラ電車「雪4号」を展示している。これこそが元「東京市電」の電車なのである。東京では「ヨヘロ1形」と呼ばれていた。
ヨヘロ1形の形式名は、製造からずっと後で付けられた。明治30年代に製造された当時は別の形式名だったという。東京市電に買収される前の東京鉄道は、東京電車鉄道、東京市街鉄道、東京電気鉄道の3社を合併した会社で、車両型式もバラバラだった。これらの電車は大正時代に車体が老朽化したため改装が行われた。そして1917(大正6)年の改装車両について、新形式名として「ヨヘロ」が与えられた。
ヨヘロの「ヨ」は4輪車、「ロ」は大正6年のロクという意味。真ん中の「ヘ」はベスピチュールがついているという意味だ。ベスピチュールとは、運転台の前につけられた風雨避けの窓ガラスと羽目板とのこと。いまなら当たり前の設備だが、わざわざ形式として区別されていた。その理由は、それまでの電車は、明治村に保存されている京都市電のように、運転台がデッキ状で屋根しかなかった車両が多かったからだろう。
函館市交通局所属の「雪4号」電車。窓まわりと天井にヨヘロ1形の面影が残るという
廃車となる運命が一転、函館へヨヘロ1形は1934(昭和9)年に廃車となる運命だった。しかし転機が訪れる。その年の3月21日、函館市は歴史に残る大火災に見舞われた。1件の木造家屋の火災が燃え広がり、1万戸以上を消失、2,000人以上が亡くなった。
このとき、函館市電も約50両を消失。その復興のために、東京市電で廃車予定だったヨヘロ1形が提供された。同車両は函館市で200形として運行され、函館市復興の一助となった。後に200形は廃止。1937(昭和12)年に4両が除雪用車両に改造され、うち2両が現役の除雪車として活躍中だ。前後に竹製のササラを付けているため「ササラ電車」と呼ばれ、市民に親しまれている。
函館市企業局交通部はこのほど、セルDVD『北の港町で ~ササラ電車が守る函館の冬~』の販売を開始した。ササラ電車の活躍を記録したもので、通信販売も行われている
「東京の交通100年博~都電・バス・地下鉄のいま・むかし~」では、函館市電で残ったササラ電車2両のうち1両が東京へ里帰りをはたした。
もちろんこれは雪のない夏場だから実現したことで、展示が終了すると函館市に帰り、次の冬も除雪作業に従事するという。函館市が大切に運行している元「東京市電」。いつまでも元気で頑張ってほしい。