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伝説のベントレー「スピード6」がパリに現る
新春のデトロイト・モーターショーを皮切りに、3月開催のジュネーブ・モーターショーと話題に事欠かない自動車業界だが、世界のセレブが注目したのは2月のパリ国際展示場(ポルト・ド・ヴェルサイユ)で開催された「レトロモービル2015」だったかもしれない。
このイベントは毎年開催されるもので、収集家が喜ぶようなクラシックカーのコレクションやオークション、自動車メーカーやクラブ、その世界では有名な販売業者などが集う、まさに自動車趣味人のための欧州最大級のイベントなのだ。
ここにベントレーは伝説のスピード6、「ブルートレイン」を持ち込んだ。
この車両はル・マン24時間耐久レースで3連覇(1928-1930年)を果たしたベントレーの優勝ドライバーのひとり、ウォルフ・バーナード大佐のプライベートカー、「ベントレー6 1/2スピード6」である。1929-1930年の2年間にわずか182台が生産されたのだが、コーチビルダーのガーニィ・ナッティングが架装したクーペボディはこの1台だけといわれている。
1926年に登場したベントレー初の市販6気筒エンジン搭載車「ベントレー61/2リッター」の高性能版がスピード6なのだが、この個体には特別な逸話が残されている。バーナードとその友人が賭けをしたというのだ。
「ベントレー6 1/2スピード6」の対戦相手は寝台特急「ブルートレイン」。ルートは地中海沿いの南仏カンヌから、ロンドンのジェントルマンズクラブまでを競う。
カールトンホテルのバーで「ブルートレイン」の発車時刻を確認すると、バーナードは愛車を駆り、ロンドンへ向け出発。途中パンクに見舞われるなどアクシデントに遭ったものの、列車がフランス側の最終目的地のカレーに到着する4分前にはロンドンで祝杯をあげていたという。
一説によれば、バーナードが用いたのはH.J.マリナー製のスピード6なのでは? というハナシもあるそうだが、いずれにせよ今なおベントレーにまつわる多くのエピソードが語り継がれている。ラグジュアリーブランドにとって伝説もまた彩りのひとつなのだ。
(九島 辰也)