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総菜「買う」時代見通す
岩田弘三 74 ロック・フィールド会長兼CEO
<催事場でホタテ販売>
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神戸でレストランを開店後、1970年に欧米を視察した際に、洋風総菜のデリカテッセンに出会ったのです。
当時は高度成長期でライフスタイルの欧米化が進んでいました。食生活も変わるのは間違いないと考え、事業転換を決めました。
72年に会社を設立。神戸の大丸に1号店を出しました。社名は、私の名字を英語に変えたものです。
お客さんはグラタンやビーフシチューなどを珍しがってくれましたが、思うように売れません。お母さんが家で総菜を作るのが当たり前の時代でした。
それでも、売り場の品ぞろえをどう変えるかだけの話だと思い、撤退は考えませんでした。
ある時は、百貨店の催事場で、ホタテにかば焼きのタレを塗ってその場で焼きながら売りました。山ほど売れても、催事場での販売は週に何度もない。「建物がホタテの匂いでいっぱいになるからやめてくれ」との苦情も受けました。
そのうち徐々に売れ始めて一息つけました。種をまいている時期が苦しかったです。
<工場汚水で摘発>
一番の失敗は、総菜工場の汚水を側溝に流して兵庫県警に摘発された88年2月の事件です。ギフト商品が軌道に乗り、歳暮の時期には工場で大量生産していました。生産量が落ち着いたので工場の大掃除をしたところ、汚水が間違って側溝にこぼれていたのです。当時は自前で汚水を処理していました。
2月17日の朝、神戸の本社で会議をしていたら、80人ほどの警察官やマスメディアの関係者が一斉にやって来ました。翌日、新聞各紙に「グルメ会社が垂れ流し」と書かれ、「どうなってしまうんやろう」と思いました。株式上場の準備も進めていましたが、この事件で全てやり直しです。
売り上げにも大きな影響がありました。教訓として、環境への優しさやルール違反をしないことの大切さを一段と意識するようになりました。当時の新聞記事はずっと手元に残しています。
<撤退した業態も>
90年代には、和風総菜の路面店「そうざいや 地球健康家族」の出店を始めました。百貨店を離れ、生活者に近い場所で総菜を売ろうと考えたのです。ところが当時はデフレで価格競争が当たり前。低価格の弁当チェーンがどんどん出店していました。「安くした方が売れるんちゃうか」と弱気な社員もいました。結局、庶民的な地域では受け入れられず、1店舗を残して撤退しました。
99年には、野菜中心のオフィス街向け飲食店「サラダバッグ」を出店しました。ただ、お昼は売れても、夕方や土日は厳しかった。こちらも2004年に撤退を決めましたが、いい勉強になりました。
打率で言えば、2割打ったかどうかです。それでも、ランナーがいる時に打って点を入れれば、結果としてやっていけます。健康に生きるには食生活が一番です。これからもおいしくて、体に良い総菜を作り続けます。(聞き手 久米浩之)
◇
《メモ》 1965年、神戸市でレストラン「フック」を開業。72年に同市でロック・フィールドを創業、大丸神戸店に洋風総菜店の1号店を出店した。サラダ中心の総菜店「RF1」やコロッケ専門店「神戸コロッケ」なども全国で展開。2014年7月、創業以来務めてきた社長から会長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。14年4月期の連結売上高は489億円。
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