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南こうせつが筆の速い僕に…「神田川」作詞家が語る名曲誕生秘話
秋元順子の「愛鍵」、鳥羽一郎の「しぐれ旅」で昨年暮れの日本レコード大賞作詩賞を受賞、日本作詩家協会会長でもある作詞家、喜多條忠さん(67)の出世作は、70年代のフォークを代表するミリオンセラー、かぐや姫の「神田川」(73年9月)。作詞を依頼したのはリーダーの南こうせつ(66)だが、そこには隠された秘話が……。
「今日、締め切りなんですけど、何か一曲書いて下さい」
73年の初夏、(南)こうせつが突然、こう言って作詞を依頼してきたんです。「明日がレコーディングで、スタジオも押さえてある」って。
彼はフォークグループ「かぐや姫」のリーダーで、アルバム「かぐや姫さあど」を制作中。ボクは前夜、徹夜して寝不足だったけど、引き受けました。
とはいっても、作詞の経験があったわけではなかった。ボクは早稲田大学中退の文化放送専属放送作家で、こうせつがキャンペーンに来た時に知り合ったんです。1学年下のこうせつとは妙にウマが合いそうな気がしました。
なぜ、ボクに白羽の矢を立てたか? ボクは筆が速いことが社内では有名でした。何せ200字詰め原稿用紙に、1日40~50枚ほど台本を書いてましたから。それと、メンバー以外の“血”を入れることで、面白いアルバムが作れるんじゃないかと思ったのでしょう。
でも、ラジオの台本と曲の歌詞とは書き方がまったく違います。
その日、こうせつと別れて、帰宅の途中でした。ある橋を渡る時に「神田川」のプレートを見つけたんです。その瞬間、学生時代の甘酸っぱい思い出がよみがえった。それをもとに思いついたフレーズを織り込み、チラシの裏に書いて、電話でこうせつに伝えました。当時、家庭用FAX機なんてありませんでした。
それが「神田川」。そして、アルバムが発売になり、こうせつがパーソナリティーをやってるラジオ番組で全曲流したら、「神田川」にリクエストのハガキが、それこそ山のように来ました。
ただね、あの曲はそれだけでヒットしたわけじゃないんです。契約していた日本クラウンは歌謡曲や演歌には強かったけど、フォークソングはまだ手掛け始めたばかりでね。シングルカットするか否かで、関係者は喧々囂々状態だった。ボクが、かぐや姫のメンバーじゃなかったしね。
そんな時、音楽ディレクターの馬渕玄三さんがたまたまモメていた編成会議にフラッと入ってこられて、「神田川」を聴いてこう断言されたんです。
「歴史に残る名曲になる。…