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夏に比べてドラマがない? センバツ甲子園の隠れ伝説
いよいよ今春の高校野球甲子園大会も開幕する。
夏に比べて、悲壮感がないといわれるセンバツ。だが、中には奇襲戦法やトンデモ作戦、怪記録や珍プレーも飛び出した。そんなエピソードをまとめて紹介しよう。
およそ90年の歴史を誇る春のセンバツ。それゆえ、時代を彩る「伝説」も数多く存在している。
例えば、チームスタイル。70年代は中村・山沖のように、突出した選手のワンマンチームが見られた。72年に優勝した東京・日大櫻丘の“ジャンボ仲根”こと仲根正広(元中日)がその代表例だ。
76年に初出場した茨城の鉾田(ほこた)一も、左腕エース・戸田秀明のワンマンチームだった。初戦の糸魚(いといがわ)川商工戦で戸田がノーヒットノーランを達成し、次の崇徳戦でも自らの本塁打と1安打ピッチングで金星まで、あとひとり。だが、そこから内野の2連続エラーが出て、痛恨の逆転負けを喫した。
投手の記録では、前橋の松本が達成した完全試合を、94年に金沢・中野真博がふたり目として達成。ノーヒットノーランは04年の東北・ダルビッシュ(レンジャーズ)ほか12人が記録している。ちなみに、ダルビッシュは偉業達成後に右肩を故障し、準々決勝の済美戦は登板せず。控えの真壁賢守(けんじ)が高橋勇丞(ゆうすけ)(元阪神)に逆転サヨナラ3ランを打たれて敗れた。
涙なくしては語れないのは、88年センバツでの中京(現中京大中京)・木村龍治(元巨人)。3回戦の宇部商戦で完全試合まであとふたりに迫りながらヒットを打たれ、挙句に逆転本塁打を被弾して敗れた。
無名校の躍進としては、86年の新湊(しんみなと)が印象深い。初戦で愛知の享栄に1-0で勝つと、勢いに乗って富山県勢初の4強。「新湊旋風」と呼ばれた。
88年には、上甲正典監督が指揮する愛媛の宇和島東が初出場、初優勝。上甲監督は04年にも済美で初出場初優勝を果たした。14年9月に他界し、上甲スマイルがもう見られないのは残念だ。やはり愛媛からは90年に初出場した新田(にった)が準決勝の北陽戦で延長17回を制し決勝進出。“ミラクル新田”といわれる躍進を見せた。
高校野球といえばバントは欠かせないが、04年センバツ準優勝、05年優勝の愛工大名電は、打者の多くが無走者でもバントの構えをする戦法で成功した。逆に、その2年後の07年には、バントをせずに積極打法と走塁を仕掛ける静岡の常葉菊川(とこはきくがわ)が優勝している。
センバツで、後のプロ野球名選手の若かりし姿が見られることも多い。古くは王貞治が早稲田実業の左腕エースとして57年に優勝投手になっている。他に法政二・柴田勲(元巨人)、下関商・池永正明(元西鉄)、そしてプロゴルファーのジャンボ尾崎(将司[まさし]。海南)も優勝投手だ。
最近では92年に出場した星稜・松井秀喜(元ヤンキース)。この年から外野のラッキーゾーンが撤去されたが、2試合で3アーチと関係なし。
98年には“平成の怪物”横浜・松坂大輔(ソフトバンク)がセンバツデビュー。久保康友(DeNA)がエースの関大一に勝って優勝し、春夏連覇に向けて進み始めた。
“ハンカチ王子”と呼ばれる以前の早稲田実業・斎藤佑樹(日本ハム)は、上田剛史(つよし・ヤクルト)が3番の関西(かんぜい)と壮絶な打撃戦の末、延長15回7-7の引き分け。再試合で早稲田実業が勝利した。
(取材・文/キビタキビオ 取材協力/寺崎 敦)
■週刊プレイボーイ13号「総力特集13P 春のセンバツ 伝説の瞬間」より(本誌では、センバツ高校野球の伝説的名勝負や小ネタを厳選紹介!)