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【識者の視点】ハリルホジッチとラウドルップ。2人の監督候補の特徴から読む、日本代表との適性
“ドリームチーム”の一員だったラウドルップ
現在は空席となった日本代表監督の後任候補について、様々な人物の名前が報道されていることは周知の通りだ。ここで、私は2人の人物について、過去のキャリアや彼らが日本代表に与える影響をご紹介したい。
ハビエル・アギーレ氏の契約解除から4週間が過ぎようとしており、日本代表を指揮する人物は2、3人に絞られている。
ミカエル・ラウドルップとヴァヒド・ハリルホジッチが有力候補である一方で、鹿島アントラーズでも指揮を執ったオズワルド・オリヴェイラ監督は、いずれの人物とも契約を交わせない場合の“安全策”として候補に挙がっている。
現時点では誰が最有力かという統一見解はないため、ここでは協会の決断に影響しかねない両者の良し悪しを吟味することにしよう。
「ラウドルップ」――。アメージングなフットボーラー、人を引きつける監督
50歳のラウドルップは、ユベントス、バルセロナ、レアル・マドリー、アヤックスといった世界のトップクラブのユニホームに袖を通し、選手としては素晴らしいキャリアを築いた。デンマーク代表としても100試合以上でプレーし、1990年と1998年のワールドカップに出場している。
ラウドルップは、卓越した技術と試合の流れを読む力に長けた、素晴らしい攻撃的MFだった。日本のファンにとっては、1985年のインターコンチネンタルカップでユベントスの一員として来日したラウドルップが、国立のアルヘンティノス・ジュニアーズ戦で決めたゴールを思い出すかもしれない。
ラウドルップが“ドリームチーム”の一員としてリーグ4連覇を達成したバルセロナ時代の監督は、彼の幼少時代のヒーローであるヨハン・クライフだった。今では両者の関係は冷え切ってしまったともいわれているが、ラウドルップのフットボールへの哲学には伝説的なオランダ人が計り知れない影響を与えたことは間違いない。
ヘタフェとマジョルカを率いたスペイン時代とスウォンジーを率いたウェールズ時代は、ラウドルップは4-2-3-1を基本布陣とし、ショートパスとプレッシングを主体とした攻撃的なフットボールを趣向した。アルベルト・ザッケローニ時代にすでに用いられた方法であることを踏まえれば、日本代表にとって彼のシステムは実行しやすいものだ。
成功と失敗
これまで比較的小規模なクラブを指揮してきたにもかかわらず、ラウドルップは両国で結果と内容が伴った成績を残すことに成功した(スウォンジーでは2013年に歴史的なリーグカップ制覇を達成)。…世界から見れば“トップチーム”ではないサムライブルーにとって、限定された戦力で最高の結果を出す指揮官の方が選手をうまく機能させる可能性がある。
しかしながら、ラウドルップはいくつか失敗の経験があることも忘れてはいけない。例えば、2009年にはシーズン全体の成績不振でスパルタク・モスクワを解雇され、2011-12シーズンには序盤でマジョルカの監督を退任。スウォンジーでも就任期間終盤はチームを機能させることが出来ずにシーズン半ばで解任された。
代表チームの指導経験はさらに限定的だったが、情熱がなかったわけではない。ラウドルップはモアテン・オルセン率いるデンマーク代表でコーチを務め、2002年のワールドカップでベスト16入りに貢献。4-2-3-1を敷くオルセンは、素早いショートパスとポゼッションで構築されるフットボールを重用し、ラウドルップの助言者として最も大きな影響を与える存在となった。
ラウドルップの日本での選手経験もポジティブな要素である。実際、1996年にヴィッセル神戸に加入すると、JFLからJリーグ昇格に大きく貢献した。だが、より高いレベルでの競争を求めたラウドルップは、1997年に欧州へ戻るためアヤックスへ移籍した。
日本代表の監督になるのであれば、彼は今日に至る日本フットボール界の進歩や注目度を肌で感じることになる。ラウドルップの選手時代の経歴と端正な容姿があれば、彼は信用ととも仕事を始められるだろう。
ラウドルップは現在、カタールリーグで2位レフウィアと1年契約を結んでいる。日本代表を引き継げるのはフリーになる6月からになるが、ラウドルップにとって次のワールドカップも出場が濃厚なサムライブルーを2018年まで指揮することは、彼のキャリアとって大きな転機となり得る。
アルジェリア代表を躍進させたハリルホジッチ「ハリルホジッチ」――。ボスニアの旅人、経験豊富な指導経験
昨年11月にトラブゾンスポルと契約解除したことで直ちに日本代表を引き継ぐことが可能なヴァヒド・ハリルホジッチは、フランスリーグで1983年と1985年にナントの選手として2度得点王に輝いている。だが、ラウドルップに比べて華やかな選手キャリアを送ったわけではない。
しかしながら、62歳のハリルホジッチには、多国間に渡る25年間の指導経験と、ラジャ・カサブランカ時代のアフリカチャンピオンズリーグやリール時代の2部リーグ優勝を含むいくつかのタイトルを獲得してきた監督としての実績がある。…
世界を股にかける指揮官は、母国ボスニアで指導者キャリアをスタートさせ、フランス代表のコーチ、モロッコ、トルコ、サウジアラビア、コートジボワール、クロアチアの代表監督を歴任。だが、最も印象に残るのは前回のワールドカップで率いたアルジェリア代表での仕事ぶりだろう。
ブラジルで“デザートフォックス(アルジェリア代表の愛称)”を指揮したハリルホジッチは、グループリーグで韓国に勝利した後にロシアと引き分け、決勝トーナメントに進出。ラウンド16では王者ドイツを延長戦まで苦しめた。
ハリルホジッチの気質
スカンジナビア半島出身のラウドルップが常に冷静で自制心がある印象を与える一方で、ハリルホジッチがワールドカップ出場に至るまでの道のりを広範囲に渡って取材した南アフリカ人のジャーナリスト、マーク・グリーソン氏はこのボスニア人を「非常に気質の荒い性格でタッチライン際で怒りを爆発させることがよくある」と述べている。
メディアとの関係も楽観視できるものではない。彼は無断で記者会見を欠席することが多く、好まない質問に対しては厳しく返答する。アリジェリア人ジャーナリストからある選手をメンバーから外したことについて聞かれた際、「なぜそんなことを聞く? 彼のいとこか?」とシニカルな返答を見せたこともあった。
機嫌が良い日のハリルホジッチはメディアとかなり長い時間を共に過ごす。2011年には何人かのジャーナリストを部屋に呼び、プロジェクターを使って「前回の試合で我々が通したパスは辛うじて200本にいくかどうかだったが、バルセロナでは大抵700本は通す」などとアルジェリア代表のフットボールについての講義を行うこともあった。
ハリルホジッチがワールドカップで披露したフットボールは確かに印象的な結果を残し、「元ストライカーとして私は攻撃的な哲学に興味がある」との発言もしている。敵陣でのボール奪取を目指す彼の4-3-3は、かなり高い位置でのプレッシングを必要とし、4-2で韓国を破った時のような攻撃への素早い切り替えが真骨頂だ。
この4-3-3は日本人にとって新しいアプローチになるが、新たな変革が必要な日本代表にとってはポジティブな要素になりえる。
しかし、戦術的な進歩を望む以上に、強い個性をもつハリルホジッチであれば、国際舞台において日本代表が更なる進歩を遂げるために必要とされる厳粛さをもたらす可能性がある。…アルジェリア人ジャーナリストのマハ・メザヒ氏は「ハリルホジッチ政権下のアルジェリアは非常に飢えた状態でプレーしていた」と話す。これはここ数年の日本代表のパフォーマンスにおいて不足しているものである。
どちらが日本代表の指揮官として相応しいかどうかは、経済的な要素や彼らの契約状況、そして彼らの要求(コーチを含めたスタッフ等)を考慮することで煮詰まってくるだろう。しかし、両者はともに強いパーソナリティーをもち、彼らの経験が日本代表に様々な新しいアイディアを与えることは間違いないだろう。
不甲斐なかったアジアカップの結果も含め、日本代表はハビエル・アギーレ在職期間に起きた混乱に素早く対処し、サポーターの信頼を取り戻さなければならない。