仕事で役立つ人気ビジネスアプリおすすめ!
[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
<選抜高校野球>亡き祖母の思いを胸に 県岐阜商・加藤
センバツ第8日の28日、県岐阜商(岐阜)は近江(滋賀)に3−0で快勝した。好投した主戦・高橋純平投手(3年)を支えた加藤惇也捕手(同)は、センバツ出場が決まった1月23日に75歳で亡くなった祖母峰子さんへの思いを胸にプレーした。
2−0で迎えた三回、1死一、二塁の好機で打順が回った。「3点目が欲しい。初球から打とう」。初球を振りぬいた。左前に抜けて二塁走者が生還。「3点あれば余裕が持てる」。自らのバットで高橋投手を楽にした。
「どんな球でも捕球してくれる」と高橋投手が絶大な信頼を寄せる加藤捕手。常に強気のリードを貫くが、普段は穏やかな性格で小さい頃から「おばあちゃん子」だった。
峰子さんは約10年前から膠原(こうげん)病を患っていた。昨春から状態が悪くなり、家の中を歩くのもつらいと話していたが、「惇也君の野球を見たい」と、車椅子で昨秋の東海大会を観戦した。スタンドに峰子さんの姿を見つけた加藤捕手は「びっくりしたが、うれしかった」と振り返る。県岐阜商は東海大会で準優勝した。峰子さんは「テレビで開会式と試合を見る」と、センバツを楽しみにしていたという。しかし、1月半ば、容体が急変し、23日に亡くなった。父透さん(50)は「センバツ出場決定を待って亡くなったのかもしれない」と話す。
峰子さんは加藤捕手に手紙を残していた。「大好きな野球を見せてもらってうれしかった。夢に向かって、つらい事、いやな事、いろいろあるでしょうが、頑張ってください」
加藤捕手は通夜の日以外は練習を休まず、悲しみを表に出さなかった。「おばあちゃんにいいプレーを見せたい」との思いからだった。
攻守の要としてチームを2年ぶりの8強に導いた加藤捕手。「きっと見てくれているはず」と祖母の笑顔を思い起こし、4強入りを懸けて29日の浦和学院戦に臨む。【野村阿悠子】