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「エアバッグ」生みの親は日本人だった
「エアバッグ」の発明者が日本人だったことを知らない人は多い。小堀保三郎氏がエアバッグ開発に着手したのは’64年。まさに時代が早すぎた、悲劇の発明だった。
「小堀さんがエアバッグを思いついたのは、旅客機に乗っているとき。飛行機がエアポケットに入ると、大きく乱高下しますが、当時はシートベルトが任意で、締めていないことで頭を打つ事故もあったんです。それで、テーブルの上に上体を伏せ、荷物を抱えていると安心だと思い、そこから『自動車も衝突の瞬間に、空気で膨らむものがあればいいのでは?』と思いついたそうです」と話すのは、小堀氏を手伝ってきた工学博士で芝浦工業大学名誉学長、「日本自動車殿堂」会長の小口泰平氏。小堀氏は確たる技術の裏付けのため、東京大学などの教授陣や防衛庁に協力を求め、安全実験を行った。
かくして完成した「衝突時の乗員保護システム」は、衝撃加速度検出装置、エアバッグ、気化ガス発生装置などで構成。エアバッグは運転席、助手席、後席に設け、側面のサイドエアバッグやルーフエアバッグも、当時すでに考案されていた。
「ただ、当時の運輸省はのりませんでした。『アメリカやヨーロッパでやってる?』と前例を聞くんです。特許だからやっているわけがないのに、それで終わり。日本は研究開発で先頭を切っても実用化は遅い。欧米の技術は信頼するのに、です」(小口氏)
結局、エアバッグ関連の特許を世界14か国で取得したが、実用化には至らず、小堀氏は特許の延長手続きを行わないまま自ら命を絶った。エアバッグは特許の有効期限切れ直後に、ドイツで実用化されている。
「小堀さんは『もういい、やるべきことは全部やった』と言いました。今になってその頑張りが人を救っています」
<取材・文/田幸和歌子>