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「悔しさばかり覚えてる」ヒップホップシーンを切り拓いてきたKREVAの苦悩

「悔しさばかり覚えてる」ヒップホップシーンを切り拓いてきたKREVAの苦悩 

KREVAは日本のヒップホップシーンを切り拓いてきた「挑戦者」の1人だ。

ソロのヒップホップアーティストとして初めてオリコン1位を記録したのが彼だった。たった1人で武道館に立ち、DJとラップを全て自分だけでパフォーマンスするという前人未踏のステージを成し遂げたこともあった。現場からのリスペクトを集めながら、マスに向けて日本語ラップの面白さを届けてきた。昨年に活動を再開したKICK THE CAN CREWも含め、かっこいいヒップホップを、ちゃんと「売れる」ものとして形にしてきた。

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だからこそ、今回のインタビューでは2つのテーマで彼に話を聞いた。1つはなぜ彼がそこまでヒップホップに惹かれ、そしてアンダーグラウンドなものだったそのカルチャーをどのようにポップに引き上げてきたのか。そしてもう1つは、彼はここ数年のシーンの変化をどう見ているのか。

昨年の6月にソロデビュー10周年を迎え、2月27日から47都道府県ツアーを実施している。そのテーマソング的なシングル『Under The Moon』もリリースとなった。節目のタイミングを迎え、奮闘を続ける彼に語ってもらった。

■(雑誌のインタビューで)「夢は?」って聞かれて。「100万枚売りたいですね」って答えたら「ふふっ」って鼻で笑われた。「こいつ! 見てろよ」って思いました。
―KREVAさんはかつて高校の卒業文集に「将来はヒップホップの世界でDJかラッパーとして君臨する」と書いていたという話を聞きました。

KREVA:そうですね。「DJ兼ラッパー」だったかな。

―すごいですよね。当時の夢をちゃんと実現している。卒業文集に夢って書くもんだなと思いました。

KREVA:そうですね、確かに(笑)。

―なぜ高校生の頃にそこまで強く思えたんだと思います?

KREVA:中学生の時にヒップホップに出会って、「やっと見つけたぞ」って感じがあったんですよ。「翼を手に入れた」感じというのかな。もともと目立ちたがり屋で、人前に出たいし、音楽も好きだったんですけれど、ヒップホップを聴いて初めて「この音楽だったら俺がやれる」と思った。「俺はこれだ」って強く思うようになったんですよね。

―10代のKREVA少年にとって、ヒップホップの魅力はどこにあったんでしょう?

KREVA:まず、ラップというものが、性に合ってたんだと思う。それが1つ。

―もう1つは?

KREVA:ヒップホップの「それでいいの? 感」を知った時の衝撃が半端なかった。「人の曲を、コピーとかカバーじゃなくて、そのまま使っちゃうの?」って。RHYMESTERの宇多丸さんは「ヒップホップの土足感」って言葉を使うんですけど、それにやられてしまったんですよ。

―「土足感」というのは、人の家に土足で上がりこむみたいな感じ、ってことですよね。

KREVA:そう。「お前、よくそんな状態で人の家に来たな!?」って。「ブーン!」っていうベースかドラムかよくわかんないくらいの低音と、「パーン!」ってクラップのビートだけでよく「うちの娘を欲しい」とか早口で言ってんな! みたいな(笑)。ヒップホップにあるそういう感じが今も自分を動かしてくれています。

―ただ、1990年代の日本ではヒップホップはそこまでオーバーグラウンドなものではなかったですよね。

KREVA:なかったですね。全然。

―そういう中で、ずっとラッパーとしてやっていくイメージはありました?

KREVA:とにかく自分がラップしたら売れるだろうって思ってました。「100万枚は余裕だろう」って(笑)。だから気持ちに迷いはなかった。大学に行って、卒業が近くなってきた時にも、親には「せっかくいい大学行ったんだから、就職したほうがいいんじゃないの?」って言われたんですけど。

―慶應大学出身ですよね。周りには一流企業に入った人も多いはず。

KREVA:うん。ただ、親の気持ちはすごくわかるんだけど、俺としては、ラップしたほうが間違いなく儲かるし、絶対いけるからって言ってました。

―KICK THE CAN CREW(以下、キック)としてデビューする時も、「売れる」という感覚を持ったまま走り続けていた感じでした?

KREVA:そうですね。最初に雑誌のインタビューを受けた時のこと、今でも覚えてるんですよ。「夢は?」って聞かれて。「100万枚売りたいですね」って答えたら「ふふっ」って鼻で笑われた。「こいつ! 見てろよ」って思いました。

■実際に最初の音源を出したら、そんなに売れなかった。簡単じゃなかったですね。
―「売れる」と思っていたということは、ヒップホップは「わかってる人」のためだけの小さなコミュニティーじゃないという確信が、当時からあったということでしょうか?

KREVA:いや、ヒップホップどうこうは何も考えてなかったと思う。とにかく「これだ」って確信があった。サッカーがちょっと上手くなった小学生って「俺、メッシになれるわ」とか言うじゃないですか。それと似た気持ちだったんですよ。でも、実際に最初の音源を出したら、そんなに売れなかった。簡単じゃなかったですね。

―キックとしてメジャーで活動していた4年間は、どういう記憶がありますか?

KREVA:あんまり覚えてないんですよ。ライブの場面は特に覚えてない。悔しい場面ばっかり覚えてる。

―悔しい場面というと?

KREVA:とあるイベントで、俺らがトリのCHAGE and ASKAさんの前だったんですよ。で、お客さんがあんまり盛り上がらない時に、俺らはいつも「止めろ止めろ!」「そんなんだったらやんねえぞ」って1回音を止めるのがスタイルで。その日も1回音を止めて、「このままだったらチャゲアス出てこねえぞ!」って言ったんですよね。そしたら、チャゲアスのファンからのバッシングが半端無くて炎上した。あれは忘れないな。あと、ホールツアーに行ったら、アンコールで前の方の真ん中にいたお客さん2人が座ったまま立ち上がらなかったりとか。悔しいことばっかり記憶にあります。

―そうなんですね。傍から見てたら勢いのある印象でしたけど。

KREVA:あと、「少し前の時代だったら100万枚売れてた」って、いろんな人に言われました。あの時にすでにCDの全体のセールスが落ちてきてたから。

■常にフラストレーションがあります。そのフラストレーションの形が時々によって変わるから、表現や歌う内容が違ってくるだけで。
―今、KREVAさんの中でキックとの距離感は変わってきていますよね。ちょっと前までは「もう終わった過去のこと」だったわけですけれど、今は活動を再開してフェスにも出ている。

KREVA:そうですね。活動休止から10年経ったのがいいきっかけだったと思います。シンプルに言うと、やってみたら楽しかったんですよね。それに、身体がライブの記憶を覚えてた。それが大きかったです。

―KREVAとしてソロデビューした頃は、どういうモチベーションでした?

KREVA:とにかく必死でした。まず「KREVA」としてどうやって認知してもらうか、それしか考えてなかった。キックの話はなるべくしないようにしてたな。できる限り全都道府県のラジオ局を訪ね歩いて、新人アーティストとして自分で自分をプロモーションしてました。

―そんなことやってたんですか!

KREVA:やってましたよ。とにかく「本気なんだ」って伝えることから始めてました。その時によく言ってたのは「奥田民生さんの話をする時に、『ユニコーンの奥田民生さん』とは言わないじゃないですか。自分もそうなりたいんです」っていうようなことを話して回ってました。

―そのために、まっさらな新人として振る舞ったんですね。

KREVA:悔しい思いもしましたよ。「何しに来たの?」って言われて、邪険に扱われたりもしたし。でも、その分いい出会いもありました。とにかく、「KREVAはここにいます」っていうのを言いたかったんだと思いますね。

―KREVAとしてデビューしたのが2004年でしたよね。06年にはアルバム『愛・自分博』でソロのヒップホップアーティストとしては初のオリコン1位を獲得する。そこには自分のやってきたことが認められた、実ったって気持ちはありました?

KREVA:いや、そうでもなかったかな。

―これまでの話を聞いていても、KREVAさんは、どれだけ成功しても常に「まだ足りない」「納得いかない」という不満を抱えている人だと思うんですね。

KREVA:まさに。常にフラストレーションがある。そのフラストレーションの形が時々によって変わるから、表現や歌う内容が違ってくるだけで。

―ここ3~4年は、どういうところにフラストレーションを感じますか?

KREVA:そうだなあ……2010年に『OASYS』を作った頃から、世の中全体に閉塞感を感じるようになって、それが全てにおいてついてまわるようになってきた気がする。そのフラストレーションと、自分なら打ち破れるはずだという気持ちが大きくなって。自分としては、昔と比べたら雲泥の差と言えるくらい、曲の細部に気を使えるようになったんですよ。具体的に言えば、自分で録音も編集もアレンジもできるようになってきた。ラップも上手くなってるし、技術はどんどん上がっているのに、聴かれる数は減っていく。

■展開の多い曲がたくさんある今のJ-POPに、あえてビートとラップしかないシンプルなものを出すというところに意義があると思ってます。
―今月シングルとしてリリースされる“Under The Moon”は、作り方としてはすごくシンプルですよね。ビートとラップしかない。これがシングルで出るというのは、相当挑戦的だと思います。

KREVA:そう! これがうちのチームなんですよ。展開の多い曲がたくさんある今のJ-POPに、あえてこういう曲をシングルで出すというところに意義があると思ってます。この曲は、先にトラックから作ったんですけど、トラックから<必ず Under The Moon>という言葉が聴こえてきました。

―シングルの3曲目には“47都道府県ラップ”が収録されていますよね。これは、去年の2日間の武道館公演『908 FESTIVAL』の初日にやった『KREVA~完全1人武道館~』で初めて披露していた。

KREVA:はい。

―まず、どういう経緯で作ったんでしょう?

KREVA:トラックに関しては、西洋の教会音楽みたいなコード進行から気持ちいいコード進行を見つけて、そこに和のメロディーをのせられるんじゃないかって。そこに思いつきで「47都道府県のラップしてみよう」って思ったんです。

―思いつきだったんですね。

KREVA:お風呂で思いついたんですよ。子どもが覚えるための日本地図が貼ってあって(笑)。最初に<どっか行こう 北海道>ってラインを書いたら、すぐに1番ができた。次の日には全部書き上げて、すぐに録りました。楽器って「プレイする」って言うじゃないですか? 「プレイ」って遊びなんですよね。遊びで弾いたものをそのまま録音した感じ。演奏というよりも、遊んでるうちに思いついたことがどんどん形にできるようになってきています。

―<すぐに行く 会いに行くのさ 福井岐阜 愛知静岡>なんて、ものすごく高度な韻の踏み方をしてますよね。

KREVA:いいとこピックアップしましたね!(笑)

■やっぱり、どこに行ってもまだまだアウェイの現場があるんですよ。もっと強くなりたいんです。
―そもそもDJもラップも全部自分でやる「完全1人武道館」というのは、2007年に初めてやったことでしたよね。あれを観た時にも度肝を抜かれました。誰もやってなかったことをやったから、みんな驚いたし伝説になったと思うんです。でも2回目だった昨年は、それをちゃんと対象化していた。その上で、自分が何をやるかをしっかり組み立てていった。

KREVA:そうですね。前は「本当に1人でやるのかい!」って、そのサプライズだけで成立した。でも去年のライブはすごく考えました。当時とヒップホップのあり方も変わってますしね。前はサンプリングで作るヒップホップが全盛期だったけれど、今は機械の音が主流になっている。そこで同じこともできないし。相当考えました。

―そこでどういうやり方を見つけた感じでした?

KREVA:アルバム『OASYS』を作った頃、OASYSというシンセがたまたま事務所に転がってたんですけど、それと出会って「うわ、これ俺のじゃん!」っていう衝撃があったんです。ヒップホップを好きになった時の衝撃に近いというか。だから、その後に自分が面白いと思った新しい機材もどんどん持ってきて、それを教えてあげれば、みんなで盛り上がれるかなって。

―その時点で47都道府県ツアーは考えてました?

KREVA:その時にはもう決まってたかな。やっぱり、どこに行ってもまだまだアウェイの現場があるんですよ。そしてそれは、あんまり自分がライブで行かないところだと如実にある。だから、自分から行って、応援してくれる人を増やさないとダメだなって思ったんです。もっと強くなりたい。

―アウェイのほうが燃えますか?

KREVA:そりゃホームのほうがいいよ!(笑) 俺だって「ワーワー、キャーキャー」言われたい。でも、アウェイの経験は絶対に必要だと思う。

■ちゃんとKREVAの音楽をわかってもらって、音楽で大金持ちになりたいんだよね。
―KREVAさんはこれまでいろいろなことを成し遂げてきたわけですが、この先の目標があるとすれば、それは?

KREVA:将来は、やっぱり大金持ちになりたいな。本当にそう思う。マンションを転がしてとか、そういうんじゃないですよ?(笑) ちゃんとKREVAの音楽をわかってもらって、音楽で大金持ちになりたいんですよね。

―アメリカではJay-ZにしてもDr.Dreにしても、ヒップホップをやっている人が実際に億万長者になってるわけですからね。

KREVA:そうですよね? ということは、俺もどっかの会社を買収しなきゃいけないかな。

―「K」って書いてあるヘッドホンが大ヒットしたりね(笑)。

KREVA:ははははは! でもまずは音楽で結果を出したいですね。

―アメリカや日本のヒップホップシーン全体を見て「もっとこうなったらいいのに」と思うのはありますか?

KREVA:「ミックステープ」っていう、音楽をフリーで撒いていって、人気が出たらデビューして、それが売り上げに繋がるというスタイルがちょっと前にできてきたんですよ。そこにすごく希望を感じてたんですけど、ヒップホップに関していうとその流れも終わりそうで、それは寂しいなって思います。最初の作品をフリーで出した人が、次の作品でクオリティーの差を出せなかったとか、そういうこともあるのかもしれないけれど、音楽の質の競争にならなかったのかもしれないとも思っていて。「お金かかるんだったら、無料の作品でいいや」って。でも、mp3じゃなくてより音質がいいものを求める動きは、ちょっとずつ流れがきているようにも思います。

―若い世代を育てたいという気持ちはありますか?

KREVA:ラッパーに関しては、上手い奴がどんどん出てきてるから、どんどん上に行ってほしいなって思う。KOHH(1990年東京都生まれのラッパー)とかね。会ったことないけど「売れろ、売れろ」っていつも思ってる。あんなにシンプルなのにかっこいいの、そこまでいないから。

■(ヒップホップシーンにいる)みんな「売れたい」って当たり前のように言うし、そうじゃなきゃかっこ悪いという風潮すらある。デカく夢を叶える奴がはやく出てきて欲しいと思う。
―もう1つ、シーンの変化も今回は聞こうと思ったんです。というのも、以前のヒップホップのシーンには「売れる」っていうことを「セルアウト」て言ってネガティブに捉えるムードがすごくあったと思うんです。

KREVA:昔はね。あったと思う。

―今はどうですか?

KREVA:だいぶ変わったと思う。みんな「売れたい」って当たり前のように言うし、そうじゃなきゃかっこ悪いという風潮すらある。すごくいいことだと思いますよね。本当に売れて、デカく夢を叶える奴がはやく出てきて欲しいと思う。

―もっともっとスケールが大きくなってほしい。

KREVA:そう。そのためには、ヒップホップの小さな世界だけじゃなくて、もっといろんなところに出て行くようになってほしい。そうなれるだけのものを作らなきゃいけないですけどね。

―僕はヒップホップのシーンは外側からしか見ていないんですが、2000年代の後半から状況が少しずつ変わっていったイメージがあるんですね。まず、実力のある人は続々と出てきている。

KREVA:間違いないね。

―でも、オーバーグラウンドなシーン、ポップなところからは日本のヒップホップの動きが見えなくなってきていると思うんです。そういう二極化がここ7~8年で進んでいるんじゃないかと。

KREVA:そうですね。確かにみんな半端なく上手いんだけど、それをヒップホップに興味ない人にどう伝えていくかをもっと考えていかなきゃいけないと思う。

―そういうレベルの高い表現が売れるため、ヒップホップシーンの外側の人が気付くためには、どういうものが必要なんでしょうね。

KREVA:それこそオリコンの上位にいるような人たちと同じステージに立つとか、自分が求められてない場所でライブするとか、そういう経験が必要だと思うんですよね。あの時に感じる、何とも言えない無力感。それを経験すると自分に必要なものが見えてくると思うんですよ。先輩ですけれど、RHYMESTERだって夏フェスに出て、その後に夏フェスに対応した曲を用意して、その後も呼ばれるようになってるわけですからね。賢いチームだったら、次の流れを生み出せると思うんです。

―チャンスはあるはずなんですよね。

KREVA:そう。メジャーデビューというチャンスがあった時に、ヒップホップのリーグチャンピオンであることにこだわってしまう人もいると思う。そうすると、なかなかその外側に届かなかったりするわけで。ただ、自分としてはあれこれ言ったり、変に手を差し伸べたり歩み寄ったりせずに、見守っていたいとは思いますけどね。

―KREVAさんとしては、むしろ、はやく自分が大金持ちになりたい。

KREVA:そうそう。2~3社買収してね。「ウチのCMソングやってくれたまえ」って(笑)。まあ、まずはもっと自分の基礎の部分をきっちり固めたいと思ってます。

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