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ネットアートの先駆者エキソニモと考える、メディアアートの終焉像とウェブの未来図

ネットアートの先駆者エキソニモと考える、メディアアートの終焉像とウェブの未来図

 

デジタルシーンを牽引するクリエイターたちにFirefox OSを搭載したauスマホ「Fx0」の魅力をインタビューする本連載もいよいよ最終回。最後に登場するのは、日本のネットアートシーンのパイオニアである「エキソニモ」のメンバー、千房けん輔だ。

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赤岩やえとのアートユニットとしてスタートしたエキソニモは、世界的なメディアアートの祭典『アルス・エレクトロニカ』で何度も受賞を重ねるなど、活躍の場を世界に広げてきた。既存のプログラムに意図的にバグを発生させるなどハッカー的な手法を用いた作品群には、常にリアルとネットの世界が衝突する摩擦や身体性を問う姿勢が内在している。エキソニモの作品は、Windows95の発表と共に幕を開けたネットの仮想空間が、スマホやSNSの登場で現実空間と密接に関わるようになった「インターネットの歴史」と歩調を揃えるものと言えるだろう。

エキソニモ千房けん輔へのインタビューを通して、インターネットの歴史、メディアアートのこれから、そしてFx0が指し示すウェブの未来図が見えてくる。

■インターネットを使えば作品を家からダイレクトに世界に出せる。そのスピード感が肌に合ったんだと思います。

―千房さんはFx0のことはご存知でしたか?

千房:はい、Firefox OSが搭載されたスマホがauから発売されたことは、知っていましたが、実際に触ってみたのは初めてでした。すごく使いやすそうですね。巨大な開発環境を使いこなさなくても簡単に開発できるようになるから、プログラミング知識が乏しいアーティストにとっても敷居が低くていいですよね。

―エキソニモの活動を始めたきっかけはなんですか? Windows95の発売が1995年ですから、インターネットが広まってすぐのタイミングですよね。

千房:僕と赤岩が東京造形大学を卒業して、就職活動もせずに「これからどうしようかな」と決めかねてたとき、偶然の出会いがあったんです。赤岩がたまたま空港で長時間足止めされたときに、隣に座ってた女性に「インターネットっていうすごいものがある」と熱弁されて。それがきっかけで、僕と赤岩はその人が勤めていたウェブ制作会社でバイトすることになったんです。

―たまたま出会った女性からインターネットを教えてもらったことで、エキソニモが誕生したんですね。世の中わからないものですね。

千房:ほんとそう。それからインターネットを使うようになって、作品が一瞬で世界中に発信できたり、発表した後でも作りこむことができるのが新鮮でしたね。今までは、展覧会をやるにはギャラリーを借りなきゃいけなかったけれど、インターネットを使えば作品を家からダイレクトに世界に出せる。そのスピード感が肌に合ったんだと思います。

―auも「Creator Showcase」というアプリのソースを共有するコミュニティーを用意していますが、作ったものだけではなく、作り方もすぐに世界中で共有できるということは、インターネット以前は考えられなかったことですよね。エキソニモとしての最初の作品はどんなものでしたか?

千房:1996年に作った『KAO』という、デジタル福笑いみたいな作品。目や鼻のパーツを組み合わせて顔を作って「送信」すると、その前に「送信」された顔と混ざった「子どもの顔」が自動生成されるという、顔遺伝ゲームです。当時のインターネットはチャットや掲示板が盛んだったんですけど、テキストでやり取りするのに抵抗があって(笑)。非言語のコミュニケーションとして、「顔」をコミュニケーション手段として試したんです。

―後の作品でも自動生成の手法を使っていますが、最初の作品からその発想があったんですね。

千房:不真面目な美大生だった頃から、「俺がこれを作ったんだ」と作家が主張するアートのスタイルに対して違和感があったんです。『KAO』は自分が作った顔が、前の人が作った顔と組み合わされて違うものになっちゃうでしょ? 作家性をこめたものが違うものにずれていくというのが自分たちの肝なので、自動生成の手法が合っていたんだと思います。

■当時のインターネットはアンダーグラウンドな世界でしたね。世界中に変なことをやっている奴らがたくさんいて、ページをクリックすると突然違うところに飛ばされたり、わけのわからない絵が出てきたり。

―『KAO』は現在の活動に直接つながるような処女作だったわけですが、当時のネット界隈でエキソニモはどのような立ち位置だったのでしょうか?

千房:インターネット黎明期だったので、ネットをやっている人が本当に少なかったし、今のようにアート的な文脈もなかったです。小さい村に面白いことをやっている奴らがぽつぽついるみたいな感じで。海外とのつながりは早くからあって、外国人から感想メールが来たり、相談を受けたりすることが毎日のようにありました。

―でも、あの頃は電話回線でインターネットをしていたから、今のようにいつでも自由にネットができる環境ではなかったですよね。

千房:当時のインターネットはアンダーグラウンドな世界でしたね。「テレホーダイ」っていう夜23時から朝8時までの通信料無料の時間帯に合わせてみんな生活していて、自ずと不健康な人たちが集うカルチャーになっていた(笑)。世界中に変なことをやっている奴らがたくさんいて、ウェブページに行っても、クリックすると突然違うところに飛ばされたり、わけのわからない絵が出てきたり。迷路を手探りで進んでいく感覚がすごく面白かったです。

―インターネットは面白いことをやっている連中が集まっているたまり場だったんですね。そこからアートシーンにつながるようになったのはいつ頃なんでしょうか?

千房:2000年頃かな。キュレーターの四方幸子さんに声をかけられて、資生堂が開設したCyGnet(シグネット)というネットギャラリーに、HTMLのバグを発生させてホームページが崩れていく『DISCODER』っていう作品を出したんですよ。その後、先日亡くなったメディアアートアーティストの三上晴子さんとも親交が生まれて、「『アルス・エレクトロニカ』とかにガンガン作品を出しなさい!」と言われた頃から、国際展にも出品するようになりました。

―『アルス・エレクトロニカ』は、1979年にオーストリアで始まったメディアアートや先進技術の国際展ですが、それがエキソニモにとって最初の国際展だったんでしょうか?

千房:その前に、2000年の『ロッテルダム国際映画祭』で日本のポップカルチャーが特集されたときに、『DISCODER』のインスタレーション版を展示しました。メディアアートアーティストのplaplaxやクワクボリョウタと出会ったのもロッテルダムで、それまではメディアアートの文脈とはまったく交流がなかったので新鮮でしたね。

■スマートフォンの登場で、パソコンの前でやるものだったネットが、いつでもどこでもできるようになったのはすごく大きい。ただ、昔のほうが隠れ家的な面白さはありましたね。

―その後、2005年に移動型インスタレーション作品の『The Road Movie』で『アルス・エレクトロニカ』ネット部門のゴールデンニカ賞を受賞されていますよね。エキソニモは日本のネットアートの生き字引的存在だと思うのですが、インターネットを取り巻く環境の変化をどのように感じていましたか?

千房:すごく変化のスピードが速かったですよね。メディアアートでネットを使うのがもはや当たり前になってしまったから、2006年以降は『アルス・エレクトロニカ』のネット部門がなくなってしまったんですよ。自分もインスタレーション展示でリアルな空間でいろんな人と知り合ってから、ネットとの間に距離ができて。テレホーダイの深夜帯に生活していた人が、急にリア充になった(笑)。リアルタイムウェブの時代にあらためてネットとつながり始めましたが、スマートフォンの登場で、パソコンの前でやるものだったネットが、いつでもどこでもできるようになったのはすごく大きい。ただ、昔のほうが隠れ家的な面白さはありましたね。

―ネットが小さな村だった頃のほうが?

千房:そうですね。昔はなんでもタダで使っていいよって雰囲気で、企業もAPIを公開して大盤振る舞いだったのが、あるときからネットに人が増えすぎて、何を使うのにも課金しないといけなくなった。昔の自由な感じはなくなりましたよね。

―千房さんからすると寂しいですか?

千房:でも、しょうがないと思うんですよ。例えばどこかの港町で、獲れた魚を町民にタダであげていたのが、気づいたら外から見知らぬ人がわーっと沢山来て「タダでくれるんでしょ?」ってなったら、それはルールを変えないと。

■実機で動くのはシミュレーターでは得られない感動があるので、作ったものが実際に動くのをすぐに見られるFx0は、昔のインターネットにあった楽しさを感じます。

―無料でAPIを提供し続けるとビジネスとして成立しなくなるほど、ネット人口が増えていますからね。沢山のルールが作られ、1つのアプリをリリースするのにも審査や規約をパスするのが大変な風潮がありますが、ウェブ標準技術を使って自由に開発できるFx0は、かつてネットにあった自由を取り戻そうという思想が込められているように思います。

千房:Firefox自体がオープンソースだもんね。実機で動くのはシミュレーターでは得られない感動があるので、HTML5やJavascriptで作ったものが実際に動くのをすぐに見られるFx0は、昔のインターネットにあった楽しさを感じます。

―Fx0に搭載されている「Framin」(トリガーとアクションを組み合わせてスマホ上でアプリが作れるツール)を使えば、作ったものが動く感動をプログラミングしなくても得ることができます。Fx0が多くの人に作る楽しさを広げてくれそうですね。

千房:「Framin」はプロトタイプ作りにもいいですね。アメリカのオバマ大統領が小中学生のプログラミング授業の重要性を提案する声明を出していましたけど、これからの時代、プログラミングは確実に重要になってくると思います。特に子どもたちには「何かを作った」という実感が大切ですから、Fx0はプログラミングの授業でも役に立ちそうですね。小学校の授業でアプリを作ろうってなったときに「これから認可待ちで1週間待ちます」って言われてもテンション下がっちゃうよね(笑)。

■オープンソースのような万人に開かれたカルチャーは面白いし絶対的な正義だけど、アーティストという存在は、必ずしも正義じゃなくてもよくて(笑)。

―オープンソースのFirefoxやFx0にとって「自由」は欠かせないキーワードですが、そういった自由は千房さんにとっても大切なものですか?

千房:大切ですね。昔からFirefoxやLinuxなどオープンソースソフトウェアは好きですし、プログラミングやネット技術は万人に開かれたものであるというカルチャーは面白いと思っています。でも、一方でアーティストとしてはそれをあまり背負いたくないっていう気持ちもある。

―自由さを背負いたくない?

千房:オープンソースのような万人に開かれたカルチャーは面白いし絶対的な正義だけど、アーティストという存在は、必ずしも正義じゃなくてもよくて(笑)。もっと不安定な存在で、「こいつら正しいのか正しくないのかわからねーぞ」っていうほうが面白い。怪しさや危うさを持っていることにアーティストの価値があると思います。

―怪しさがあって、面白いことやっているのがアートの魅力。

千房:もちろんオープンソースの恩恵を自分も受けているし、リスペクトもしてます。でも、アーティストとしてその「絶対の正義」を自分はまとわないようにしています。

―これまでの話を踏まえ、最近の活動について聞きたいのですが、千房さんはエキソニモとしての作家活動とは別に、IDPW(アイパス)という組織を作って、インターネットに関するあらゆるものをリアル空間で売買する「インターネットヤミ市」を運営していますよね。エキソニモとIDPWはどんな関係なんでしょうか?

千房:IDPWでのチーム活動があることで、エキソニモは純粋に個人的な問題意識で発表ができるようになったと思っています。環境作りと作品制作を別にできたというか。

―その2つがパラレルにあるのが大切なんでしょうか?

千房:これまで自分がエキソニモとして活動してきて、作品を取り巻く環境を作っていかなきゃって意識が芽生えてきているんですよね。クリエイティブな何かをやったところで、それが伝わり、残る環境を作らないと意味がない。逆に作家活動はとてもエゴイスティックなものだから、それを両方やり続けるためにも両者を分けたかったんです。

―これまでアングラで不健康なネットカルチャーに触れてきた人が、環境を作るという公共性に目覚めた理由ってなんでしょう。

千房:メディアアートって批評家がほとんどいなくて、ただ展示見て「面白かったね」で終わるのを繰り替えしていると、だんだん虚しくなってくる。それで、文脈みたいなものを作らないといけないと思ったからですね。エキソニモでやり散らかしすぎたっていう反省もあるかも(笑)。

■プログラミングやテクノロジーを自然に受け止め、リアルとネットの両方を自由に行き来する若い世代が現れてきているのは間違いない。

―一方、作家としてのエキソニモが求めるものってなんでしょうか?

千房:やり散らかしてきたことを振り返ってみると、場当たり的にやっていたように見えて、実は共通したテーマがあることに気づいたんですよ。自分たちは、2つの世界がぶつかる境界線をいつも扱っている気がする。例えば、Googleのトップページをペインティングで描いた「Google絵画」(『Natural Prosess』プロジェクトの一部)だったら、展覧会のリアルな会場とネット空間がせめぎあう境界線を扱っている。すべてにおいて境界線を問う構図があるんですよね。

―『3331 Art Fair』に出品した新作も、映像の中にいる白塗りの人物と、実際に白く塗ったディスプレイが境界線をせめぎ合う作品でしたね。

千房:今回の作品はモニターに白塗りしているだけで、インタラクティブでもないし、ネットに同期もしてない。でも、言いたいことは言えていると思っていて。最近はネットに無理矢理つなげなくていいと思っていて、研ぎすましていって無駄なものは排除しています。

―ネットやコンピューターが当たり前になってきている現代、エキソニモはメディアアートというよりも現代美術としての位置づけで活動していかれるのでしょうか?

千房:先端的なテクノロジーを扱うジャンルがメディアアートだったわけだけど、作品にコンピューターを使うことが普通になってきているので、最終的にメディアアートは現代美術にならざるをえないと思います。

―メディアアートが消えるかもしれないことに、一抹の寂しさはありますか?

千房:全然ないです。それが当たり前だと思っているから。ちょっと前までは、現代美術の人は絶対コンピューターを使わない、みたいな線引きがありましたよね。普段はGoogleで検索してるのに、作品にした途端にコンピューターは使わず木とか絵具とかを使うじゃないですか。それも変なことで。でも、最近はコンピューターを使う現代美術の作家も増え、現代美術の側もメディアアートの領域に入ってきてる気がするし。メディアアートと現代美術の境界がぼやけていると思います。

―今の若い世代は、物心ついた頃から生活にネットやコンピューターが溶け込んでいますからね。

千房:インターネットを特別視してしまう僕らの世代とは違って、プログラミングやテクノロジーを自然に受け止め、リアルとネットの両方を自由に行き来する若い世代が現れてきているのは間違いない。Fx0みたいにHTML5やJavascriptで制作したソフトウェアを簡単に検証できる開発環境が用意されたら、若い人たちが新しいものを作っていくことがますます加速するでしょうね。

―そうですね。auではFirefox OSを搭載した開発ツールも提供していますが、Fx0を作品制作で使うとしたら、どのようなことができそうでしょうか?

千房:例えばインスタレーション作品を作るとき、パソコンに比べてすごく小さいFx0にプログラムを書いたアプリを組み込めば、今までできなかった展示ができそうですね。最近、「Raspberry Pi」という小型のコンピューターを組み込んだ、自動的に地球儀が動き回る作品を作ったんですが、Fx0もそのように小型の作品に組み込むのに向いていそうだと感じました。デバイスの中に、通信がデフォルトでついているFx0を組み込んで、GPSを使った作品を作るとか。

―Fx0が作品制作の幅も広げてくれそうですね。KDDIはウェブの未来を考える上で、「au design project」を発足するなど、これまで様々な実験的な取り組みを打ち出してきました。Fx0も、一方的で受け身だったスマホの体験を主体的なものに変えるという意味で、スマホやインターネットの未来を問うプロダクトですよね。

千房:Fx0は、すごく挑発的なマシンだと思います。でもこの取り組みは、リアルとネットを行き来する世代が新たに何かを生み出すためにも、次のステップにつながるんじゃないでしょうか。

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