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学習できないドコモ、巨額海外投資で4度目の撤退 印進出も秒殺 国際戦略が完全に頓挫
NTTドコモの加藤薫社長の顔が、またも真っ青になった。今度はインド事業の失敗が原因だ。
ドコモがインドの携帯電話市場に進出したのは2008年のこと。インドの財閥大手タタ・グループ傘下の携帯電話会社タタ・テレサービシズ(以下、タタ)に合計2670億円を出資、同社株の26.5%を保有している。だが、激しい値下げ競争などで業績は赤字拡大が続き、投資から5年で減損など2220億円もの損失計上に追い込まれた。
このためドコモは昨年4月、インド事業からの撤退を決定したが、タタ・グループとの撤退交渉が不調に終わり、タタの保有株を売りたくても売れない泥沼にはまり込んでしまった。そこでドコモはインド事業からの撤退に関し、今年1月3日付でロンドン国際仲裁裁判所に仲裁の申し立てを行った。
退くに退けない膠着状態の打開を国際仲裁裁判所に求めたかたちだが、裁判所の判決が出るまで早くても2年はかかる見通し。証券アナリストは「これから2年も売却が凍結状態になるので、その間にインド事業の損失が拡大する可能性が高い」と顔を曇らせる。ずさんな海外投資戦略が招いた結果とはいえ、加藤社長の顔が真っ青になるのは当然だった。
●懲りない大型海外投資の失敗
「タイガー」。ドコモが社内で極秘に進めていた「インド進出プロジェクト」の暗号名だった。同社がタタ・グループとの資本提携合意に基づき、NTTグループ全体で過去4番目(当時)の海外大型投資となるタタへの出資を発表したのが08年11月12日だった。同月17日には投資家説明会を開き、ドコモは「タタへの出資により中期的な財務リターンが獲得でき、NTTグループ各社との中長期的なシナジー効果が創出できる」と、インド事業の狙いを強調した。
インド事業が本格化した翌年の株主向け情報誌「ドコモ通信43号」(09年11月号)では、次のように謳われている。
「今後は契約数を伸ばして成長するモデルだけでは持続的成長は見込めない。今後のさらなる成長には、国内携帯電話事業だけではなく新しい収益源を確保することが重要。その1つが国際ビジネスだ。ドコモは世界に照準を合わせ、新たな収益機会を自らの手による創出を目指す」
さらにタタについて「毎月1000万人規模の驚異的成長市場のインドで月間純増シェア1位を獲得」と紹介し、「世界戦略をもとに『世界の携帯電話事業のリーダー』を目指す」と結んでいる。インド事業にかける同社の熱の熱さがうかがえる。
それまでのドコモの海外大型投資は失敗の連続だった。
00年に4090億円を投資したオランダのKPNモバイル、1860億円を投資した英国のハチソン3G、01年に1兆2000億円を投資した米国のAT&Tワイヤレスの海外事業はことごとく失敗。合計で約1兆5000億円の損失を計上し、05年までにすべて撤退している。当然のごとく、当時の株式市場関係者の間から「同じ過ちを繰り返すのか」との懸念の声が上がった。
その懸念は、間もなく現実のものとなった。
当時のインド携帯電話市場は世界最速のペースで拡大しており、加入者は毎月800万人規模で増加していた。加入者総数は3億人あまりで、タタ加入者は約2900万人。ドコモが出資した時のタタは加入者数で業界6位、加入者数シェアで7.0%に位置していた。米調査会社ガートナーも「12年には加入者数が08年の倍以上の7億4000万人に達する可能性もある」と予測、インド市場の成長に期待を寄せていた。
しかし、市場の成長性と収益性は別だ。インドの携帯電話加入者は低価格志向で、プリペイド式携帯電話の利用が大半。この加入者層に対して熾烈な獲得競争が展開され、頻繁なキャリア(携帯電話会社)乗り換え、巨額広告費、1分2セント以下という世界最安の通話料、ARPU(1契約当たりの月間平均収入)低下などの背景になっていた。通信業界関係者は「例えばARPUは09年頃に200ルピー超だったが、14年春先は116ルピーと半値近くまで下がった」と言う。タタの業績も内情は赤字続きだった。
そんなインド携帯電話市場にドコモは進出した。収益に貢献しないタタがお荷物になっていたタタ・グループにとっても、ドコモの巨額出資は渡りに船だったに違いない。
●「世界で最も厳しい」市場環境
タタへの出資手続きを完了し、09年3月に現地で「TATA DOCOMO」の看板を掲げたドコモは「インドでは挑戦者だから、攻撃的な営業が必要だ」とタタの尻を叩いた。当時のインドでは分単位の課金が一般的だったが、タタはそこへ秒単位課金の新料金プランを導入、値下げ競争を再燃させた。先制攻撃のせいで一時は加入者数を業界6位から4位まで浮上させたが、上位キャリアも秒単位課金を導入して反撃すると、たちまち苦戦。14年12月現在は加入者数が業界7位に転落した。
それにも増してドコモが甘く見ていたのが、「世界で最も厳しい」といわれる市場環境だった。バルティ・エアテル、ボーダフォン・エッサーの2強をはじめ20社近くのキャリアが僅差のシェアで群雄割拠し、激しい値下げ競争を繰り広げている。携帯電話加入者は増加の一途だが、「3位以下は利益が出せない市場環境」(通信業界関係者)といわれている。
こうした市場環境の背景には、インド政府の通信政策がある。インド国内の携帯電話サービスは「サークル」と呼ばれる23地域に分割されており、サークルごとに周波数割当免許を取らなければならない。しかもインド政府が「競争維持のため1サークル当たり3社以上のキャリア参入を通信行政の基準」(同)にしている。これがキャリアの事業規模拡大を困難にし、群雄割拠を固定化する原因といわれている。
それだけではない。「サークルごとの周波数割当免許制が汚職の温床になっている」(同)との指摘もある。実際、インド最高裁判所は「周波数割当に不正があった」として、08年にインド通信当局が認可した122件の周波数割当免許を12年になってすべて取り消した。免許取り消しはキャリアの半数以上に及び、タタも免許の一部を取り消された。これを契機に、免許認可もそれまでの随意入札から競争入札に変更された。通信業界関係者は「キャリア各社の成長戦略は根本から狂い、免許取得コストが高騰し、各社の収益低下に拍車をかけた」と明かす。
その影響を中堅キャリアはもろに受けた。タタの場合、12年度は723億円の最終赤字を計上、13年度の最終赤字は850億円に膨らんだ。この赤字拡大が響き、同社は14年3月時点で960億円の債務超過に陥った。タタへの出資を「グローバル戦略の巻き返し」と位置付けていたドコモに、インド事業を支える力はもうなかった。翌月、ドコモはインド事業撤退を決定した。
●効かなかった保険
撤退は迅速に完了するはずだった。過去3回も海外投資で苦汁をなめ、撤退でも苦労したドコモは、それを教訓に万一に備えての保険をかけていたからだ。それはタタへの出資に際し、ドコモがタタ・グループとの契約書に盛り込んだ2つのオプション条項だった。
1つ目は、タタへの出資比率を12年に当初の26%から35%へ、14年には51%へ2段階で引き上げるコールオプション(増資権)。2つ目は、12年にコールオプションを行使しない場合は、14年に全保有株をタタ・グループに譲渡するプットオプション(売却権)。
この契約に基づき、ドコモは2つ目のオプションを行使しようとした。ところが交渉巧者のタタ・グループはさまざまな理由を挙げてドコモ保有株の買い取りを拒み、頼みの保険も効かなかった。あとはロンドン国際仲裁裁判所の判決が出るまで、インド事業の損失拡大を、指をくわえて見ているしかない。「先進国の失敗を、成長著しい新興国で取り返す」(ドコモ関係者)はずの国際ビジネスがまたも空回り、巨額負債を背負い込む結果に終わった。
1月29日に発表された15年3月期第3四半期(14年4-12月)連結決算の営業利益は、前期比14.7%減の5871億円。昨年6月に開始した新料金プランの失敗が響いた。同社にとっては、まさに内憂外患といったところだ。
(文=田沢良彦/経済ジャーナリスト)