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昼は弔問客絶えず…川崎市「中1殺害事件」の現場と周辺は今
川崎の中1殺害事件の現場周辺を実際に歩いてみた。
まず遺体発見現場となった河川敷。膨大な量の花束とお供え物は、1週間前の10倍以上はあろうかという量に膨れ上がり、辺りには線香の香りが立ち込めている。殺害された上村遼太君に宛てた手紙も多く置かれている。
「ゆっくり休んでくださいね」
「天国で幸せになってください」
容疑者の少年の実名を報じた週刊誌も置かれている。弔意ではなく少年犯罪についての主張をしたためたプレートもあった。
「少年法改正に賛成します!! 年令に関係なく、犯罪人には厳罰を!!!」
平日の真昼だというのに、弔問の人が途絶えることはない。タクシーで乗り付けてくる人もいる。マスコミはテレビが1社。あとはネットのニュースサイト記者かやじ馬か、素人くさい若者がカメラを構えているだけで、ほかはみな一般市民だ。
「向こう側(川べり)の方が、最初に地元の人が置いていった花。いまある半分以上は、よそから来た人たちが置いていったものだね。東北や西日本からも来ているらしい」(地元男性)
現場の対岸となる東京・大田区から来たという年配女性は言った。
「本当にひどい事件ですね。大田区の方から見ると、川のこっち側はものすごくガラが悪いイメージ。川崎大師で栄えた地域で、昔からテキ屋や香具師が多かったせいでしょうか」
現場は京急大師線の港町駅と鈴木町駅の中間辺り。鈴木町駅のすぐ隣が川崎大師駅だ。
別の女性も言う。
「私の知人は、何か気に食わないことがあって川崎大師の駅で会社の上司をぶん殴ったと言っていました。それでも別に悪びれる様子もない。気性の激しい人が多い土地柄なんだなという印象を持っています」
■商店街の多くはシャッターを下ろしたまま
現場を離れ、容疑者の少年たちがトイレで被害者の衣服を焼いたとされる公園へ。徒歩で10分程度だ。すぐそばに商店街があるが、大半の店がシャッターを下ろしており、公園も商店街も人の姿はほとんどない。
周囲にはマンションや新しい一戸建て住宅が立ち並ぶが、ところどころに古い木造アパートやトタンと板壁の一戸建てが残る。
公園から徒歩10分もかからない場所に主犯とされる18歳少年の自宅があった。国道から一本入った裏通りで、昔ながらの木造平屋の一戸建て住宅が並ぶ。ここにも、ほんのり昭和の薫りが残っていた。
主犯少年宅の壁には、スプレーか何かで書かれた「フィリピンにかえりたい」との落書きが。事件後、少年の母親がフィリピン人であることが分かり、何者かがイヤガラセをしたようだ。近所の商店で話を聞いた。
「事件直後にマスコミが押しかけてきて、容疑者の家族構成を教えてくれとか、吸っていたたばこの銘柄を知らないかとか、顔写真や卒業アルバムを持っていないかとか言ってきた。容疑者の少年のことは小さい頃から知っていますが、高校に入った頃から全く見てないんですよね。それに客のプライバシーを教えるつもりもない。みんな辟易していて、容疑者の同級生たちも迷惑していますよ」(ご主人)
本当にこの辺りはガラが悪いのか? という問いには、こんな答え。
「戦後の一時期、この辺りは50軒以上の店が並ぶ商店街でした。大みそかや正月には川崎大師の初詣客がたくさん通って賑わっていたんだ。最近は閉店する店が増えて、順番に新しい分譲住宅に変わっていった。でも、新しい住民も町内会に入って付き合いをもっていて、お互いよく知っている。特段ガラが悪いなんてことはないし、悪ガキだって特別多いわけじゃない。川崎は在日韓国・朝鮮人が多いというイメージがあるけど、それは(ここから徒歩15分ほど海側の)桜本という地区。そこでも、たとえば朝鮮学校の生徒が騒ぎを起こしたとかいう話が多く聞かれるわけでもないよ」(ご主人)
深夜12時過ぎに再び辺りをぶらついてみた。主犯少年ら不良グループの“たまり場”と報じられた大師公園や、周辺のコンビニをひと通り回ったが、たむろしている若者の姿は全く見当たらない。酔っぱらいがうろつく姿にすら出会わなかった。取材攻勢が一段落した界隈は、ただの静かな住宅街だった。