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現代美術と映像の両シーンで注目のアーティスト石田尚志がついに大規模個展

現代美術と映像の両シーンで注目のアーティスト石田尚志がついに大規模個展

 

「いまにも動き出しそうな絵画」。躍動感あふれる絵をそう表現することがあるが、石田尚志の絵は比喩ではなく、実際に踊り、伸び、動きまわる。「ドローイングアニメーション」という手法を使い、本能的な見る快楽、動きの快楽を存分に楽しませてくれる石田の作品は「動く絵(ムービングピクチャー)」と称され、その独自性とクオリティーの高さから、これまでも現代美術と映像の領域で高い評価を獲得してきた。

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10代での画家宣言から、やがて「音楽そのものを描いてみたい」と始めた路上でのライブペインティング。また、沖縄で働きながら見つけた光明や、帰京後に害虫駆除の仕事さえ創作につなげた日々。20年余の創作活動は、彼の筆使い同様、紆余曲折しながら空へ伸びるツタのように広がり続ける。

2006年、横浜美術館で滞在制作を行い、そこで生み出された作品は世界30か所以上で上映され、代表作となった。今回、横浜美術館で開催されている個展『石田尚志 渦まく光』では、初期の未発表作から多彩な代表作、さらに新境地の新作品が集結。彼のキャリアにおいて重要な意味を担ってきた美術館での個展開催を機に、本人に話を聞いた。

■中高時代の強烈な音楽体験、「音楽を絵に描きたい」という欲望の目覚め

―「動く絵(ムービングピクチャー)」とも称される石田さんの作品ですが、子どものころから絵やアニメーションに関心があったのですか?

石田:日本画家だった祖父に連れられて美術館にはよく行っていましたが、さかのぼると幼稚園のころ、人形作家の祖母の仕事場で過ごした体験が大きかったと思います。そこでいつもクレヨン画を描きながら過ごしていました。当時は空想上の怪獣などを描いていましたが、今それらの絵を見ると、後の作品に出てくる「ムニュムニュ」とした線がすでにあるんです。

―細かな曲線の描き込みをコマ撮りして生まれる、石田さんの代表的な表現法「ドローイングアニメーション」ですね。その「ムニュムニュ」した線の原点は当時からあった、と。

石田:ええ。その線がなぜ生まれたのか、なぜ描きたくなるのかは感覚的なところで、今でも理由がわからないんですけど(笑)。あと、祖母はけっこうモダンな人で、絵本でも安野光雅の『ふしぎなえ』『旅の絵本』などを買ってくれたのを憶えています。

―『ふしぎなえ』は、美しい水彩画による不思議な世界が描かれた絵本、『旅の絵本』は詳細に描かれた世界各国の風景に物語がいくつも潜む、文字のない絵本ですね。

石田:今思うと『旅の絵本』って、現代の絵巻物ですよね。『鳥獣戯画』『地獄草紙』などの12、13世紀の絵巻物も、祖母の部屋にあった画集で見ていました。

―絵巻といえば、今回の横浜美術館『石田尚志 渦まく光』展の第1章が、まさに「絵巻」です。

石田:はい。長さ10数メートルの紙の上に少しずつ線を描いていったものをコマ撮りし、映像化したものを、その絵巻と共に展示するインスタレーションなどがあります。いわばフレームをはみ出して「伸びてしまった絵画」であり、その絵画と映像の関係を、一緒に並べることで示してみたんです。

―映像では、どんなものにふれて育ったのですか?

石田:幼稚園のころ、やはり祖母の部屋で夕方から『ルパン三世』第1期(原作に近い劇画風のテレビシリーズ)などを見せてもらっていました。彼女が人形を作りながら「いいね~」なんて言うそばで……。劇場版『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(監督:吉川惣司 / 1978年)は、今日までに500回は見ています。絵的にも、あり得ない空間構成の斬新さが衝撃的だったんです。後に自分の作品が、思いがけずその影響を受けているのに気付いて愕然としたことも(笑)。あとは、『さよなら銀河鉄道999』とか、実写だとデヴィッド・リンチ監督の『砂の惑星』などを祖母に連れられて、映画館に観に行きましたね。

―お祖母さん、かなり尖ってますね(笑)。

石田:中学生の頃になって、オスカー・フィッシンガーという抽象アニメーションの大家を知って、音と造形が連動していくような映像作品に強く惹かれたのですが、同時に、こうした日本のアニメも原体験として大きかったと思います。

―ちなみに『ルパンVS複製人間』の影響が出ていたのは、どの作品ですか?
石田:『フーガの技法』という作品です。もちろん意図して真似したのではなく、それらがもう、自分の視覚言語の一部になっていたんだと思いましたが。

―『フーガの技法』は、バッハの同名楽曲を視覚化したいという発想から生まれたそうですね。音楽に連動した映像ではなく、音楽そのものを映像にすべく、約1万枚もの原画を描いて、数年かけて映像化したと聞きました。今展の第2章「音楽」のハイライトでもあり、音楽と絵画の関係性は、石田さんの作品を構成する大きな要素の1つとなっています。こういった作品を作り始めたきっかけは?

石田:中学生のころ聴いて衝撃を受けたグレン・グールド(旧来とは異なるバッハの解釈と、躍動感あふれるプレイで歴史に名を残すピアニスト)の演奏だと思います。巨大な渦をイメージさせるような演奏で、「音楽を描きたい」という欲望の原点になりました。また高校生の頃に聴いた、ヌスラト・ファテー・アリー・ハーンというパキスタンの歌手も衝撃的でした。はっきり目に見えるようなうねりのある歌声で、こんなふうに絵が描けないものか……と思ったのを憶えています。実際に自分で描き始めたのは、20歳のころ。CDラジカセでバッハの音楽を流しながら、即興のライブペインティングを新宿アルタ前などで始めました。

■新宿アルタ前でのライブペインティングから、ドローイングアニメーションが生まれるまで

―展示でも新宿アルタ前や夢の島公園でのライブペインティング映像が流れていましたが、バッハを大音量で流しながら、鋭い動きによって線や色が生まれていく様子がとても印象的でした。この頃はもう画家で食べていく覚悟を決めていたんですか?

石田:10代から自分の中で「画家宣言」のようなものはしていました。祖父母ともアーティストで、父は音楽評論家、母が声楽家というのもあって、ピアノを習うなど、絵と音楽は身近なものでした。一方で文字が苦手で、興味のある本なら読めたのですが、そうでないと努力してもまったく頭に入ってきませんでした(笑)。だからわりと早い時期から、絵でやっていくんだ、という想いがあったと思います。中学、高校と美術部で描き続け、10代の終わりには初個展を開きました。学生のころは油彩で「バベルの塔」などを描いていたんですが、やはり「描きたいのは音楽や時間そのものではないか?」という思いが強くあって、ライブペインティングや映像を使った表現へと変わっていったんです。

―しかし、ライブペインティング中心の活動からは数年間で離れ、その後は映像を中心とした作品制作へと向かっていきました。

石田:屋外で人に見てもらえるのはすごく面白かったのですが、2つ問題がありました。まず、作品として定着できないこと。描き終わった後に残るのは、ぐちゃぐちゃの紙だけですから(苦笑)。もう1つは、お客さんの視点が僕のほうにいってしまいがちなこと。僕は音楽に合わせて、線がどんどん伸び、増え、変化していく様を見たかったし、お客さんにも見てほしかったのに、どうしても「パフォーマンス」だと見られてしまう。そこにズレを感じたんです。それで、線が変化していく様子だけを映像で表現しようと考え、ビデオでコマ撮りアニメーションを作り始めました。

―描き手の姿を消滅させるための映像化でもあったんですね。同時に、映像ならではの手法――複数の絵を重ねたり、逆回しなど時間の操作などにも可能性が広がっていった?

石田:はい。パフォーマンスと違って地道な作業で、数十秒の映像を作るにもかなり手間と労力が要りましたが、発見も多くあったと思います。映像については最初独学で、後にイメージフォーラム映像研究所に通って、身に付けていきました。

―石田さんの作品は手法やコンセプトもそうですが、用いるメディアも様々です。

石田:そうですね。今回はデジタル映像の投影だけでなく、16ミリフィルム作品は、実際に映写機で上映しています。フィルムでしか表現できない独特の艶みたいなものがあるんですよね。そうした部分も感じてもらえたら嬉しいです。

■「沖縄の海や山といった自然も、大都会の裏側も、『見る側の意識次第』で、同じように美しく見ることができる」

―そうした中、石田さんは一度消した自分の姿を、ある時期から映像でも積極的に見せるようになりますね。第3章「身体」に展示された『海中道路』は、長い道路に海水で線を描いていく本人の姿をカメラで追いかけていく映像作品ですが、ここでは描線同様、石田さんも踊るように動いています。

石田:色々と試行錯誤を続ける中で、あらためてああいう形もアリではないかと考えるに至りました。ほかに、音楽を聴きながら絵を描いている「手の動き」を赤外線カメラで捉えて作品化したものや、指揮者のように手を振る指先の軌跡をトレースして映像化したものも作っています。ドローイングアニメーションによる作品を先に知ってくれた方からすると、「作家も出てきた!」と驚いたかもしれませんが(笑)、むしろ最初からやっていたこととつながっているんです。

―『海中道路』は、道路自体が絵巻のようでもありますしね。ちなみに同作を作られた沖縄は、石田さんにとってルーツの1つでもあると聞いています。

石田:ええ。10代後半のころ、一度生まれ育った東京を離れたくて、沖縄に住んでいたことがあります。その頃、ひと夏ですが、平安座島という所の石油基地でアルバイトをしながら制作活動をしていました。沖縄の光は東京と違い、影も蒼く輝くような強い印象を受け、煙突の上から見た、せり上がるような大海原や、対照的な巨大タンクなどの人工物を見ながら、東京とは違う意識を体験する日々でした。

―今展の冒頭には、沖縄滞在時に描いた、透明感のある渦巻きのような水彩画『渦』も展示されています。

石田:沖縄では那覇の画家・真喜志勉(まきし つとむ)先生にも大変お世話になり、今度詩画集を共作させて頂く詩人の矢口哲男さん、そして、以後何度もパフォーマンスをご一緒させていただくことになる吉増剛造さんとの交流も始まりました。沖縄でもらったものに対して、いつか何かをお返ししたいという特別な想いはあります。本展は沖縄県立博物館・美術館でも開催するのですが、2月に真喜志さんがお亡くなりになってしまい、ぜひ観ていただけたらという願いは叶わなかったのが残念です。

―沖縄での強烈な自然の体験や人々からの刺激だけでなく、帰京してからは、大都会ならではともいえる害虫駆除のアルバイトをされていたり、これまた大きな振れ幅の選択、という印象です。

石田:偶然見つけて、時給も良かったんですよね。普通の人は接点すらないような空間、地下トンネルから様々な国の大使館にまで入って行ける仕事でした。特に巨大な地下空間などは都市の持つ裏の表情が感じられ、また、沖縄と対照的に色のない世界を経験する日々でもあったと思います。そうした場所に駆除用の乳剤を噴霧器でまくのが仕事だったんですが、それもいつの間にか、線を描く気持ちでやっていました。

―まさに根っからの画家気質(笑)。それが噴霧器と水で描く『海中道路』のような作品にもつながっているわけですね。それだけでなく、おっしゃるような空間体験も作品の世界観と無関係ではないように思いました。

石田:あのころ「もし見る側にパワーがあれば、全てを美しく見ることができるのでは?」と思ったこともあります。海や山といった自然もそうですし、ときには大都会の裏の姿に、神聖とも言えそうな特別な空気を感じることもある。一方でこの世界には、様々な欲望も確かに存在していて、表現者としてそうしたものを見、気付くことの大切さについても考えます。自分も含め、見る者の意識次第なんですよね。

■「自分の描線が死んでいかないよう、『生かし続ける』ためにあれこれ手法を変えて取り組んできたのかもしれない」

―今展を締めくくる第4章は「部屋と窓」。その名の通り、室内の壁や家具に無数の描線が踊り、窓からの自然光をトレースした線も含めた「動く空間絵画」とも言える、石田ワールド全開の映像作品を観ることができます。さらにこのセクションでは新作3点のうち2点が展示されていますね。

石田:はい。1つ目は『燃える机』といって、府中市美術館での滞在制作から生まれたもの。2つ目の『光の落ちる場所』という作品は、自宅のスタジオに白い大判カンバスを斜めに吊るし、宙に浮いたような状態で、約1か月にわたり描き続けてコマ撮り、映像化したものです。新作はこれだけでもいいかな、と思ったのですが、ふと始めたらとまらなくなり(笑)、さらにもう1つ作品が生まれました。

―もう1つの新作、どの章にも組み込まれていない『渦巻く光』(第2章展示室の天井に設置)はまさに「窓」のような作品です。

石田:こちらは正方形のガラス板を少しずつ回転させながらその上に描き、コマ撮りするという新しい手法を採り入れています。さきほどフレームの話をしましたが、絵画も映像もフレームの中にある「平面」という見方ができますよね。さらに、その「平面」を「窓」として捉えられるのではというアイデアがありました。やり方次第によって「新しい窓」が作れるかもしれないと思ったんです。展示室の天井に吊るしたスクリーンを窓に見立てて投影しています。

―ガラス上の絵が「渦まく」様子は、冒頭に展示されている沖縄で描いた水彩画『渦』や、グレン・グールド体験のエピソードともつながるのでは、と感じました。

石田:そうですね。この作品はある意味、今展各章のキーワード「絵巻」「音楽」「身体」「部屋と窓」をすべて内包しているとも考えています。実際には長い絵巻はないし、音楽も、僕の姿も直接は現れていませんが、同時にどれもがそこにある、というような。

―ただ、今日お話を伺っていて意外だったのは、石田さんの緻密でコンセプチュアルとも思える創作が、実際はこの新作のお話のように、偶然性や無意識の試行から生まれているらしい、ということです。

石田:基本は具体的な構想やイメージを持たずに制作を始めますね(笑)。創作用に事前スケッチをしたり、言葉で整理したりすることは少ないです。自分でもよくわからないまま始めて、作りながら発見し、そこに新しい法則のようなものを見つけたとき、作品化の可能性が見えてくる。そんな感じです。

―そう聞くと石田さんの20年余に渡る創作も、直線的な進化というより、作中の描線たちのように、右へ左へ、行きつ戻りつしながら広がっていったのかな? と思いました。

石田:ひたすら細かい描画に取り組みたい欲望も、踊るように描くことへの欲望も、両方あります。今展覧会を担当している横浜美術館学芸員の松永真太郎さんは、僕の創作について「反復」というキーワードを出してくれて、なるほどと思ったんです。といってもまったく同じ繰り返しではなく、むしろその種の反復で自分の描線が死んでいかないよう、「生かし続ける」ためにあれこれ手法を変えて取り組んできたのかもしれない、と今は思います。それを逆に言えば「反復」なのかな、と。

―先日その松永さんから「石田さんの作品はいずれも良い意味で『未完』の要素があり、だからこそ以降の展開につながる、そんな創作スタイルなのでは」とも伺いました。ゆえに「今回の個展は、会場全体も1つの作品のように体験できる場になれたらいい」と。

石田:規則正しくではなくても、作品同士がどこかで強くつながっていたり、漠然と「いつかやるべきだ」と考えていたことが時を経て実現に向かうことはよくあると感じます。だから、たとえば今後の展開次第で「緻密なドローイングアニメーションをやめてから、石田はダメになった」といったことを周囲に言われるときがきても、僕自身がやろうとすることは変わらない。そんなふうに思っています。

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