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身冷スポット探訪
8月も終わりを迎えたが、まだまだ残暑は続く。今、地球上で最も気温の低いところに行くとすれば、やはり南極? 日本にいながら南極の気分を味わえる場所なら、かなりのヒンヤリ感を得られるのではないだろうか。ということで、行ってきたのは「南極・北極科学館」。しかし、予想に反してそれは科学技術好きが拳を握りしめて見入るような、熱~い場所だった。
国立極地研究所 南極・北極科学館
同研究所広報室長の川久保守氏。元南極越冬隊員だ
実物に触れて体験できる、南極・北極科学館東京都立川市、昭和記念公園の北に位置する南極・北極科学館は、同敷地内にある国立極地研究所の展示施設として2010年にオープンした。展示スペースは約600平方メートルと、一般的な博物館等と比べると決して大きくないが、オープンから1年で約3万3千人が訪れたという密かな人気スポットだ。
極地研広報室の川久保氏によると、この科学館の特徴は3つあるという。1つは、「実物を展示している」こと。南極観測隊が実際に使った、あるいは今も使っている機器、また採集された鉱物・動植物標本なども全て実物だ。2つ目は「触れられる」という点。数万年前の氷から南極点に到達した雪上車そして隕石まで、展示品に触れてそのリアリティを感じることができる。3つ目は「長いタイムスケール」で南極を見ることができる点。46億年前の隕石、南極の氷に残された35万年間の気候変動、数百年記録をためた苔の群生"コケボーズ"、日本の南極観測50年の歴史、そして基地のライブ映像まで、南極に刻まれた長い歴史を様々な角度から見ることができるのだ。(なお、安全性や維持管理の問題から、現地の気温を体験する設備は置かれていない。)
南極の氷や鉱物、大気などから地球の過去と現在を調べ、未来の研究に役立てられている
南極で活躍する、町工場発の先端技術展示室に入るとまず目に飛び込んでくるのは、長い金属製のパイプのようなもの。これは、最低気温-79.2℃を記録したドームふじ基地で、南極大陸氷床を3,035mまで掘った掘削機だ。筒の中でドリルが回転しながら降りていく仕組みになっており、4mずつ掘っては引き上げ、筒状に氷を採取することを繰り返し、約1年かけて掘り進んだという。3,000mを超える深度で、固い氷を真っすぐに掘り進むことを可能にしたのは、日本の町工場の技術力だという。鈑金・モーター・制御系など、探求する人々の熱意を実現する技術の粋がここに凝縮されている。
南極の氷は降り積もった雪が解けずさらに上に積もった雪が圧密され固まったものであるため、降った当時の雪に含まれていた空気が閉じ込められている。深く掘削するほど古い時代の空気が閉じ込められた氷ということになる。2,500mまでの深さで採取した氷の中の炭酸ガス濃度などを分析したところ、約35万年前までの気候変動の結果が明らかになっている。
高さにすると北アルプスくらいの距離をこのパイプで掘り進み、約72万年前の層まで採取した
南極の氷に、実際に触れてみることができる。空気を含み、白く不透明なことが特徴だ
展示室の天井からつり下げられているのは、観測用の小型無人飛行機。遠隔制御で1,000km程度の飛行が可能で、センサーやカメラなど、様々な観測機器を搭載することができる。磁場や大気の観測などに使用されている現役の機体だ。こちらも非常に厳しい環境での使用に耐えながら、高い精度が求められる機器だ。
観測計画によっては、現地へ搬入する可能性もあるので、見たい人はお早めに
昭和基地と日本の南極観測の歴史昭和30年代の初め、日本がまだ「敗戦国」であり国際社会になかなか出て行けなかった時代。国際学術連合会議(ICSU)は、1951(昭和26)年から「国際地球観測年」として極地を含めた全地球規模の観測を、世界各国が行うよう要請した。これを受け南極への観測基地設置を目指した日本には、南極観測の国際会議において南極大陸から遠く離れた孤島での観測が勧告されたが、その後の協議、申し入れにより、プリンスハラルド海岸付近を担当することとなった。1957(昭和32)年、現在の基地があるオングル島に上陸、昭和基地と命名した。しかし、その付近は"インアクセサブル"=接近不可能といわれた地域……この"南極事始め"が有名なタロとジロの「南極物語」を生むことになる。こうした南極観測の歴史も、映像や資料などで展示されている。
南極大陸と日本のスケール比。写真下部の入り江になったあたりに昭和基地がある
中でも目を引くのが、SLと見まごうような巨大な雪上車。1968年、第9次越冬隊が南極点に到達した時に実際に使用されたものだ。往復5,200kmを、約5カ月かけてこの雪上車で移動した。自重7トンに加え、物資や燃料を後ろに積んで進むため、3,000mを超える高所での燃費はリッター250m程度。あらかじめデポジットした燃料や外国基地から支援を受けた燃料を使いながら進んで行ったそうだ。この展示車両は中に入ることができ、なんと運転席に座ることも可能だ。
極点に到達した3台の雪上車のうち、この604号が隊長車
アクセルは右のペダル。2本のレバーが運転用ハンドルである
操縦席の横にエンジンルームがあり、車内で整備できるようになっている。後部には台所と簡易ベッド
歴代の南極観測船の模型が並ぶ。すべて1/100スケールで、規模の変遷もわかる
1911年、白瀬矗大尉が南極探険に挑んだ際の船。わずか204トンだった
昭和基地の「今」現在の昭和基地の模型と共に、現地のライブ映像を見ることができる。建物は、大陸側から吹き下ろす風が運ぶ雪による大きな吹き溜まりができない向きに建てられている。現在、基地にいる隊員は30人ほど。約半数が観測や研究を行い、半数が通信・発電・医療・炊事など基地の維持業務にあたっているそうだ。
発電棟の後ろはあえて雪が吹き溜まる造りにし、発電機の冷却兼生活用水のタンクが置かれている
隊員の居室も実際と同じものが設置されており、中に入ることができる
南極観測が始まって約50年、川久保氏によると最も変化したのは通信環境だという。昔はモールス信号でわずかな情報がやりとりされるだけだったが、現在では衛星回線でネットワークがつながり、ライブ映像も送られてくる。立川市にある研究所から、南極の昭和基地に内線電話がかけられるのだ。「どっちがいいかは、個人や世代によってちがうでしょうね」と、川久保氏は苦笑した。
日本の観測隊は、これまでに1万7,054個の隕石を採集。小惑星探査機はやぶさが持ち帰った岩石の組成分析でも、これらの隕石のデータが検証に活かされた
氷の下の岩盤は浸食や風化が少ないため、他の大陸では難しい地質学的な発見があることも。最近南極で発見された新しい鉱物は、大陸がどのようにできたのかを探る重要な手掛かりとなる
動物の剥製は子供の目線に合わせ低い場所に展示。コウテイペンギンは子供の背丈ほどもある
オーロラシアター展示室の一番奥にあるのは、小さなプラネタリウムのようなドーム型のオーロラシアター。昭和基地のほかドームふじ基地や北極で撮影されたオーロラの全天映像が月替りで上映されている。オーロラは両極の高緯度地域にドーナツ状に広がる「オーロラ帯」で観測されるが、昭和基地はそのオーロラ帯の真下に位置する。大規模なオーロラが発生時には、全天がオーロラの大波に包まれたように見えるそうだ。
ここで上映されるのはそのハイライト映像。観光では行くことができない地域のオーロラ映像を上映している場所はここしかないので、見てみたい人にはぜひおススメしたい。デートスポットとしても密かに人気なのだとか。
オーロラシアターは1時間に4回上映。他では見ることのできない、幻想的な映像にしばし見入る
現在の観測データや太陽活動の様子がモニタに表示する横に、第1次隊など"宗谷時代"の隊員が記したオーロラ観測の記録紙。時間や方角などが細かに記録されている
北極基地のライブ映像。同研究所では今年から北極観測にも力をいれ始めており、今後は北極に関する展示も増やしていく予定
ここでは南極を科学的な視点で解説する展示だけでなく、国立極地研究所が行っている活動や研究成果を見ることで、現在の南極観測をリアルに感じることができる。氷点下の昭和基地を思って体感マイナス15℃、でも今回は知的好奇心がヒートアップしたせいで、差し引きマイナス5℃!
■身冷度チェック
手軽さ : ★★★★
コスト : ★★★★★
体感温度 : -5℃※体験者の経験による感覚的な数値です