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【関東大震災の3年後】大正15年頃の東京の映像が凄い
どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は「Imperial Japanese Capital Tokyo 1926~1927 – After Great Kanto Earthquake Revival Modern City Footage(1926~1927年の日本皇国の首都・東京~関東大震災から復興した近代都市の記録~=著者訳)」というタイトルの映像を紹介していきたいと思います。
1926~1927年ということで、和暦にすると大正15年から昭和2年(大正は15年が最後の年で、大正15年は12月25日まであり、昭和元年は残りの7日間だけ)という、日本を撮影した映像としては、かなり古い部類に入ると思います。
この記事の完全版(動画・全画像付き)はこちら
建設中だと思われる建物の映像から始まります。震災よりわずか3年後、東京の街は復興を続けているところのようです。
ちなみに関東大震災が起きたのは、1923年(大正12年)9月1日11時58分のこと。東京だけで、被害を受けた住宅数は約20万棟、死者・行方不明者は約7万人という、とてつもない規模の災害でした。
下の写真(※見えない場合は元記事にて)は、Wikipediaに掲載されている「京橋の第一相互ビルヂング屋上より見た日本橋および神田方面の惨状」という内容のものです。もちろんこの写真と同じ場所ではありませんが、こんな状態からよく3年でここまで復興しているものだと驚きです。
”Desolation of Nihonbashi and Kanda after Kanto Earthquake” by 大阪毎日新聞社 – 関東震災画報. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.
周囲をなめるようにカメラは動いて行きます。線路も見えます。モクモクと煙を吐き出す煙突があります。見る限りでは、かなり復興しているようです。右手奥に見えるのは東京駅のようです。その前を東京市電(後の都電)が走って行きます。東京駅は1914年(大正3年)12月20日開業なので、開業12年後くらいでしょうか。
駅前の広場で通りがかりの人たちに声がけしている男性がいます。タクシーの客引きのようです。通行人に深々と頭を下げたりと、強引な感じの客引きではないようです。
子供の手を引き、道路を渡る親子らしき姿があります。…