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水沼宏太(サガン鳥栖)|息子が父親を凌駕する瞬間~父から息子へ継承されるもの~
サッカーノンフィクション
言葉のパス ~ぼくのサッカーライフ~
文●川本梅花 写真●Getty Images
はじめに
この物語は、現在、サガン鳥栖に所属する水沼宏太が、サッカーを始めたときから、2011年に栃木SCにレンタル移籍していたころまでが描かれている。取材は、水沼本人と彼の父でサッカー解説者である水沼貴史氏におこなった。
元日本代表だった父をもつ水沼は、2世のプレーヤーという看板を背負って子どものころから人生を歩んできた。時には世の中の心ない人々の誹謗中傷された声に傷つき悩み苦しんだ。しかし、そうした世間の目に対して、水沼はプロスポーツ選手として結果を出しはね除けている。
僕は水沼宏太と話していて感じたことは、こんなに素直な性格のサッカー選手がいたんだ、ということだった。子どものころからサッカーをやってきて、ものすごい競争の中から勝ち抜いて残った選手がJリーガーになれる。その先にも、試合に出られるのか出られないのかという熾烈な争いが待っている。そんな世界の中で生き残った選手だけが、生活の糧をサッカーでまかなえるようになる。名前が売れてお金も入れば女の人だって寄ってくるし遊びの誘惑だって増えてくる。そうしたことにきちんと整理をつけて、サッカーに向き合うことは、よっぽど芯のしっかりした人間にならないと実は難しいものだ。
水沼はメンタルがしっかりしている。彼の発言の中に迷いとかブレとかはない。自分が発した言葉がどれだけの影響力があるのかを自覚している。だから、彼から人を妬んだりひがんだりした言葉を聞かなかった。
この物語には父と歩んできた彼のサッカーが書かれている。
25歳になった彼が、選手としてどのようにレベルアップして、人間としてどれだけ成長したのか、今後も注目していきたい。
買ってもらえなかった日本代表のユニホーム
ナイター設備のないグラウンドは、数台の車のヘッドライトに照らされてオレンジ色に染まっている。あざみ野FCのサッカー少年団に所属する子どもたちが、車から放たれる光を頼りにボールを蹴り合う。
練習が終わると、水沼宏太は父の貴史のそばに歩み寄る。
「日本代表のユニホームがほしいから買ってくれる?」
と、水沼は父に頼み込む。
「ダメだ」
と、父は即答する。
「代表のユニホームは自分の実力でとるものだから。自分で最後に着られるようになればいいだろう」
そう言って、帰り支度をはじめた。…