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警察官170人がサリン中毒、警察官たちの“壮絶な記憶”
東京の地下鉄で化学兵器のサリンがまかれ、多くの死傷者が出たテロ事件からまもなく20年となります。実はこの事件で警察官170人がサリン中毒になったことはあまり知られていません。現場に真っ先に駆けつけ、生死の境をさまよった警察官、さらに、サリンの袋を決死の覚悟で回収した警察官が初めて真実を明かしました。
1995年3月20日。オウム真理教が狙ったのは、地下鉄の3つの路線を走る5本の電車。午前8時ごろ、霞ケ関駅に向かう満員の電車内でサリンがまかれました。鑑識課員だった杉山克之さんは、日比谷線霞ケ関駅のホームに駆けつけました。杉山さんは運転席から一人で車内に入り、換気のために窓を開けていきました。その様子をたまたま現場に居合わせた会社員の男性が撮影していました。そして不審物の前に立ち、観察します。中から漏れ出す液体。これがサリンでした。その時。
「メモを取ろうとするその手が動かない。やられた」(元警視庁鑑識課 杉山克之さん)
運転席から飛び出したものの、息ができず、崩れ落ちました。
「ロープで強力に急激に絞められている感じ。『死ぬ死ぬ』と思っている中で、『係長』という言葉に“まだ生きている”」(元警視庁鑑識課 杉山克之さん)
オウム真理教が持ち込んだサリン11袋のうち、丸ノ内線の4袋は駅員が回収。残る7袋の回収を命じられた警察官がいます。当時、警視庁警備部にいた神正三さん。装備の担当をしていました。事件当日は幹部に披露するため、2日前に納入されたばかりの防護服を着ている最中でした。警視庁で防護服の着脱方法を知っているのは神さんらだけ。急きょ4人の回収部隊が結成されます。
「“ぶっつけ本番”みたいな感じ」(元警視庁警備部 神正三さん)
最初に向かったのは、鑑識課員の杉山さんが倒れた日比谷線霞ケ関駅の電車。午前9時10分、目に入ったのは、杉山さんが開けた「窓」でした。
「窓が少し開いていた。ドアは開いていないけれど。そこから私がまず入って」(元警視庁警備部 神正三さん)
まだ不審物がサリンとは知らず、ゴム手袋で直接、サリン2袋を拾いあげます。
「(Q.どういう感覚?)普通、変な話、普通」(元警視庁警備部 神正三さん)
窓からホームにいる別の隊員に渡し、その隊員が袋に入れたといいます。次に向かった先は日比谷線の小伝馬町駅。林泰男死刑囚がサリンの袋3つを持ち込み、傘で突き刺しました。…