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<福岡・延永ヤヨミ園遺跡>国内最古級の「導水施設」
◇3〜4世紀中ごろ 近畿の水の祭祀、短期間に九州に
九州歴史資料館(福岡県小郡市)は16日、同県行橋市の延永(のぶなが)ヤヨミ園(その)遺跡から九州で初めて出土した古墳時代の水の祭祀(さいし)遺構「導水施設」の木樋(もくひ)が、3世紀中ごろ〜4世紀中ごろのものと判明したと発表した。ヤマト政権発祥の地とされる奈良県の纒向(まきむく)遺跡で出土した国内最古の3世紀後半〜4世紀初頭のものとほぼ同時期で、近畿で始まった水の祭祀が極めて短期間に九州にも伝わっていたことになる。誕生したばかりのヤマト政権が延永ヤヨミ園遺跡一帯を九州支配の拠点としていたとみる識者もいる。
2011年の調査で出土した木樋は三つの細長い部分からなり、長さ4.2メートル、幅35〜70センチ、厚さ4〜10.4センチ。一方の端に長さ35センチ、幅30センチと、長さ60センチ、幅35センチの二つの水槽状のくりぬきがあり、もう一方の端まで幅10センチの溝が延びる。放射性炭素年代を測定し実年代に換算した結果、3世紀中ごろ〜4世紀中ごろのものと判明した。二つの槽を持つ木樋の実物が出土したのは国内初。
木樋はくいで地面に固定され、周囲には1.7〜1.8メートル間隔で柱が4本あった。建物か塀で囲った中で、くりぬき部分に水をためて上澄みを得たとみられる。水の祭祀の意味はよく分かっていないが▽葬送儀礼や王位継承で用いた▽浄化した水で首長が地域の繁栄と永遠の命を願った▽浄水を水田にまき豊作を祈願した−−などの説がある。
纒向遺跡に続く導水施設の遺構は滋賀県や京都府、石川県などで4世紀のものが見つかっている。5世紀になると導水施設をかたどった埴輪(はにわ)や石製品も近畿を中心に全国各地で出土する。このため5世紀ごろに水の祭祀が近畿から各地に波及したとされていた。今回、近畿から遠い九州で纒向遺跡とほぼ同時期のものが出土したことで、その通説は再考を迫られそうだ。
調査した九州歴史資料館の城門(きど)義広・主任技師は「近畿でも出土例が少ない古い時代に、地域の首長が行う祭祀として既に伝来している。ヤマト政権が遺跡一帯を重視していたといえる」と話している。木樋は5月10日まで同館で展示される。【大森顕浩】
西谷正・九州大名誉教授(考古学)の話 ヤマト政権の最新文化が時間差なくもたらされており、この遺跡一帯が誕生したばかりのヤマト政権の九州支配の拠点だったのではないか。
◇導水施設
木樋や木槽などに水を流し、上澄みの浄水を得る古墳時代の施設。木樋の周囲は建物や壁で覆う例が多く、神聖な場所の隔離とみられることから祭祀施設とされる。近畿中心に群馬県など全国13遺跡で確認され、施設をかたどった埴輪や石製品も三重、東京、大分など全国12地点で出土している。