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卒業・別れ…告白できなかった恋の行方は?甘酸っぱい教室での思い出(前編)
大人になることの本質は「実務的になる」ことなんだと思います。
学生のころは「勉強したくないなあ」「レポート書きたくないなあ」とだらだら時間を過ごしていても、許される。
【本サイトで全文を読む】
でも、社会人になると残念ながらそうも言っていられません。限られた時間で効率的に動いていかないと、こなすべきタスクはどんどん溜まっていきます。
遊びも「漫然と時間をつぶす」みたいな小学生的な遊び時間はどんどん減ってきて、予定を立て、スケジュールをきちんと組んで遊ぶ、という機会が増えてきます。
そして恋愛行動も、いつしか実務的に。
「あの人のこと、ぼんやりと好きだけどどうしようかな……」というような曖昧な気持ちをほったらかしにして何も行動せずに悶々とするのは、年をとって「実務」に慣れてくると、むしろストレスになります。代わりに考えるのは、
「自分をアピールするためにどういう服でどういう店でどういう会話をするか」
「この人は付き合う相手にふさわしい人間かどうか、慎重に評価しなければ」
「万が一、ホテルに行くことになった場合に備えてこういうシミュレーションをしておこう」
などなど、実務的戦略ばかり。「淡い恋心をそっとしまっておく」みたいなものだった恋愛が、いつの間にか「ゴールを設定してそれに向けてチャレンジするタスク」の顔をしています。
実務型恋愛が行き着くところに行き着くと、デートの終わりに「今度よかったらセックスしませんか」「ああ、いいですね、今度ぜひ」みたいな会話をするようになったりします。
あ、ごめん。
単に僕が間違ったほうの大人の階段をのぼってしまっただけだ、これ。
そんな僕を諌めるべく「これが恋ってもんなんだぜ」みたいな若者たちの投稿が今週も集まりました。
怨霊ラブメモリー、今回は「卒業編」最終回です。
まずは僕の中のさびついた青春回路がうずうずする投稿を2本、ご紹介。
■結局、告白しませんでした
◎みわさん(東京都)
エピソード:
高校の頃、同級生のことが好きでした。
彼は毎日、朝早くに学校に来る人だったので、私も毎日早起きして、その人が来る10分前に教室に来ていました。
結局、朝に教室で少し話すだけで、告白はできないまま卒業しました。
「君が来ると知ってたから一番に来てた教室 誰も知らない(みわ)」
■結局、告白されませんでした
◎くまりんごさん(宮崎県)
エピソード:
「もしかして両思いなのかも……」と心の中だけで信じていた人がいました。
卒業まぎわのある日の放課後、卒業アルバムのメッセージをみんなで書いていたら、たまたま二人っきりになる時間がありました。そして「あ、告白されるかも」という雰囲気に。
でも、別の男子が私のことを呼びに教室に入ってきて、結局、そのまま何もありませんでした。
「本当は好きだったでしょ 教室にあいつが来なきゃ付き合ってたでしょ(くまりんご)」
短歌の表記、マスあけなど、少し変えました。ご了承を。
どちらも、見事に、何も起きてない。起きてないんだけど、なんてリアルで繊細な恋なんだ。
恋の99%は、告白されずに終わるのだと思います。生きていると、意識の下でたくさんの小さな恋心が生まれ、理性がそれを却下するというルーティーンを繰り返すものです。笑顔でお釣りをくれたコンビニの女の子や、満員電車でちょっとだけふんばって自分を守ってくれる紳士に、ちょっとずつ恋をしては、ちょっとずつ却下している。
もちろん、僕たちが生きているのは学校のように誰彼かまわず恋をしても許される世界ではないので、仕方ないのだけれど。教室内で二人きりで何かが起きそうで起きないどきどきした時間、また味わってみたくなります。
みわさんの短歌は「知っていたから」にしたほうが音数が合うかも。「誰も知らない」は人に届けるにはちょっと意味が飛びすぎで、再考の余地がありそうです。
くまりんごさんの短歌は「付き合ったでしょ」のほうがリズムが整いそう。
僕も、昔を思い出して、何も起きない短歌をお返しにおいておきます。
「遅刻する君にぶつかるちょうどいい曲がり角さえあれば今ごろ」
次は、先生との関係を綴った短歌を紹介!
<後編へつづく>