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日本の「端」を巡る旅 (24) 佐渡(1)–日本海に浮かぶ巨大な国境の島
早朝、カーフェリーで佐渡に向かう
前回までの八丈島は、流人の島として名高い。そして佐渡も、順徳上皇、日蓮、世阿弥(観世元清)をはじめ、古来多くの貴人が配流されてきた島だ。それと同時に、他国の横暴により外へ出て行かざるをえない状況を強いられた人が暮らす島でもある。
昨今、佐渡と聞いて思い浮かぶことは何だろう。何人かに尋ねてみた。いわく、「寒そう」とか「寂しそう」とか「波が荒そう」とか、あるいは「トキ」とか「たらい舟」とか。返ってきたのはそういったあたり。それともうひとつ、この島で北朝鮮に拉致された曽我さんだったりする。
北朝鮮拉致被害のことを考えるとなおさら思い至るのは、やはり佐渡は日本の端であるという事実だ。この連載では、単なる東西南北の四端だけを機械的に日本の端と規定することはしない。それは4つの角にすぎないのであって、その4つの角を結ぶさまざまな地点にも、いくつもの端がある。
日本海の只中に浮かぶ佐渡島も、まちがいなく「端」のひとつである。そして、地図的にという話だけでなく、先ほど挙げた過酷な事件からも、まさに緊張のラインにさらされた国境のそれを痛切に感じさせる。
2008年11月、数年ぶりに佐渡を再訪した。冬へと突入していく直前の隙間で、山々が赤に黄色にやわらかく染まる季節である。
新潟からの佐渡汽船が入港する両津の町と、背後にそびえる大佐渡山脈。右側の高い山が佐渡最高峰の金北山(1172m)、左端の頂上に白い建物がある山が妙見山(1042m)。後述するように、ともに”国境”と深い縁のある山だ
前述したように、佐渡というと日本海に浮かぶその位置から、寒いイメージがあるかもしれない。もちろん東京と比べたら寒いけれども、実は暖流である対馬海流の影響から、新潟県の本州側よりも冬の気温は若干高いのである。平地では積雪もあまりない。ただし日本海から吹きつける風は強く、海は荒れる。今回は、その冬を迎える前の季節。佐渡を訪れた数日は、総じて天候が穏やかで、波も静かだった。
信濃川の河口・万代島に位置する新潟港の佐渡汽船ターミナルから、午前6時発の両津港行きカーフェリーに乗船。11月中旬の平日の早朝に佐渡へ渡る人なんぞほとんどいないだろうとタカをくくっていたけれど、意外にも待合室には乗船客が次々と集まってくる。
佐渡汽船ターミナルのロビーにて。佐渡の世界遺産登録をめざす横断幕が張られている。午前5時半に到着したとき、すでに食堂やそば屋は営業していた
佐渡へのアクセスルートは現在船便のみ。新潟空港と結ぶ空路の定期便もあったが、利用者が少なく、訪問直前の9月末に廃止された。佐渡行きの船便は新潟県内の3つの港、新潟、寺泊、直江津から出ている。新潟は佐渡の中心地である両津と、寺泊は赤泊と、直江津は小木との間に定期航路を運航。便数がもっとも多い新潟‐両津航路は、カーフェリーとジェットフォイルが就航している。
朝6時に出航したカーフェリー「おけさ丸」は、信濃川河口を下ってすぐさま日本海に出る。出航して30分、本州の山並みの向こうから美しい太陽が昇ってきた。日の出にしばし見とれて振り返ると、船の進むその先にはもう、巨大な佐渡の島影がうっすら見えてくる。
夜明け間近、信濃川河口から出発。中央が佐渡汽船のターミナルで、その右の高い建物は朱鷺(とき)メッセ
新潟・福島県境の飯豊連峰から朝日が昇ってきた。両津までカーフェリーだと片道2時間半。ジェットフォイルなら1時間で着くが、カーフェリー2等とジェットフォイルでは運賃が倍以上違う
早朝出発の便ということで、2等船室に入った乗客のほとんどはすぐさま寝に入っていた
両津航路は国道350号の海上区間。新潟‐両津の距離は約67kmだ。本州・佐渡間の最短航路は寺泊‐赤泊で、46km程度
景勝地の只中にレーダー基地がある現実
午前8時半、両津港に到着。2004年、いわゆる平成の大合併で佐渡島内の全市町村が合併し、佐渡市が誕生したが、それまで佐渡唯一の市として中心都市の役割を果たしていたのがこの両津である。
佐渡は、本土四島と北方領土の択捉島・国後島を除くと、沖縄本島に次いで日本で2番目に大きな島だ。面積は約855平方kmで、東京23区の1.4倍ほどもある。宇宙から眺めた姿は、カタカナの「エ」を右上方向にグイっと引っ張ってひしゃげたような形。エの上の横棒に1000m級の峰が連なる大佐渡山脈が、下の横棒に小佐渡と呼ばれる丘陵のような山地がそれぞれ横たわっている。そして縦棒の位置には、島の中とは思えない景観を見せる国仲平野が広がる。
両津港の佐渡汽船ターミナル。「おけさばし」の名が見えるが、佐渡ではどこに行っても「おけさ」の文字に出会う
停泊中の船が、新潟から乗ってきた「おけさ丸」
大佐渡山脈の尾根を走る大佐渡スカイラインから眺めた両津。向こうが両津湾で、手前の水域は加茂湖である。両津の町は海と湖を隔てるように延びた砂州の上につくられた
佐渡はなにせ広い島だから、車がないと効率的に回るのは厳しい。両津はエの字の縦棒の右、つまり東(より正確にいえば北東)側に位置している。レンタカーで両津から北上し、国境の海に面した北海岸へ向かうことにした。
内海府(北東海岸沿い)を北へ1時間弱、まず着いたのが佐渡の最北端である弾崎(はじきざき)。そこから外海府(北海岸)を伝い、二ツ亀、大野亀と呼ばれる巨大な岩や、佐渡を代表する景勝地・尖閣湾などを数時間かけ巡っていった。
佐渡島最北端に位置する弾崎。灯台守の暮らしを描いた映画『喜びも悲しみも幾歳月』の舞台のひとつともなっている
北海岸の奇勝の代表、二ツ亀(左)と大野亀(右)。亀は岩を意味している。夏場に海水浴やキャンプで賑わう二ツ亀は、干潮時に島とつながり、満ちてくると離れる。大野亀は、初夏にカンゾウの花が群生する地として有名
日本海に落ち込む山裾と目の前の海に挟まれた狭い土地に、いくつもの集落が点在。新潟本土に比べて気温が穏やかな佐渡だが、国境の海に面した北海岸は気象条件が厳しい地域だ
海に落ち込む奇岩が海岸美を織り成す尖閣湾。ノルウェーのハルダンゲル・フィヨルドに景観が似ていることから、その名前を直訳して名づけられたのだとか。映画『君の名は』のロケ地のひとつとしても知られる
尖閣湾から西海岸・相川の町へ向かう途中の海沿いに立つ、鎮目市左衛門惟明の墓。甲州出身の彼は、佐渡で奉行を務めた。なにげに筆者の友人のご先祖様なのである
それぞれの岬に立つと、この穏やかな海の遠く向こうに大陸が……と緩やかな情緒をともなって感じさせられる。しかしそれも、気候も海も穏やかな季節の昼間だからだろうか。冬には、また夜には、まったく異なる緊張感をきっと覚えることだろう。
なにせこの北海岸は、目の前の国境の海と、背後に連なる大佐渡山脈の峰々に挟まれた地。そして大佐渡の主峰・金北山の頂には、国境を見つめる自衛隊のレーダー基地が置かれ、妙見山にも自衛隊の新たなレーダー基地が建設中である。大陸の国々に対して、日本のフロントとなる佐渡の特殊な位置を実感させる。
左が金北山の山頂に築かれた城砦のようなレーダー基地。そして右は妙見山頂で建設中のレーダー施設である。妙見山の施設に関しては、軍事上の危険性はもちろんのこと、景観や世界遺産登録推進の問題も絡んで地元で議論が紛糾した
大佐渡スカイラインから眺めた、佐渡のパノラマ写真。中央が国仲平野、右(西)の海が真野湾で、向かいの山地がエの字の下の横棒・小佐渡山脈。この位置からだと両津湾は左の山陰にある
次回は佐渡後編、都文化の影響を受けた海産物と酒の国、をお送りします。