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「軍支えた民間人も慰霊を」=両陛下パラオ訪問で-「友の会」会長田中さん・沖縄
戦後、パラオから沖縄に引き揚げ、「パラオ友の会」会長を務める田中順一さん=3月18日、那覇市
天皇、皇后両陛下は8~9日、戦後70年に当たり、戦没者慰霊などのためパラオを訪問される。戦前、日本の統治下にあったパラオには、多くの日本人が移住した。中でも多かったのが沖縄出身者だ。戦後、日本に引き揚げた沖縄出身者による「パラオ友の会」会長として慰霊を続ける田中順一さん(81)=那覇市=は「日本の国土を守った将兵の英霊と同時に、その軍隊を支えた民間人のみ霊も供養してほしい」と思いを語った。
田中さんは1940年、父親に呼ばれ、パラオのコロール島へ渡った。44年春から米軍の空襲が激しくなり、密林に覆われたパラオ本島へ疎開した。
11歳だった田中さんは、高台で敵の飛行機を見張る役目だったが、「いつもエンジンを止めて空から音もせずにスーッと現れた」。敵機に追い回されたり、機銃掃射を浴びてアダンの巨木の陰に飛び込んだりする毎日だった。
疎開生活では、食糧を軍に供出したため1日の食事は多くてサツマイモ二つ。カタツムリを芋の葉と一緒に炒め、「とにかく口に入るものは何でも食べた」。しかし、栄養失調で亡くなる兵隊や幼い子どもが相次ぎ、遺体にはネズミが群がった。「今考えたらぞっとするが、かじられて目玉のない子どもを埋めるのが仕事だった」と振り返る。
旧海軍墓地にある「沖縄の塔」=2月26日、パラオのコロール
83年、沖縄出身の引き揚げ者による「沖縄パラオ会」が結成された。会員数は当初、1000人を超え、年50~60人の慰霊団をパラオに派遣。田中さんは3代目の会長を務めた。
パラオ会は2007年、会員の減少や高齢化で解散したが、「何とかつながりは残さないといけない」との思いから、十数人の有志で「パラオ友の会」を設立。現地に2~3年に1度足を運び、慰霊碑の清掃を続ける。「コロールでは、沖縄の塔が一番きちんと手入れされていると現地の人が言ってくれる。沖縄はウヤファーフジ(先祖)崇拝だから」と胸を張る。
「両陛下の訪問を機に、戦争のない平和な日が続き、日本とパラオが共に繁栄してほしい」と田中さん。両陛下と同日程でのパラオ訪問は、宿泊場所が確保できず断念したが、米軍が上陸した9月に合わせ、現地に赴くつもりだ。