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定住前から公共祭祀施設=マヤ文明最古のセイバル遺跡-茨城大など国際調査団
グアテマラにあるマヤ文明セイバル遺跡の住居跡写真(青山和夫茨城大教授撮影)を説明する国際調査団の青山教授(右)と米延仁志鳴門教育大准教授=23日午後、東京都千代田区の都道府県会館
中米グアテマラにあるマヤ文明最古のセイバル遺跡では、雨期・乾期ごとに移動する狩猟採集中心の生活から、農耕の定住生活に切り替わる前に、多様な集団が協力して公共祭祀(さいし)を行う広場や施設を建設していたことが分かった。
米アリゾナ大の猪俣健教授や茨城大の青山和夫教授らの国際調査団が、紀元前1000年ごろ以降の石造りの住居跡や土器などを発掘し、細かく年代を調べた成果で、文明の形成過程の解明が進んだという。論文が24日以降に米科学アカデミー紀要電子版に発表される。
グアテマラにあるマヤ文明セイバル遺跡の初期の公共祭祀(さいし)建築跡を国際調査団が発掘する様子(青山和夫茨城大教授提供)
同調査団による発掘は約10年前に始まり、マヤ文明の起源が従来の学説より200年程度さかのぼる紀元前1000年ごろと突き止めていた。青山教授によると、当時はトウモロコシの栽培に向く品種が出現し、土器が作られるようになった。
宗教的、政治的な支配者層から石造りの住居に定住し始め、季節移動の人々は簡素な小屋に住んでいたが、都市化が進んで紀元前300年には社会の全階層が定住生活となった。12平方キロの範囲に最盛期には1万人程度の住民がいたと考えられるという。
青山教授は「これまでは定住と非定住の集団は別々であり、定住してから大規模な公共祭祀建築ができたと考えられていた。しかし、実際には多様な集団が公共祭祀のために共同で建設作業を行っていたことが分かった」と話している。