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核廃絶訴え、最後の証言へ=70年の節目の年に進展を-81歳被爆者が渡米・広島

 核廃絶訴え、最後の証言へ=70年の節目の年に進展を-81歳被爆者が渡米・広島

  米ニューヨークで開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて渡米し、被爆体験を証言する被爆者の中村澄子さん=3月21日、広島県三原市

   「原爆投下から70年の節目の年。被爆者が元気なうちに、核廃絶に向けた動きが進展してほしい」。被爆者の中村澄子さん(81)=広島県三原市=は27日から開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、米ニューヨークを訪れる。同会議は5年に1度で、年齢や健康状態から「訪米は今回で最後」。中村さんは「今も後遺症に苦しむ被爆者がいること、核兵器の恐ろしさを伝えたい」と決意を語った。
  同市の被爆者団体副会長を務める中村さんは、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がNPT会議に派遣する代表団の一人で、参加は2005年、10年に続いて3回目。代表団は滞在中、各国代表者らに会って核廃絶を訴え、国連本部で開く「原爆展」などで被爆体験を証言する。
  70年前、広島に原爆が落とされたとき、中村さんは11歳。当時のことは「きのうのことのように覚えている」という。
  ニューヨークでは、原爆投下直後の広島で、自分が見た光景や亡くなった友人のことを話すつもりだ。「明るくて賢い子だったのに、(原爆で)顔は2倍に膨れ、やけどの部分にたくさんのうじ虫が湧いていた。『私の分も生きてね』と言い、3日後に亡くなった」と涙を浮かべる。
  初参加の05年で印象に残ったのは、「憎むのは戦争と原爆、米国ではない」と話し、米国人から「尊敬する」と言われたこと。手応えを感じたが、初参加でよく分からないうちに終わってしまった。
  「前回の経験を生かしたい」と10年に再び渡米。会議は「核兵器のない世界」を目指すことで合意したが、具体的な進展はなく、いら立ちを感じた。「こういうときこそ被爆者が動かなければ」と3回目の訪米を決めた。
  広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)の坪井直理事長(89)は「一度使えば地球は終わり。核兵器は法で禁じ、なくすしかない。それが被爆者の気持ちだと訴えてほしい」と代表団に思いを託す。

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