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<宮本武蔵>愛用の赤樫木刀、大分・宇佐神宮に 宗家が相伝
俗に「二刀流」といわれる「兵法二天一流」の祖・宮本武蔵(江戸時代の剣聖)愛用とされる赤樫(かし)木刀(長さ約110センチ)が大分県宇佐市の宇佐神宮に保存されている。二天一流は家督で継承せず、弟子の中から心技体に優れた人が継いでいる。木刀(一説にはつえ)の紛失を防ぐため弟子たちが神宮に預けることにしたのだという。
宇佐市の会社員で、二天一流十二代目・吉用清さんによると、赤樫木刀は武蔵が晩年に作ったもの。つえ代わりにもしたため、先端がすり減っている。十代目・今井正之さんらが2004年に神宮に保管を依頼した。
武蔵の容姿を伝える江戸時代の書「兵法大祖武州玄信公傳(伝)来」によると、「老年になり、刀を持たず五尺つえを携えていた」と、つえの存在が記されている。木刀には、武蔵自ら彫ったと伝えられる二天一流の極意「實(実)相圓(円)満之兵法」(互いの力量を認め、剣を交えず別れる)などが残る。
二代目宗家となった寺尾求馬助に武蔵が兵法三十五カ条と共に赤樫木刀を与え、相伝の証しとして代々伝えられてきた。八代目・青木規矩男さん(熊本市出身)が1947年に台湾から引き揚げる時、木刀を守るため、台湾の知人に預けた。
赤樫木刀は58年、青木さんの手元に戻り、その後、青木さんの弟子・清長忠直さん(宇佐市出身)が九代目を継ぎ、十二代まで正統が宇佐市出身。現在、相伝式は宇佐神宮境内にある「武蔵誠心直道之碑」前で開いている。
熊本市の財団法人「島田美術館」の島田真祐館長は「武蔵の資料は(木刀など)間接的なものがほとんど。武蔵が使ったかどうかは別に、宗家相伝の証しとして大切にしてほしい」と話す。【大漉実知朗】