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【国際】北樺太占領語る未公開写真発見 東京・日本カメラ博物館

【国際】北樺太占領語る未公開写真発見 東京・日本カメラ博物館

【国際】北樺太占領語る未公開写真発見 東京・日本カメラ博物館

【国際】北樺太占領語る未公開写真発見 東京・日本カメラ博物館

中日新聞 2015年3月5日

北樺太占領語る未公開写真発見 東京・日本カメラ博物館
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015030502000276.html

尼港事件で破壊された日本領事館員の遺骨を捜索する日本軍=1920年初夏(日本カメラ博物館所蔵)
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/images/PK2015030502100165_size0.jpg

 旧日本軍がシベリア出兵中の一九二〇年から五年間にわたって暫定的に占領した当時のサハリン州(北樺太と対岸の大陸部
の一部)軍政時代の写真約二千点が、日本カメラ博物館(東京都千代田区)で見つかった。大半は未公開の写真とみられ、専門
家は「これまで未解明の部分が多かった日本軍の北樺太占領時の歴史に光を当てる一級の一次史料」と評価している。

 写真には、港町ニコラエフスク(尼港(にこう))で起きた在留日本人らの大量虐殺事件、尼港事件後の市街地の惨状や事件に
関与したとされる中国砲艦の活動を調査する日中共同委員会のもようなどが収められている。

 写真は博物館が二〇一〇年、カメラ会社からカメラ機材とともに購入した戦前の写真の一部。本紙の調査依頼を受け、博物館
文化部の桜井由理氏が、シベリア出兵関係の写真を調べたところ、目録に未記載の写真が約二千点あった。

 「薩哈嗹(さがれん)州派遣軍参謀部」と記された八冊を含む計十冊の写真帳。六冊分には写真説明はあるが、多くは撮影日時
や場所などのデータの記載がない。撮影者も不明。軍の写真技師が北樺太の占領時代の活動の記録として撮影し、軍参謀部が
ファイルしたものとみられる。

北樺太から撤退時の日ソ指導者の会合=撮影時期不明(日本カメラ博物館所蔵)
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/images/PK2015030502100166_size0.jpg

 写真の一部は北海道大付属図書館所蔵の派遣軍出征記念の写真帳などの基になったとみられる。カメラ会社が戦後、写真帳
の原本を入手した経緯は不明。

 派遣軍は尼港事件で現地に派遣された救援部隊を後に改組して編成。約四千人が駐留した。

 写真には、軍政の開始や尼港とアレクサンドロフスク(亜港)を撤退し、現地当局者に権力を引き渡す際の状況、北方少数民族
の生活の様子などもある。また、日本の有力企業五社からなる「北辰(ほくしん)会」の石油開発の状況や間宮海峡を挟んで対岸
部を電線で結ぶ「間宮海峡氷上電線」、氷上運行が可能な新兵器として現地に初投入されたプロペラ式の「空中推進式自動艇」
など、当時の軍事技術を示す写真も数多く含まれている。

 (吉原康和、原誠司)

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/images/PK2015030502100167_size0.jpg

 <尼港事件> ロシア革命後の1920年3~5月、アムール川河口の港町ニコラエフスク(尼港)で起きた日本軍人や在留日本
人約700人、資産家階級のロシア人らを含む大量虐殺事件。赤軍(ソ連陸軍の旧称)に協力するパルチザン(非正規軍)が起こ
した。尼港には日本軍第14師団(宇都宮)の守備隊が駐留していたが、冬期の氷雪のため孤立。3月にパルチザンと衝突して部
隊は壊滅、残兵と一部の民間人が捕虜となった。5月、日本軍の救援隊が尼港に迫ると、パルチザンは捕虜らを惨殺、全市に放
火して撤収した。

 <北樺太の占領> 1918年から米英などと共同でシベリア出兵を行い、ロシア極東部と中国東北地方に約7万人の兵を送っ
ていた日本は、尼港事件を受け、革命後の内戦状態にあったロシアに責任ある政府が樹立され、謝罪と賠償があるまでの担保と
して20年夏、島の北部と対岸の尼港を含む要地の「保障占領」を実施。尼港救援のために派遣した部隊を再編して薩哈嗹州派
遣軍を編成し、北樺太の中心地アレクサンドロフスク(亜港)に軍政部を置いた。対岸部の大陸から22年に撤退後、25年に撤退
するまで北樺太の占領を続けた。

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