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凡人は「代案を持つ0.1%の天才」を邪魔するな~希代のベンチャー投資家・校條浩氏、イノベーションを語る【特集:New Order】
シリコンバレーでベンチャー投資および事業育成コンサルティングを手掛ける会社Net Service Venturesを興した校條浩氏。その半生は、常に“ゲームチェンジ”と共に歩んでいる。
1978年、小西六写真工業(現・コニカミノルタ)に就職し、エンジニアとしてカラー写真フィルムの開発に勤しんでいた同氏は、1981年にソニーが世界初の電子カメラ『マビカ』を発表したことでデジタル時代の到来を予想。新しい技術の誕生が、フィルム開発の世界を根本から“disrupt(破壊・崩壊)”させる転換点を身をもって体験している。
その後、「イノベーションをリードする立場で仕事したい」と考えた校條氏は、社内ベンチャーの立ち上げや米マサチューセッツ工科大学(MIT)への留学(電子材料科学専攻)、ボストン コンサルティング グループ(経営コンサルティング)への転職を経て、1991年にシリコンバレーに移住する。
2002年、Intelにて世界で初めてデジタルウォッチを手掛け、そののちにエレクトロニックアーツを共同創業したRichard Melmon氏とNet Service Venturesを共同設立したのは、より大きな視点でイノベーションを生み出すエコシステムづくりを行うため。去年までは大阪市の特別顧問としてイノベーション施策をリードするなど、日本とシリコンバレーのベンチャー環境に深い見識を持つ。
そんな校條氏が、40年弱のキャリアを通じて見てきたイノベーションの歴史や、ゲームチェンジャーたちの栄枯盛衰には、どんな変遷があるのか。そして、長くイノベーションをリードしてきたシリコンバレーと日本との違いを理解した上で、改めて、日本人がテクノロジー産業で革新を生み出すには何が必要なのか。
特集「現代のゲームチェンジャーたち」の最後に、希代のベンチャー投資家の言葉に耳を傾けたい。
「孤立したモノづくり」を続け、出遅れてしまった日本
―― 長年シリコンバレーに身を置く校篠さんから見た、ゲームチェンジャーの歴史についてお教えください。
校條氏がRichard Melmon氏と共同設立したNet Service Ventures
1980年~90年代はハードウエア、ソフトウエアそして、ネットワークの発展した時代。IntelやApple、Microsoft、Oracle、Ciscoが登場したのはこのころです。
そして、1995年になり、アメリカがインターネット接続の完全商業化を行いました。…